K_Co.麻雀学 第三部

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◎鳴き総論 (目次へ戻る)


 鳴きは雀力のうちのそれなりのウェイトを占める重要な技術である。
 「3対1理論」の項で述べるが、鳴きの多い場では鳴き技術がないと全く和がれなくなる。

[鳴きの有効性]
・ネックメンツ解消
  ネック解消は鳴きのなかで最も大切な鳴きである。どんなルール、状況でも鳴くべき鳴きである。
  麻雀は4メンツ1雀頭を完成させるゲームだが、牌は各種4枚までしかない。他家に入って存在していない牌を待っているとそこがネックとなって他のどの部分ができようと永遠に手は完成されない。さて例えば「35[赤] ドラ3」というメンツがあり4も5も他家に使われまくってるとしよう。そう読めてもここはドラ2枚ではずしづらいとしよう。ここで上家が4を切った。こんなときは役はあとで考えてでもチーである。真のネックとは入りづらい上にはずせない、どうしようもない部分のことをいう。

・役確定
  役牌を鳴いたり一通や三色を完成させる鳴き(それらも9枚で役牌のようなもの)。
  これらもその部分を完成させなければ一翻しばりをクリアするのが難しい場合には小ネックである。

・速度アップ
  「45」こんな両面は8枚もあるので埋まることが普通である。しかし上家が切った3をチー。この意味は、門前放棄しながら一巡を買うのである。よっぽど場が速攻方針ばかりの他家で埋め尽くされている、鳴き祝儀ルールの東風戦やいにしえのブー麻雀では有効な方針だ。

・見せ牌
  公然と牌を見せることができるわけである。他家に有利に働くことも多いが、壁としてみせて自分に有利に働かせることもできる。


[鳴きのデメリット]

・門前放棄
・役の翻数低下
  このへんは打点減少として知ってのとおりである。

・手がせばまる(守備力低下)
  これにはふたつの意味がある。まずよくいわれるのが、切れる牌の枚数が減るため放銃しやすくなるというものだが、ベタオリしない限りは1鳴き程度ではそうかわらない。2鳴き、3鳴き、4鳴きでは順に飛躍的に放銃率が上がってゆく。よって守備を考える場面では、よほどのところ1つを鳴いて済ますことを計画し、やむなく鳴いて2つにおさえる方針をとる打ち手も多い。
  ただし、鳴いたからといって降りてはいけない、勝負しなければならない、というような妄想は全くもつ必要はない。手がせまかろうが、いくべきはいき、降りるべきは降りるべきである。

・手がせばまる(受け入れ低下)
  あまり気づいていない打ち手も多いのかもしれないが、例えば「45」とあって3をチー。しかし山には3・6は4枚生き。こんなときは、本来もう一枚もてた手牌を3を鳴くことで固定してしまっているため、本来待ちメンツづくりや受けに使用できた牌が一枚少なくなったということを意味している。すなわち、
  「三三六1)3)4)5)7)45白白中」ここで3をチー →打1)or7)or六or中
   => 1),7),六へのくっつきか中の重なりをどれかひとつ放棄せねばならなくなる。
どうせ3・6が山にごっそりいて埋まるのならば、「早く埋まらない方が得」なのである。また、門前で「345」と埋めればさらに2や6を引いて2メンツ見込めるが、「3[チー]45」と晒せばそこは伸びない。これゆえに自力でツモれる部分をあせって鳴くメリットは薄れるわけである。メンツ候補に有力なものをそろえたあとや、そろえれる見込みのときはその限りでない。

・読まれる
  あまり気にしないでもいいという意見が多い。確かにその通りで、読まれても他家の結局方針がかわらないケースは多い。とはいえ打点と待ちが的確に読まれるような鳴きをするときは、そう読まれることを把握する必要がある。本命を切ってきた相手は差し込もうとしているか、本命を切るほどの手であるか、ヘボである。見過ごしてはならない。
  また、鳴いた手への読みは人並みにできなければならない。待ち読みで最も大きいのはチー聴・ポン聴したときに入り目をばらしているということだ。本命がひとつ消えると残る方が大本命となる。この読みをされていると認識すると同時に、自分も狭い手で戦うのであるから他家のそれくらいは当然読めてしかるべきである。これによりカラ切りすべきか否かも判断される。


(以下はver3.4まで掲載していた記事です。いずれ削除される予定です。)
  「鳴き」についての結論はまだ筆者の雀力レベル自体が到達していない。しかし、それについての質問を受けた際に少し書いたのでそれを編集してここに載せる。

 具体的な鳴きの技術・損得はふまえたものとして書く。

>あがりに向かう鳴きについては?
 最終的には鳴きをほとんど使わない麻雀もかなりの最強たりうるスタイルだと思っている。

>一発けし 無理な形からの鳴き については?
 これは特殊例だろう。ブラフとかだ。鳴いて流れを変える、とか一発を消す、というのは
有効な気もするが、誰かの何か得たいの知れないもの(流れというのか)を下げることはでき
ても自分のそれを上げるのはやはり自分が和がる以外ないと経験から思う。そういう意味で、
この種の鳴きをすると自分一人が損をして他の二家が得するような気がする。どうしてもついてるその人に沈んでもらいたいとかの理由で不利を承知のことならば有効な気がする。


>門前の見切りのタイミング は?
 鳴きの利点は二つあるだろう。
 ひとつは「はやさ」だ。
 麻雀は他家に和がられるとそこでその局が終わってしまう。(ツモが無限回あるか他家が全員東風荘のオートツモならほとんど門前で和がれますよね。)鳴きによって必要牌をはやばやと集め人よりはやく和がることができる。(そのかわり点数は落ちるように設定されてバランスがとられています。)将来ツモってくるだろうところも、他家の進行に追いつくために鳴くことはある。
 あともうひとつの意味は、↓
「死んだメンツを他家の牌をなくことによって完成させることができる=門前で和がれる可能性0%の手を0%じゃなくできる」
ということだ。門前で789の純チャン三色ドラ1を和がりたくても、例えば7筒が王牌と他家の手牌ともう切られた捨牌にみんなあったら絶対に和がれない。でも、上家がそれを切ってくれてチーすれば和がれるようになる。牌を絞るという意味は、こちらの利点を消すことの方が大きい。
 鳴きの不利な点も二つあるはずだ。
 ひとつは、立直・ツモ・裏ドラ・一発・門前ロン符(と四暗刻とか一盃口とかその他食い下がりによる一飜)がなくなることによって、和がり点が安くなること。
 ふたつめは、他家に完全に手役・点数を読まれることだ。読まれると的確に絞られるので、さらに鳴くことや出和がりが辛くなる上に、他家としては絞るべき牌が限定されて処理がしやすくなる。(絞らないで鳴かしてきたり、差し込んできたりするのも、他家にとっては有利だと判断して処理されます。)ただし、この不利な点は他家がもしそういった基本的な読みができないのならばまったくない。そういった相手とやるときは、得点と上に挙げた利点の方だけを意識してやればいい。
 門前を見切るタイミングは、その二つの利点と不利な点を考慮して、鳴いた方が得だと判断されるときとしている。(あくまでブラフを除いた基本的な和がりに向かうための鳴きのことです。)

 ところで、ある人が対面の牌をポンすると上家のツモがひとつ減って下家のツモがひとつ増えるという事実がある。この現象を応用して、南家がよく鳴いて北家は鳴かないついでに牌を絞ると、親の手の進行は遅くなる。そのかわり西家が楽をするが、北家と南家は傍観して親と西家がぶつかるのを見ていればいい。これは基本的な親と子の戦闘スタイルである。実際は親がクズ手で子が勝負手のことも多いから基本は基本にすぎないが、何もわからない序盤とかならば基本通り動くのがやはりいいだろう。

 今の段階で思うのは、「鳴き」というのは麻雀を突き詰めて行ったときの最終レベルで差がつくところだろう。不利な点2、の「死にメンツ鳴き」がどれだけ正確に(かつ他の利点・不利点とあわせてどれだけ有利に)行えるか、というのは最も高級な読みを必要とするような気がするからだ。

 具体的な鳴きの技術については、手役各論の各項目で述べたい。

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◎目標、テーマ、モード (目次へ戻る)

 麻雀を打つときは、半荘の目標、その局のテーマ、巡目ごとにかわるモード、そして、そもそも何のために麻雀をするのかの認識が重要である。その認識とは、自分に対してはしっかりと行うことであり、他家に対してできるだけ正確に読み取ることである。
 目標、テーマは、「〜を達成する」という達成ラインと、「うまくいかなくても〜には ならなない/しない ようにする」という最低ラインがある。達成ラインが低すぎれば意味のないことをすることとなるが、達成ラインをあげると基本的に最低ラインを守るのが難しくなり、最低ラインも下げざるおえなくなる(=ローリスクローリターンだが、ハイリスクハイリターンになる傾向がある)。それらのバランスの最適なところははルール、メンツによって異なるだろうし、状況によってかわるだろう。
 しかし大事なのはまず達成ライン・最低ラインをオーラスに限らず常に認識することであり、守ろうと努力することである。達成ラインの認識がなければ受動的に適当にやることになり結果を意識して出すことができないし、最低ラインの認識がなければ最悪の事態が起こってしまいうる。
 (ところで、すべてが神のごとく読めるなら、達成ラインと最低ラインが一致する。)
 そして、相手の目標・テーマを知ることは読みの上での重要な要素となるので、おさえておくべきである。

【麻雀する目標】
 麻雀をする目標は人によって様様だが、以下のようなものがあろう。
・トータルプラス
 →マイナスにならなければ負けていないわけで、それでいいとする。ふつうの人はこう思っているだろう。
 他には、「麻雀技術を習得する」「つきあいを維持する」「時間をつぶす」「楽しむ」などいろいろなものがあるだろう。この文書は全体としてトータルプラスを達成する麻雀を追求しているが、麻雀をやる相手が何を思って麻雀をしていようがまったくの自由である。
【半荘ごとの目標】
 個々の打ち手は半荘に望むに際して、上の「麻雀をする目標」を達成できるように各半荘ごとに目標を設定して望む。目標には以下のようなものがある。
・マイナスになってもいいから、とれるだけプラスをとる
 →ハイリスクハイリターンというわけで、予定している残り半荘数が少なかったり短期決戦だったりマイナスになってもいいと思えるのならばこういった目標が合理的に設定されうる。
・点数にこだわらず、とにかくトップをとる。最低でも二着。
 →筆者は日常におけるふつうの麻雀でこの目標を持つ。筆者のやっているルールでは、トップをとればオカやウマで収入が大きい。その後トップがとれなくてもトータルプラスに保つことに有利に働く。 自分としては、その日にどんなに浮いていても、どんなに沈んでいても、やるからにはこのくらいの目標設定をするのが一番バランスがいいと思う。
・+(  )以上[または−(  )以上]にする
 →その日のトータルで浮きたい場合、もしくはマイナスを限度額まで戻したい場合にこういった設定をする。
・とにかくはやく終わらす
 →どうしてもはやく終わって抜けたいときとかに設定する。

 以上は、単に「プラスにしたい」という目標をたいていの人が持つわけだから、たいして重要な認識ではないが、以下のものは的確な認識をしっかりするかしないかで打牌の選択に響いてくる。

【一局ごとのテーマ】
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場のテーマの例

1.東場子番 手にそって打つ。高さ、あがりやすさ(速さ、待ち)のうちひとつ以上で親より有利な手としたい。クズ手はしっかり要事退却できるよう打つ。
2.東場親番 全局あがりにむかい、基本的に降りない。勝負手を大きく育てたり(不要リーチしたり)、ブラフへの対応をみたり、いろいろ自由に。
3.南場子番親あり 基本的に東場といっしょ。親番なしが計画的にあがろうとするのを考慮する。
4.南場親番 東場と同じだがプラス確定できるか予想する。確定できそうなら撤退による確保も考慮する。親がおわったあとの残り局の展開を予想して自分の出費を試算する。
5.南場子番親なし マイナス時はプラスになるための必要点数を残り局数で割ってそれ以上の点数であがる。離れすぎて現実的でないときはウマをあきらめて素点で稼ぐ。プラス時はプラス確定するために許容される出費までの失点に抑える。
6.平たい点棒状況 南1局あたりから和がり率最大になるよう打つ
7.差のついた点棒状況 オーラス満貫ツモで着順がかわるために必要な点数をとることを目標とする。それが無理ならば素点orチップでの収入が最大になるよう打つ。

そして自分の考えをしっかりもったあとは、他家がどのような方針でくるのかを的確に予想し、支援するか排除するか決める

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 オーラスでは誰もがテーマを設定するが、毎局設定するべきだ。
 また、他家がどういうテーマを設定して打っているかを把握するすることは他家の手を読む際に大変重要な要素である。しかし、モード(後述)は打つ牌や挙動からわかるものの、どういったテーマをおくかは点差を考慮した予測しかできない。テーマは他家の性格によってかなり変わる。
 自分で設定するテーマとしては、基本的には、以下にあげるくらいのものがいいバランスではないだろうか。(ただし、筆者のよくやっている赤なしありありルールでの話である。)
 満貫以下の手を自分や他家が和がることによって誰が途中一着になることができる状態なら、客観的に平たいと判断できるだろう。
・(平たい場合の東家では)とにかく連荘する。そのために、とにかく和がる。めざせるのならば高めて満貫や勝負を決定づけられる18000を決める。最低ラインとしては満貫以上を振ることを避ける。3900以下の放銃は満貫ツモられるのと同じなので、見合うならよしとする。
・(平たい場合の南家では)親に和がらせないようにする。降りるより、むしろはやく和がって次の親へつなぐ。最低ラインは3900より大きい手への放銃と、親へのあらゆる放銃を避けること。
・(平たい場合の西家では)満貫以上の可能な限りの最高手を和がり、放銃を避ける。最低でも3900より多くの放銃は避ける。
・(平たい場合の北家では)親に和がらせないようにする。満貫以上ができないなら、和がるよりむしろ親に対して牌を絞る。前局の親で振っていれば手が悪くなっているかもしれないが、ならば絞るのに集中できる。最低ラインはあらゆる放銃を避けること。
・(リードしている場合の東家では)平たい場合と達成ラインは同じだが、最低でも二着に逆転されるような放銃は防ぐ。
・(リードしている場合の南家では)自由に打つ。最低ラインは状況によって自由に設定。
・(リードしている場合の西家では)リードを広げるために、最高手を目指す。あらゆる放銃をしないようにする。
・(リードしている場合の北家では)二着家の和がりを阻止する。最低でも二着に落ちるような放銃だけは防ぐ。
・(リードされている場合)一着目を逆転できるような和がりを目指す。あまりに点差があるときは、まずひとつ順位が上がるような和がりを目指す。一着との差を残り局数で割ったくらいの点は和がり点となるようにする。それが現実的でなく、西入が目指せるなら、それを目指す。最低ラインとして、順位が落ちるような放銃は避ける。(四着でドボンありなら、ハコってしまうような失点を最低ラインとする。)

 他に、流れを意識することによってテーマを設定することもある。
・(完全に流れがある場合)まったくもって無理に動かず、門前で最高手を牌に従って決める。流れを失うような中途半端なまわしや無意味な放銃、流れに逆らった手作りをしない。
・(完全ではないが、流れをつかめるだけのいい状態にある場合)ミスなく打つよう心がけながらもどこかでいい押さえやいい手作りをすることによって、和了をものとし、流れを完全なものとする。最低でも流れを失うような凡放銃は避ける。
・(流れがない場合)手牌に左右されて危険な状態にならないようにして、和了よりもむしろ放銃して局が終わることを防ぐ。和がるのならば、点数にこだわらずにできるだけ和がりやすくして堅実に和がる。最低ラインとして、あらゆる放銃を防ぐ。

【巡目ごとのモード】
 上記のようなテーマを設定しながら、その巡目その巡目で自分が今、手牌という道具を使ってどういう行動に出ているのか[=どのモードなのか]を設定・認識する。ただし、いかなる場合も最低ラインは守るようにする。他家が打牌をしている間は、この設定を行うとよい。モードは状況によって適切に変更させていくべきである。
 そして、もっと大切なのが、他家がどのモードなのかを悟ることである。少なくとも和がりに向かっているのか降りているのかは判断しておきたい。
 モードには以下のようなものがあろう。
MODE1・聴牌するために、安全だと思いながら自由に切る
 →和がりに向かっている。誰も張っていないだろうと思っているとき;巡目の浅いときやダマテンに気づいていないとき。 他家がこのモードにあるとする決定的証拠は知らない。ただ、自分の手牌を中心に見ながら緊張感なく打っていればおそらくこれだろう。
MODE2・聴牌するために、ある程度の危険を承知で自由に切る
 立直やダマ聴にツッパっているとき。 絞っている牌を勝負するとき。 他家が危険牌を切っていれば、基本的にそれに見合った手があるのだと読む。
MODE3・聴牌しているが出和がりはない
 →高目待ちなどのとき。他家から立直がかかると待ち次第で追っかけてみたくなる。フリテンだとまわしたく/降りたくなる。
MODE4・ダマテンして、全ツッパ
 →ツモ切りが続く。立直がかかると追っかけたりする。立直者がいるままこのモードなら、たいていその現物で待っていたりする。本格的危険牌が来たときにモードをかえることもある。
MODE5・ダマテンして、もし危険牌が来たら聴牌を崩すつもり
 →たいてい安い手の聴牌のときにこのモード。 ドラの数と手役のチャンスなどを考えれば他家がこのモードであることを高率に予想することができる。そんなときは、威嚇が有効となる。
MODE6・立直している
 →そのまま。ただし、フリテン立直していることもある(フリテン立直流局時チョンボルールならまずないが)。あと、ノーテン立直を威嚇でかけている場合もまれにある。
MODE7・(  )[複数可]には放銃[または鳴かせたり]しないように手をまわしている
 →危険牌等を押さえるためそれを軸として手作りしていること。うまくいけば聴牌して和がりに向かう。 他家がこのモードにあることがわかれば、そこが対象としている相手の現物で待って容易に和がることも可能になる。
MODE8・ベタオリしている
 →和がる気をまったくなくして、ただ放銃だけはしないようにしている。完全安牌がなくなればなるべく安全な牌を切るようになるが、それは逆にそこを狙い狙われうる。
MODE9・ぼーっとしていて(疲労していて)支離滅裂に(又はただ何となく)打っている
 →自分はこのモードに陥らないようにとりはかるべきであるが、このモードになっていることを認識すらできないより認識はできたほうがまだまし。他家がこのモードになっていたら、他のモードと取り違えないように注意する。実戦では結構あったりするモードである。
MODE10・誰かを狙い撃ちしている
 →狙い撃ちする理由は、サシウマや、誰かがトビそうなときなどがあがる。

 他家がどのモードにあるかを踏まえた上での戦術は随所に述べた。
 
 

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◎3対1理論、速攻vs打点 (目次へ戻る)

  麻雀とはつまるところ「打点」「速度」という相反しやすい二つの要素をバランスよく求めつつ期待値を最大にするゲームである。
 さて「速度」を求めて「打点」を落とす打ち方(いわゆる速攻)と「打点」を求めて「速度」を犠牲にする打ち方(高め追求)のどちらが有利なのだろうか。門前方針か鳴き方針か、というものもそれに近い。(鳴いて高い手もあれば遠回りに鳴いて高め追求する方法もあるので必ずしも一致しない。)

 これは実は昔から続いている難しいテーマである。結論は出ていないが実はどっちもどっちであるというのが筆者の見解である。データをとっていないので仮説の域を出ないが、体感している仮説を以下に記しておく。

 A.速攻3人を相手に高め追求で打っても不利
 B.高め追求3人に速攻で打っても不利

 速攻が先制愚型聴牌することを想像してみる。これがAのようなケースで3人いたらどうなるか。ひとり両面、ひとりカンチャンで2人聴牌した時点で高め追求は三面待ちをかわさねばならなくなる。これでは待ちが読めても高め追求があとからかわして手を追いつかせることが至難だ。
 ではB.のように高め追求3人のなかで速攻愚型聴牌で打ったらどうなるか。待ちは一種類でさらにだいたい絞られる。残る3人のうち1人でも十分な打点・待ちで立直してこれば、このめくりあいは圧倒的不利である。2人、3人とこれば降りるしかなくなるが、鳴いていたり聴牌していると(オリ・勝負の判断がつきまとうので)オリるのも難しい。

 証明はオーラスの各家の方針がはっきりしている局を多数データとして集めて(点棒状況でソートして)、和がりのみでokが1人〜3人の状況での和がり率を出してみればいいかもしれない。

 ちなみにこの3対1という構図は麻雀の他の方針でもあたる部分がある。
・字牌絞らず3>字牌絞り1、字牌絞り3>字牌絞らず1
・守備的3>攻撃的1、攻撃的3>守備的1
 などだ。(仮説の域をでないが)
 ゲームの理論でいうところのジレンマゲームとなっているのだろう。点棒状況で方針が決まってくるときは最初からきまってくるが、平たい場ではどう方針をとってくるかは打ち手間に「常識」とされている部分に依存して決まってきていると思われる。局によってかわるのはいうまでもない。

 全体としてみれば、たとえば麻雀プロが高め追求場であり、ネット麻雀や東風戦・ブー麻雀は速攻場なのかもしれない。
 

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◎「見」と性格 (目次へ戻る)

 麻雀で、自分は打たずに打っている人の後ろから見学することを「見」(けん)という。この言葉自体は、さらに対局中に相手を観察すること自体に重きを置いて行動することにも使う。この「見」は、ある程度麻雀が打てるようになってからは、そのいずれの意味においても、勝つためにとても重要なファクターであると感じる。
 強い人を後ろから「見」することによって、その打ちスジを参考にする、というのは多くの人が抜け番の時に「見」する唯一の理由だと考えているようだ。しかし、自分としてはそれはそんなに意味はないと思う。ある人の打ちスジから何らかを得たいのならば、その人を入れて実際に一緒に打って、あとから牌譜によってさまざまな場面を理解するのがもっともいいのではないだろうか。(こういう意味で、東風荘は非常に使えるメディアだと思う。プロでもないのに牌譜を得られるし、その再現も別ソフトを使うことでとてもわかりやすいからだ。)後ろから見ているだけでは、場の状況にいまいち把握が少なく感じる。それでもしっかりと場と注目する人の手を見ていれば場の状況はわかるし、その人の打ちスジは理解できるが、それは、それを習うという目的よりももっと別なことに役立つと思う。
 ある人を「見」することによって得られるもっとも大きい成果は、その人の打ちスジがわかることだ。すなわち、次にその人と打つときに、多かれ少なかれ有利にたてる。決して不利になることはない。
 麻雀の打ち方にはこれぞ、といった必勝バランスが確立されていない。十人いれば、十人ともどこか判断基準が違うところがある。それは、以下のような点において顕著だ。
1・さまざまな手を、立直するか、ダマにするかの判断
2・あらゆる手役ごとの、決め打ち[狙うか狙わないか]の度合い(決め打ち←→手なり 比)、ブラフ
3・他家の手に対して危険牌を切るときの要素(自分の手・点棒状況・読み/流れへの信頼など)とその度合い
4・鳴きを入れるか入れないかの判断
5・理牌
6・挙動
7・ミス(どう考えても最も有利な選択枝があるのにそれを選ばない、または不利と思われる選択枝を選ぶ)をどこでするか、しないか
ほかにもあるかもしれないが、これら7つの要素は人によってかなり違う。
 それらの要素をすべて掴めれば、ただ一緒に打っているだけで労せずに彼が何をしているかが予想づき、さらに、捨牌・手だし牌などの論理的証拠を照らせばかなりの精度で読めるものだ。
 そして大事なことは、これらの情報をいかにして得るかといえば、最も簡単に得られるのが後ろから打っているところを見る、「見」なのだ。これは、自分としては間違いないと思う。
 「アカギ」(竹書房)という漫画を知っているだろうか?その中で、アカギが若いときに次に対戦する打ち手に後ろから「キズ」を見られている場面があった。これは正直言って驚きである。アカギは見れずに次に入るわけだから、後ろから見られるだけで、半分負けているようなものだろう。(しかし、この漫画はしっかりしていて、他の場面で、対局中の情報戦についてテーマにした話があり、おもしろかった。)
 フリー雀荘なんかに「立ち見禁止」とあるところは座り見ならOKというマナーの問題を提示しているにすぎないとして、「後ろからの覗き見全面禁止」とあるところはかなり辛いと思う。なぜならば、上記のような情報を得るために、実際に打たねばならず、さらに打ちながら情報収集をせねばならないからだ。
 さて、ここからは、具体的にどのようにして意味有る「見」をするかを述べる。それは簡単ながら難しい。
 step1.まず、「自分ならこう打つ」というものを毎回の打牌について彼が切るよりもはやくに心の中で決める。
 step2.そして、同じならよし、違ったときは、全力でその違った理由を考える。理由がほぼ確信的にわかるときは黙って通過だが、あやふやなときは打っている人に聞けるなら聞く(絶対に失礼や邪魔のないように)。 その人に麻雀を教えてもらってるのなら聞き放題だが、とりあえずうなずいておいて、それに従うかどうかは判断しだいとすればいい。こそっと見ているのなら、聞くより聞かないほうがいい。不気味がられるし、最悪な場合はその人と対局するときに打ちスジを変えて逆手をとられる。(逆に、麻雀に対して勤勉な人に質問を受けたら、嘘をつけとはいわないが本当の判断基準は隠しておいて答えたり、次回にその人と対局するときに別の判断基準に打ちスジをかえてしまえる。しかし、さすがに誰もがそうする基礎的なこと[例えば役牌のドラは鳴きますか、とか]を聞かれたら、次回に読みやすく打ってもらえるようにそれは親切に教えてあげよう。)

 さて、「見」には、対局に参加しないで後ろからする「見」と、対局中に情報収集に重きを置いて行動する「見」があると言った。後者のものは、「上級者と打つ/上級者を打つ」を参照されたい。
 

以上(目次へ戻る)
 

◎上級者と打つ/上級者を打つ (目次へ戻る)

 ここでは、上級者三人と麻雀を打つ際の心得を記す。

 巷で「強い人」とか「上手い人」とかいわれていそうな、「基本をマスターしておりミスの少ない判断ができる人たち」のみで卓を囲うときの心得について、自分が思う限りのことまで記す。
 さて、かなりの上級者を除いて、一般的中級者(が相対的に巷で上級者なんだろうが)とやるときは、以下の要素が勝敗の鍵を握っている。
1・さまざまな手を、立直するか、ダマにするかの判断
2・あらゆる手役ごとの、決め打ち[狙うか狙わないか]の度合い(決め打ち←→手なり 比)、ブラフ
3・他家の手に対して危険牌を切るときの要素(自分の手・点棒状況・読み/流れへの信頼など)とその度合い
4・鳴きを入れるか入れないかの判断
5・理牌
6・挙動
7・ミス(どう考えても最も有利な選択枝があるのにそれを選ばない、または不利と思われる選択枝を選ぶ)をどこでするか、しないか
 これらは、自分としてしっかりバランスを確立しておくことが必要であるし、また、相手の判断基準を知ることは非常に役に立つ。自分のバランス確立や、相手の判断基準を知る最も有効と思われる方法(「『見』と性格」の章を参照)は他に述べた。
 ここではまず、対局中に相手の判断基準を知るための方法について考えたい。

 次に、自分の判断基準を相手に知られないようにする配慮が重要である。

 次に、かなりの上級者(中級者を必ずカモれる人)と打つときの心構えを述べる。
 まず、相手は基本的な「最善の選択」ができることを踏まえる。そして、それをどこまで適用しているか見当つけることが大事である。
 確率や論理に打ち出された「最善の選択」は、やはり強い。毎回それを崩していては、ごく短期戦ではともかく、長く打てば打つほど差が現れ、「最善の選択」をしている方がやはり勝つ。問題は、かなりの上級者はそれらを巧いタイミングで巧く崩して、中級者に迷いを生じさせることがあることだ。
 「彼は何をやっているかわからない」という迷いが発展して、読むのをやめたらそこまでである。あとは翻弄されてヤられる。
 また、かなりの上級者、には、「ミス(定義は前述)が全く無い者」というのも含まれる。これは、あらゆる揺さぶりにもミスなく判断できる者を含む。四人が四人とも、このレベルの打ち手であることは、現在の日本で何卓期待できるのだろう?プロというものはこういうものなのだろうか?(ただ、プロがやっている麻雀と我々がやっている麻雀に少しでも重要なルールの違いが有れば、それは別の競技[亜種]のプロであることに過ぎないと思う。なぜなら、我々がやっている麻雀でミスが全くないのかは証明されていないからだ。)
 と、書いたものの、自分はいまだ「かなりの上級者」と心行くまで麻雀をした経験がない。(なぜならば、自分が上級者でないからだ。)だから、この小節は単なる想像であり、実際、おおざっぱにしか書けていない。いつか、ここの部分を完成させることができれば幸いである。

 

以上(目次へ戻る)


 

◎槓について (目次へ戻る)

 槓のメリットは符が増えることとドラが増えることだ。(槓によってドラが増えないルールと、新ドラのみが増えるルールと、新ドラ・槓裏の両方が増えるルールとあるが、この章ではドラが増える後者ふたつのルールを前提に論ずる。)
 槓をすると、場全体の得点力があがる。これによる相手の出方は、次の3通りである。
 ・降りる
 ・和がりにくる
 ・様子見
槓をするときは、他家がおのおの、上の3通りのどれをとってくるかを把握しておかねばならない。そのためには、相手の得点状況と手の進行具合、和がり点などを予想してしっかりみておくことが大切である。
 さて、槓をすると、暗槓であったとしてもその牌は相手に見える。ある牌が4枚見えるということは、大きな意味をもっている。まず、ノーチャンス・壁ができる。次に、それがドラ表示牌となる可能性がない。
 次に、槓した牌がドラとなる可能性は、それをドラとする牌の場に見えた枚数から予想できる。例えば、白を槓するにあたって、もし中が場に4枚見えていたら、その白がドラとなる可能性はない。(『裏ドラ理論』の章参照)
 槓しないで4枚目を場に捨てる行為は、状況によってメリットデメリットある。まず、4枚目を河に捨てる以上、それで放銃するリスクがあり、また、他家にノーチャンスだった牌を鳴かれてしまう可能性を生む。しかし他家の和がり点アップは阻止され、自分の手の内の暗刻牌は隠され、その暗刻は数牌なら多面張待ちを構成するのに使える。
 槓しないで4枚目を抱えたまま打つこともできる。これだと、1枚少ないことで牌の受け入れは減りやすいものの、槓するかどうかを保留することができるし、他家の槓への対応を遅らすことができる。
 以上、他家の動きと自分の手の変化を考えれば、槓するべきか否か、そして槓するとすればいつか、といったことも自ずと判断がつくはずである。

 

以上(目次へ戻る) 

 

◎手役各論:立直とダマ、過立直症候群 (目次へ戻る)

 立直は一飜役だがいつでもかけることができ(たとえ不聴でも!)、高い戦略性を要求される役である。
 立直をうまくつかえるようになるには、まず立直という役のメリット・デメリットをしっかり認識することが大事だ。この基礎をはぶいてパターン的に立直していると、相手に読まれやすいこともさながら、重要な局面での応用が効かないのでせっかくの手をふいにしてしまいかねない。

★ 立直の基礎 ★

 【立直のメリット】
 ・必ず一飜あがる。一発でさらに一飜あがる。通常(槓裏がないとき)時は裏ドラで0〜3飜上がる(裏ドラ理論を参照のこと)。総じて、通常時は1〜4飜 手があがる。ふつうの平和系の手ならば、確率的に1.5飜分の価値があるらしい。
 ・人に立直していることを公言できる(聴牌していること、1〜4飜手が高くなること、手を変えないこと)

 【立直のデメリット】
 ・手が変えられない
 ・出和がりを見逃すと振り聴になる
 ・人に立直していることがばれる(聴牌していること、1〜4飜手が高くなっていること、手が変えられないこと)

 ※注目したいのは、立直宣言によって聴牌・翻数上昇・手変わりなしがばれることは、使い方によってメリットにもデメリットにもなることです。(足止め立直でメリットとなり、過立直ではデメリットとなります。)

★ 立直の応用 ★
 ある程度のレベルになると、立直というものの見方が固定化されてくる。
 実戦で見かける立直をおおまかに分類すれば、以下のようになろう。
 立直をかけるべきか迷うときの手の評価には、待ち・点数・危険度の三要素がある。それらについては文中で述べる。

 1) 最終形立直
 かけて最も得をする立直というのは、最終形での立直である。すなわち、どんな手変わりもなく、人の聴牌に際しても危険牌で降りることもないときをいう。それはすなわち、点数的にも十分で、待ちも十分なものを指すだろう。総じて最終形立直はほとんどのケースでかけ得である。というより、これこそが本当の立直である。一発裏ドラなしルールではこのときのみ立直をかけるのがほぼ正しいようだ。
 具体的には、待ち・点数・危険度の三点がOKになるまで立直を打たない。それは、聴牌していてもいなくても一緒のことである。 待ちについては、他家から追っかけ立直がかかってめくりあいになっても十分勝てる見こみのある待ちまで変化させる。点数については、立直を足して満貫以上が見こめるだけの十分な点数をそろえる(多くのケースで簡単だろう)。危険度については、たとえば大三元ノーチャンスや国士無双ノーチャンスを確認できるまで待つことをいう。 これらの条件がうまくそろうまではたとえ張ってもダマでじっくりまわし、もし出和がりがきくときに他家から当たり牌が出たら状況によって当たる当たらないを判断し、ツモのみで仮聴をツモっても和がるか和がらないかを判断する。 (どれか二つがそろう立直は状況により成功できることも多いが、ひとつしかそろわない立直は多く失敗する立直である。)
 唯一、聴牌していることがばれるというデメリットがあるように感じる。たしかにその立直が最終形立直であることが予測されるとき、他家は容易に危険牌を切ってこない。が、ある程度のレベルの打ち手になると、立直がかかっていてもいなくても切る牌がほとんど同じになり、どうせ立直をかけなくても危険牌は切ってこないものである。また、出和がりしにくくなるものの、すべての他家が中途ハンパな手での勝負は避けてくるので、たまたま安手で流されるような危険性が減り、それが相殺して立直分得になる勘定もありうる。(これで損しているのなら、最終形といえども過立直である。)
 最終形立直は、流れが来ているときに当然のように打てるものである。そして、当然のようにツモれるときが最高潮のときである。が、流れが来かけているときに最終形でもないのに早々と立直を打ってしまうと、流れがあるだけに悪い結果にはならないが、それ以上の流れを得られなかったり、流れを失ったりしてしまうよう感じる。
 麻雀は四人でやっている以上、四回に一回しか和がれなくてふつうである。しかし、その和がる手は自分の和がり番としてきっちりと和がるべきだ。最終形までいくような手も半荘に二回チャンスがあると思っていい。そのような手は堂々と立直をかけて少しでも和がる可能性を高めることだ。(ただし、後述の過立直症候群を参照のこと。)また、ここが和がり番(勝負どころ)と感じたら、他家の足止めかもしれない立直に臆することなく安全なものから順に勝負していって追っかけ立直を打つのが現代までの麻雀の強いスタイルである。(さらに最も危険なものを一点で押さえてまわし打って和がるのが最強のスタイルである。)

 2) 出和が立直(役付け立直)
 たとえ手変わりが残っていても、たとえば役なしドラ3の手などでは、当たれる牌が出ても当たれないのがぬるい。そこで、この種の立直を打つ。 こういう手のために立直が存在しているという説もある。 すなわち、一飜役をつけて出和がれるようにするためだけに打つ。 が、たとえドラ3でも十分な和がり目の読める待ちではないのに立直を打ってはこれまたぬるい。なぜならば、他に手の入っている他家においつかれて追っかけられたときに負ける公算が高くなるからだ。また、ベタオリされてツモれなくて流局するのも冴えない。  最終的にダマで出和がりする展開が望ましいなら、このような立直は打たずに当初より役がつくように手作りしてダマ聴するのがよい。 役なしドラ3は、ある意味最終形であるとも言える。

 3)満貫立直(点数欲ちいの立直)
 立直の一飜分を足すと点数が出和がり5200や7700(親なら7700や5800・11600)になって、ダマのときよりも点数条件が格段によくなる手がある。また、タンピンも立直すれば3900だが裏1個(この1個のる確率が平和では比較的高い)で7700なので点数的に十分になる。(さらに、タンピンドラ1の手はツモって裏1個で跳満まである[ピンヅモありのルールに限る])
 このような、満貫以下の点数的にきっちり倍になる立直は、満貫以上の一飜とくらべると飛躍的に得な立直である。
 が、これらの立直は前述の待ち・点数・危険度の三つの要素のいずれかが不足していることとなる。
 待ちが不十分なら、他家に追っかけられてから頭を振り替えて危険牌を押さえながら手をまわしたり、まわしながら和がりやすい待ちや手役のつく待ちに以前の待ちを振り替えたりする方が即リーするよりも得なことが多い。が、景気付けや足止めのため(後述)に即リーする人は結構多いようだ。手の変化の可能性や、場況次第でもある。その判断について一般論は定義しない方が効率がよさそうだ。
 自分にドラがなく場に見えていないなら、この立直は慎重にいかねばならない。ドラの牌種にもよるが、他の人にドラが固まっているならその人に勝負されるだろう。一枚ずつ分散してれば、危険牌を打つ必要のない人が堂々と追っかけてきて、一枚つかんだ人が回し打ちをしてきて、ニ枚以上掴んだ人が降りてくるのが一般的なことだろう。
 流れ的には、自分が最終形で立直をかけていない以上、完成した流れを自分が持っていないともいえる。
 三色のカンチャン待ちなども、ひっかけなり河の迷彩なりを利用して和がり目の読める待ちでなければ立直を打つのは追っかけられたときに危険である。(同じひっかけ待ちでも、他家からそれが出そうにないなら同じく危険である。)
 これらを首尾良く和がれば、最終形立直のかけまくれる「馬鹿ヅキ状態」になる契機にもできる。
 また、立直ガモ(「カモりの麻雀」参照)がいるときは即リーの一手である。

 4)和がり立直
 点数こそ不足しているものの、待ちにかなり自信あるので子ではカット的な、親では連荘重視の要素をふくんでかける立直。待ちがいいからとプンリーするのは、「3)満貫立直」の方の意味合いとなる。
 ド危険に対してまわせない危険が伴ってやや不安は残るものの、足止め的な効果が加われば使える。追っかけられてめくりあいとなってもあせらない程度の待ちは用意したい。
 「11123456五五五(9(9 ドラ(1」とかなら、待ちの広さを目的とすればこれである意味最終形かもしれない。が、高目追求という意味では、一手「2,3,5,6」を引いてのツモり三暗聴牌に変える選択枝が残っている。(「2,3」引きには一盃口どりもある。)

 5)足止め立直1(ツモ期待立直)
 立直となれば他家は容易には打ってこなくなる。立直の内容はなかなか一点に読まれることはないから、それで他家の進行を遅らせられる可能性がある。(他家が回し打ちや、場合によってはベタオリをしてくる。)
 その間に、本来立直しなければ他家が和がっているだろうところを自分がツモ和がってしまおうという狙いの立直である。(出和がりはそもそも期待しない。)
 典型的なものは、ツモり三暗刻立直である。「11123455五五五(9(9 ドラ(1」なんて手は、足止めしてその間にツモれれば「3)満貫立直」の意味もあり、立直してみるのもおもしろい。ただし、追っかけ立直されたり、全ツッパされたりしたときは弱いだろう。この手は「6」引きなどで待ちを広くとることもできるので、状況に応じて「4)和がり立直」とどちらをとるか選択することとなる。
 両面待ちの立直は、何もなければ押さえられてしまうので出和がりの期待は薄い。が、ツモる期待は常につきまとう。また、追っかけ立直には相手の待ち次第だが、極端な不利は感じないだろう。
 ドラのまったくない平和ノミの手は、立直して1000点出すわりに点数増加の効率がたった1000点であり、さらに裏二個乗ることはほとんどなく最高3900(ツモり1300,2600)どまりとなる。手変わりが極端に見られなければこの足止めツモ期待立直もあるだろうが、基本はダマである。その方がむしろ和がりやすいし、まわしやすいし、適当に断ヤオなりドラなりで一個高めてからリーチした方がおもしろい。

 6)足止め立直2(ブラフ立直)
 立直を打つかについての手の評価要素としては、待ちと点数と危険度がある。が、これらが明らかに足りないのを承知で立直を打つのである。
 すなわち、流れがないときにこれを打って他家のミスを誘ったりするのである。ツモれればラッキーで、流れがくることが多い。ツモれなくても皆が降りて流局したときに自分が得するときに行う。(聴牌連荘の親など。)ただし、待ちが十分ならばまだ他家と抗争できるが、待ちが不充分なときの足止め立直は勝負されたときにまず負ける。
 これは、普段最終形立直しか打たない人に最終兵器として温存されるべきものである。すなわち、自分のミスで他家からわからないまま自分の流れがないと感じながらもどうしても勝ちたいときに使うのだ。王道麻雀を打つイメージの強い人ほど、皆が警戒してオリ打ち/まわし打ちをしてくることだろう。まっすぐつっこんでくる人はすでに最終形になっているのだろう。
 また、オーラスのダンラス目の親の立直などは、誰もが打ちたくない立直である。こういったものは待ちくらいがある程度の十分ならばかけてみても得することが多い。
 立直にベタオリする立直ガモを相手するときは、彼らがリードしているときはダマで直るのが有効だ。が、こちらに流れがないとダマの有効手を首尾良く張れない。こんなときは、どんどん足止め立直して彼らの本来なら全然全ツッパでOKな手を降ろさせ、いつかツモって流れ的に逆転しよう。
 和がり連荘のルールでは、親のこの立直はあまり見かけない。当然である。
 足止め立直にしか使えない手変わりのないクズ手を張っても、ダマでまわしてツモのみで蹴るか、危険牌を引いたら降りるなりまわして形聴でも狙うのが通常時の正着である。立直をしていたら即ヅモ裏3であったとしても、そんなことは滅多にないから期待値が低く、気にしないでいい。
 ところで、足止め立直には不聴立直もある。流れが絶対的に誰かに傾いているときに、たとえばドラ切り不聴ダブリーでもかけてゆさぶるのである。流局すればチョンボだが、ベタオリしてくることはある程度の相手だったら薄いから、たいてい大丈夫かもしれない。そして絶対的に流れをつかんだ人がミスするよう誘うのだ。 個人的にはこのハイリスクな戦術もひとつの戦術だと思っているが、世の中にはこれをひどいマナー違反だと考える人もいるらしい。振り聴立直を無条件チョンボ立直/不聴立直と同じ扱いとするルールを好む人は最終形立直のみを立直として麻雀をしたいのだろうから、納得ができる。

 7)景気付け立直
 その日の一半荘目で東場の一局目は、自分の状態がわからない。こんなときに、まだ東場で何か打ってもとりもどせる自信があれば、適当に立直を打ってみる。運試し、というやつだ。この結果に応じて、半荘の試合作りを考える。
 また、流れがないときは、なかなか最終形まで行かないまま当たり牌をつかまされて終わる。こんなときは、たとえば二人が序盤に「1」を切っているときに都合よく「山に3は生きているさ!」と考えて「12」で待って立直ドラ1くらいを打ってみる。これが即ヅモできたりすれば流れが回復するのでよい。 特に、普段は嫌ってしまうようなメンツがかぶるような構成でツモが来ている時に景気付けにこういった立直を打つのはトリッキーな戦略である。判断がズレルとハコ割れ終了するので、
 この立直は、4)の足止め立直としての立直を兼ねて打てるとよい。
 当然のことながら、立直ガモがいるときはじゃんじゃんこの立直をかける。

 8)過立直
 ダマなら容易に出てしまうところを立直をかけることによってベタオリされたりしてしまうのは、立直の効果が負にあらわれているのであって、実にもったいない。わざわざ千点払って罰符以上の収入のある手を和がれなくしまう立直を、過立直と呼ぶ。その過立直に気付かずに立直せずにはいられない人を、立直中毒者と呼ぶ。
 過立直気味でも、ツモれれば問題ない。この種の立直の失敗は、ツキが来かけているがまだ確固たるものでないときによく起こることである。
 待ちにツモれる自信がないのに立直ガモなどに対して立直を打ってしまうのは、過立直症候群と呼ばれる症状である。たしかに彼らはベタオリするが、ダマで不聴罰符以上ありダマならすんなり出してくれそうな雰囲気で立直を打つのは明らかに損である。
 また、流れがかなり傾いてきていて、あと一歩で最終形だというのにそれに気付いてか気付かずか立直を打って手の成長をとめてしまうのも、過立直症候群の症状のひとつである。確かに流れはあるので、それはそれで悪い結果にはならないのだが、これでは本当の独走はできない。
 また下手をすると流れを失うきっかけともなる。例えば、「23467(4(5(6三三六七八 ドラ五」という手を立直して、「五萬」を引いてきて他家の「五萬単騎」や「二−五萬」に放銃するのは、典型的な過立直である。
 状況判断を誤って、足止め立直したあとに勝負されるのも過立直症候群。特に、待ちが不充分なのにその不充分さに気付かずに「これが最終形立直だ」と思って分の悪い勝負をすることになってしまうのは、重症といえる。
 子の「6)足止めブラフ立直」は、景気付け半分に親蹴りの意味も含めてやることとなろうが、何も自分が危険をおかしてまでそんなことをしなくてもいい、考える人は多いようだ。
 

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◎手役各論:棒聴立直 (目次へ戻る)


 棒聴立直とは効率を落とさずに門前最速聴牌を目指して指す打ち方をいう。「デジタル派」などというあいまいな言葉が出た当初は、聴牌効率を最大にして愚形待ちで早々と立直する戦略が意外と有効であることに気づかれてはやったものだ。(よっぽどまわりが打点重視で手を遅らせていたのだろう。)
 麻雀の戦略はいうなれば「速度」「打点」という相反しやすいふたつの要素のバランスをとりながら最大の期待値を求めることにある。棒聴立直は速度を重視しながらも立直による一発・裏ドラで打点の可能性をひろげていく手だ。

[分類]
-純粋な棒聴立直: 最終型・打点に全くこだわらず最速門前聴牌を追求し立直をかける。当然愚型が多くなり打点も低めになる。ブラフ立直も呼ばれる。立直にベタオリしてくる展開や、最速方針の他家が1人以上いると予想されるときは有効だろう。

-最終型or打点に目標をつける棒聴立直: 1.両面待ち, 2.表ドラ以上1(または1翻役以上)内蔵, 3.先制聴牌(または6〜7巡目聴牌まで)のうち2つ以上を満たす、など個人個人・その局ごとで棒聴立直に踏み切る条件をつける。
2.は、ツモ裏1(裏は30%前後のる)で満貫になるという可能性をとりたい意図である。立直のみと立直+1翻では得点期待値が大きく異なる。

[ルールによる有利不利]
-一発、裏ドラに祝儀がついているルールが大きく、当然ながら有利さが格段にあがる
 打点が飛躍的に上昇するからである。祝儀1枚5000点相当で表ドラ1で立直(のみ)をかけたときの差をみれば歴然
  なしルール:2600点〜裏ドラ1で8000点、裏複数+一発でせいぜい12000点程度
  ありルール:2600点〜一発ツモまたはツモ裏1で祝儀あわせて23000点程度、裏複数+一発のツモ和がりなら72000点程度までみこめる

弱点はやはり十分手の他家に全ツッパされたら割損な勝負をしいられることにある。他家が何人むかってくるかを予想することが重要となる。またそれ以前にその局のテーマを考え、失敗と成功のリスクを天秤に考えることが重要。

 

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◎手役各論:平和とエリア論 (目次へ戻る)


平和は喰い仕掛けと比べれば遅いが、使用可能牌も多く(役牌以外すべて利用可)面前手のなかでは早くつくることができて、高打点・高確率ツモ・めくりあいの高確率勝利も期待できる。また両面確保後は牌を抑えながら打てるため守備力・速度あわせ力も高い。
平和のつくり方のポイントには横にひろげる両面重視の打ち方と、字牌・喰いタンをケアした絞り、トイツ場への対応がある。
頭を先にひとつ確保する必要がある。棒テンと天秤するときも1〜2トイツまでとし3トイツ以上はほぐすのが基本。(ダブルメンツ[5566など]は状況次第)

平和は順子を四つと頭ひとつを作る作業だ。平和を狙うというよりは、結果的に平和がついてくることの方が多い。ここでは「両面待ちの十分打点の門前聴牌」をつくる方法について簡単に述べる。

1.手牌をみたらまず有力メンツ候補(出来メンツか両面待ち)がいくつあるかをまず数える。両面待ちは振り聴でも構わない。両面待ち(最大8枚)は場に7枚切れるまでは有力候補として扱っていい。有力メンツ候補は基本的にはずさない。
   例:六七七八3)4)5)25579北 →六七、七八、3)4)5)のみっつ。カンチャンやその他の複合型(リャンカンなど)は数えない
   例:六七七八3)4)5)25579北 ツモ3[自分の捨て牌に1がある]→打北で六七、七八、3)4)5)、23のよっつ、と数える。23が聴牌時残るケースは少ないが、残った場合そのまま聴牌をとるかは考えておく。振り聴回避が重要ならば23はキープしつつ他のメンツ候補を得て振り替えることを考える。
   例:六七七八3)4)5)235579 [六が2枚、九が3枚場に切れている]→七八が一見つらく感じるがまだ六九が2枚残っているので両面はよっつと数える

2.雀頭がすでにあるのかないのかを把握しておく
   例:六七七八3)4)5)25579北 →55 に一応ある。七七は上で両面候補にあげているので第一候補にはならない
   例:六七七3)4)2235579北 →七七、22は両面として使うので現時点では雀頭候補ではない。55が現時点では雀頭候補で両面は六七、3)4)、23のみっつ。4,6引きなどで55が雀頭候補から外れる場合がある。
   例:六七七3)4)123556北中 →対子部分はすべて両面候補なのでどれが雀頭候補ということもないが、ふたつ以上対子があれば手作り上とくに気にしないでも自然に雀頭が決まっていく場合が多い。

3.四メンツ1雀頭つくるわけだから、足りない雀頭、メンツをどこに求めるかを考える
   例:六七七八3)4)5)25579北 →3),5)に2)or4)or6)を引けばもうひとつ両面ができる。2に3を引くか、5に4を引けば両面ができる。5,6,8を引いてダイレクトにメンツができてもいい。
   例:六七七八3)4)5)2579北中 [西家] →頭候補がないので北も現段階で有力雀頭候補。打中として平和がつきやすくなるようにしておく

4.四メンツ1雀頭の候補がそろったならあとをすべて余剰牌として+αを考え、進展のある牌を残してゆく。基本的に手牌に必要な牌を残せば間違いはないが、手牌に不必要でも他家への絞りやオリを考慮した牌の残しによる打ち回しもできる。
   例:三四五3)4)6)255788北 ツモ3[北2枚切れ]→これ以上孤立牌からつくりたいものも特にない。打6)として安牌確保
   例:六七八2)3)2355678北 ツモ6)[北2枚切れ]→6)を残すと三色目になる/赤5)の受けができるメリットがある。安全牌を持つか振り替えを狙うかは場況次第
   例:六七八2)3)6)2355678 ツモ中[ドラ中でション牌, 6)は下家がきってるのみ]→打6) 中の重なりをみながら場況にあわせて勝負〜オリまで考慮して打つ

5.イーシャンテンまでに最終型に良型が残るような工夫をする
   例:六七七八八3)4)5)5579北 ツモ7)→打北 7)に6)or8)を引いて両面ができたら79と入れ替える
   例:六七七八八3)4)5)22579 ツモ7)→打9 このままでは50%愚型聴牌してしまう(引っかけにはなれども)。孤立牌7)へのくっつきおよび5への4引き[45]の両面確保を狙う。一時的に聴牌になる受け入れが減っても、その分聴牌後の愚型勝負を避けられるから十分メリットがある。(愚型でも先制の方がメリットが大きいケースは多い。しかしこの良型最終型狙いの打ち筋はそれほど速度は落ちない。十分先制をとれることが多い。)

3.の段階ではなるべく山読みして、山に残っているエリアに寄せていくことが大切。
5.の技術はツモで祝儀がオールになる今日のルールでは特に大切だ。両面立直率8割も容易に達成できる。

[ルールによる有利不利]
ツモ平和なしのルールだと当然平和を追うメリットは下がる。
門前祝儀(門前でしか赤一発裏に祝儀がつかない)や立直祝儀(立直しないとつかない)ルールだと強くなる。
振り聴立直ありだと有利になる。
 

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◎手役各論:七対子・対々和・四暗刻 (目次へ戻る)

 (この稿は空白です。時期以降のバージョンで追記する予定です。)
 

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◎手役各論:全帯公・純全帯公 (目次へ戻る)

 (この稿は空白です。時期以降のバージョンで追記する予定です。)
 

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◎手役各論:役満 (目次へ戻る)

 (この稿は空白です。時期以降のバージョンで追記する予定です。)
 

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◎手役各論:染め (目次へ戻る)

 (この稿は空白です。時期以降のバージョンで追記する予定です。)
 

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◎手役各論:断ヤオと喰い断 (目次へ戻る)

喰いタンを基本に進める。トイツを確保してポン可能であり速攻可能。
しかし使用可能牌は全牌の半分以下しかなく、自力ツモのみでは遅い上に他家にまわされやすく、もたついて他家リーチの先行を許すと憤死しやすい。待ちの牌種も28牌が最高種であり、うまく牌の分布にあわせて待てないと弱い。タンヤオ牌にドラがあるとき他家に脅威となりやすい。両面で待てることと赤5が使用できることよりチャンタ系よりはるかに優位を保つ。
クズ手で親連荘せざるをえないとき、12と辺張があれば1だけきって重なりやくっつき(22や24、23となっても4ツモ待ちか鳴きに使える)を待つ。役牌タンヤオ天秤で打てばなんとか形を間に合わせられることも多い。
面前タンヤオはおもに複合役であり、棒テン等に結果としてついてくるものであり別頁。

 

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◎手役各論:オープン立直 (目次へ戻る)

 オープン立直、略してプンリーというルールについてだが、追っかけオープン以外はとてもバランスのとれたルールだろう。
 ローカルルールなので詳細を説明しておくと、通常の立直と同じモーションで「オープン立直」と言ってオープン立直をかけ、待ちの部分(ルールによっては手牌全部)を開けてしまう。他家には待ちがばれるかわりに、オープン立直だけで二飜ある。(通常の立直よりも一飜高い。) ただし、故意の指しこみを防ぐため、オープン立直者への他家の振りこみは役満となる。ただし、立直者(オープンでもクローズでも)が他のオープン立直者に当たり牌を引いてきて振りこむのは故意の差し込みではないから、二飜で計算する。 つまり、通常はオープン立直・ツモの三飜はほぼ確定する。  ところで、振り聴立直なしのルールでもオープン振り聴立直はありにするというところもあるらしい。(これは要するに、振り聴立直で意味なく降ろされると言う事実をなくすという意味があるのだろう。)

 さて、オープン立直をかけるメリットはどこにあるか。
【プンリーのメリット】
 1] オーラスなどでどうしてももう一飜ないと逆転できないときや、振り聴立直なしのときなどにどうしてもツモアガリせねば逆転できないときにオープン立直をすることによって逆転を確定できる。
 2] 直りたい相手が立直をしているときにプンリーで追いかけることによって、得点が増える上に直を確定できる。(ツモった場合は仕方ないが。)
 3]クズ手をオープンさせることによって満貫くらいまで上げることができる。
【デメリット】
 一点でまわされてしまう。(クローズなら切られないであろう各種危険牌が一発目からすべて切られる。)

 このメリットの2]が格段に大きい。サシウマがかかっていてなぜかプンリーアリの時は、サシウマ相手のクローズ立直にはすべてオープン追っかけだ。
 そして、デメリットはあまりに大きい。自分の捨牌を読んで本命スジが一本しかないならばオープンし得だが、それ以外のほとんどの状況においてオープンは損である。
 ところで、それだけ立直どうしでケンカするときに有利なオープン立直だが、そんなオープン立直にクローズで追っかけるところがあったら、まず出和がり期待の変則ひっかけ待ちが濃厚となる。もし本当にそうなら、かなり人を馬鹿にした立直だ。七対子のときに赤なしルールだとプンリーは倍満と三倍満のラインでしかプンリーの一飜分がかわらないため、クローズが主体となる(ただし、振り聴立直なしのときにツモ確定したいときはその限りではない)。結局変な待ちには違いない。
 3]の意図でのオープン立直は、残りの親番がなくて点数の欲しい人などに見かけるが、多くは苦しいものである。まずツモりやすい待ちに寄せることは必須だ。山に残っていない、使い切られている牌で待っても、誰もつかまえて降ろせない上に自分もツモれない。ノミ手でも、がんばって一発でツモれば満貫は満貫だ。(たいていこのようなオープン立直が必要になるような状況ではそううまくいく流れではないが。) ところで、これを東場の景気付け立直として行うのはリスクが高い。ツモっても1000,2000かもしれないのだがら、なんらかのことで一人聴牌で1000オールでもほとんど変わらない(リー棒分損)ことを考えれば、クローズ足止め立直の方が得だろう。(それすら立直ガモでない人にはリスキーだが。)
 あと、ツモり三暗をオープンするのも考えものである。あれは他家を足止めしてツモる時間を稼ぐ意味を含むので、オープンしてはさすがに負ける。なにより待ち牌が少ないオープンはよろしくない。
 

 ところで、オープン立直には手牌全部をオープンするルールと待ちの部分だけオープンするルールがある。(筆者.の仲間内では後者でやっている。)
 前者は、一人の手牌が全部オープンされると、もう一人の立直者とかの手牌が格段に読みやすくなってしまい、先行クローズ立直への追っかけオープンがさらに有利になってしまう。
 後者でやるときは待ちの開け方に微妙なときがあることを覚えておいてほしい。
「23456789一一一中中」 ドラ白
をオープンするときは「23456」を開ければ一見いいようだが、実は「7」で立直者から出和がるとき(二飜で当たるとき)にペンチャンにとってテンパネする。だから、この場合は「23456789」を開けないとまずい。 また、「1123」とかの待ちも「23」ではなく「1123」を開ける必要が出てくる。(単騎にとれるため。) 待ちを開け損なったらチョンボ(ノーテン立直扱い)でやるものだが、これらの例でチョンボにするとすると初心者にも味方になるはずのオープン立直がやたら難しくなってしまって残念なことだ。

 ところで、オープン立直している人の当たり牌をわざと切ってトリロンや頭ハネで役満にならないケースというのは漫画以外にあるのだろうか?

 

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−後書き− (目次へ戻る)

(ver0.8出版時)ver0.8より、新項目追加時のバージョンを目次に追加するようにしました。ただし、大きくバージョンがあがったときはその記載を削除することがあります。
 今後もバージョンアップを続けて行くでしょう。現段階ではまだ書くことがあります。いずれ一通り書き終わったら、完成バージョンとして出版し、しばらくアップロードしなくなるかと思います。その後は文章を推敲して読みやすくする努力をするかと思います。



(ver1.0出版時)加筆に加筆を重ねてとうとうversionも1.0になってしまいました。これは完成バージョンとして出版します。もちろん、まだ加筆は続けます。
 毎回いつ加筆しているかというと、たいてい自分として納得のいく麻雀が打てて帰宅したあとの眠くなるまでの時間です。
 勝ったときくらいしか、堂々と書けないのです。去年の後半は何回勝ったかわかりませんが、負けたのは片手で数えられるくらいだったと思います。だから更新も結構できました。大負けしたのは一回ぴんのフリーで万券1いってまったときくらいしか記憶にありません。あればかりは実に情けないミスだったのですが、それについてもいずれ触れるつもりです。  仲間内では赤を入れないのが主流です。(赤が入っていても無視して打ってます。)ぴんのフリーで負けたとき、赤祝儀だけで一半荘で5、6000円とられたことがあって、赤を敬遠したい気分を抱えました。でも巷の雀荘には赤のないとこなど全くといっていいくらい見かけません。K_Co.は名古屋の人です。仲間の性格はほぼ掴んでいます。だから滅多に負けません。仲間内でどっかで手積みでやれば、場代がかかりません。経済的です。(名古屋の雀荘は高いところが多いのです。)だから、いつもは仲間内で打つことの方が圧倒的に多いのです。
 01/04/1999は、東京から名古屋に帰ってきていた高校時の同級生と打ちたかったのですが、たまたま面子割れしました。5のフリーで打ってきました。六半荘やりながら赤についてよく考える機会になりました。そして、三半荘連続トップで二着二回の原点の三着という成績が、万券バックが、執筆意欲をおおいに駆り立てました。
 
 この麻雀学は、そういう経緯を経て書いてきました。すべて実戦の中で思ったことや感じたことがメインです。つまり、友人やらその他の人の心の牌と点棒が文字になっています。
 麻雀の戦略はプロが考えるもので、我々趣味の麻雀はプロ(他人)の戦略をもとにやればいい、という考えがあります。競技プロの麻雀は、主に競技プロ同士で打つものです。(プロも我々と打ちますが。)我々が我々同士で打つ麻雀は、もっとレベルの低いともいえる、日常的で人間的なものなはずです。そこの現場から生まれる戦略を我々が考えるのもまた意味があるのではないでしょうか。
 読んでくれた人には感謝します。ただ、ここにいくら文字を載せたところで、それは自分の範囲を出られないのです。これを読んであなたがどう思ったのか、むかついたのか、そうならどこがまずいのか、ということが知りたい一心です。どうか、感じたことを率直にお送り下さい。
 以上を、ver1.0時の完成版のあとがきとしてここに閉じます。



(ver1.1出版時)このファイルの編集も、Ado#ePa#eMil#2.0J(使用しているWEBページ作成ソフト)ではPentiumII 300Mhz,メモリ128MBで重いので、どうやら限界なようです。次回バージョンでは章別か内容別にページをわけるかもしれません。

 最近、他家三人ともが押せ押せ本命バリ通しなところで負けました。自分の効率のいい立直も、追っかけられて一回もツモらないままに他家が追っかけに振ってしまっては、ぽしゃってしまいます。(彼らがコンビ打ちの可能性はまずありません。)とりあえず自分も押したのでは、勝つか負けるか運任せになってしまいます。事実、跳満を張って跳満にオナ待ちをツモられ、倍満を張った瞬間当たり牌を引いて泣きながら満貫に打ち込み、あとは最低運気流に乗った最悪配牌が来るばかりになって崩れました。本文中にも書きましたが、こういった三人と打つのはこれまで避けてきました。特に、レートが低いと死を恐れない狂戦士になってくるので、辛いです。こういったときはどうしたらいいのか、模索中です。

(ver1.3出版時)今回は、全く内容に手を着けずに、ファイル分割だけでバージョンをとりました。それは、編集ミスによって原稿が落ちている可能性があるので、混乱を避けたかったからです。ファイルは二部構成とし、ハイパーリンクで結びました。目次ページだけで一ファイルとるかは悩みましたけど、オフラインブラウズ/印刷の簡便性を考えて、今回は第一部の冒頭につけてあります。第一部・二部にわけたのは全くの形式上のもので、ver1.2の順番を途中で切ったにすぎません。内容的には分かれていません。しかし、いずれ加筆を重ねて内容が系統的になってきたら、そこであらためて大編集を行いたいと思っています。そこでは、おそらく「第一巻:手作り」「第二巻:状況判断」「第三巻:読み」といったように名前をかえるかもしれません。 もともと一つのファイルで簡便に取り扱えていたものが、たかだかテキストオンリーのファイルなのにスペック的な壁にあたってしまったのは、非常に残念に思います。現在のインターネットは、パソコンの処理能力に比べて貧弱すぎるようです。
 本バージョン更新の時期に、「麻雀頁メーリングリスト」が開始しました。同じくして麻雀関係のHPを管理されている方々の意見は、K_Co.麻雀学のHP上の管理において少なからぬ影響をあたえてくれます。開設してくれた方、参加されている方にK_Co.は格別の感謝の念を抱いています。
 又、読者の方々の声も、掲示板や個人メールで今まで多数いただきました。「ありがとう」という声から批判の声まで、K_Co.はそのすべてに感謝しています。最初から今まで、ずっと自分の利益をこの麻雀学作成目的の中心においてきましたが、皆様への情報提供という側面も、もはや無視できなくなりました。
 麻雀について、まだまだ書くことがあります。更新は続いて行くでしょう。(ただし、やる気と時間の保持が別問題としてありますが。)

(ver1.6出版時)今回から、麻雀の基礎的な考察を加えることとしました。今までのものが、いろいろなところで教わって修得した麻雀技術であったのに比べて、これらはあたらしい試みです。
 昔の後書きに、付け加えることがあります。
 僕は「(麻雀に)勝ったときくらいしか、堂々と書けないのです。」なんて書きました。しかし、もうひとつ、書きたくなるときがありました。それは、みなさんから、感想や応援のメールをもらったとき、掲示板に書き込みがあったときです。そういった声(批判も含めてです)には、本当に感謝している次第です。

 

(ver1.8出版時)この麻雀学を置いてあるHPが、胴元のジオシティーズから「特選Eリスト」に選ばれました。


(ver1.9出版時)インターネットマガジン99年7月号に当HPが掲載されることになりました。

(ver3.00出版時)たいへん久しぶりの更新です。この四ヶ月、まだ書くことはあったのですが、書いても自分としてあたまえに思っていることで、ただの作業になるからつまらなくて書いてませんでした。しかし、それとは別に、「見」に対する見解が固まったので、書きました。
 また、僕は麻雀においてあらたな課題がはっきりしました。それは、立直とダマのバランス、そして染めです。
 まえまえからブラフについて書こうと思っていたのですが、僕はブラフはまだ書けるほどの習得には至っていないと思います。僕はブラフをしない人ではぜんぜんないのですが、効果を実戦で再現可能に体験していないから書けません。よくよく考えると、ブラフというのは相手が手を曲げてその効果とするもので、実戦で打っていると、どこまでその効果があらわれているかは相手の手を必要のないところまでそうとう読んでおかねばはっきりしません。だから、東風荘でつわものの人に相手してもらってあとから牌譜を見るか、人がブラフしている効果を見るかしないと、なかなか効果をはっきり見ることはできなさそうです。
 今回は、バージョンを3.00としました。なぜ2.Xにしなかったかというと、これは、僕のいままでの麻雀からあらたな一歩の駆け出しとしての意をこめてです。(3.0でなく3.00としたのは、急いで第三部の追加作業を行ったので、さまざまなリンク上の不具合があるだろうと思っての訂正用です。)
 ところで、今回、以下のようなご意見を頂戴しました。

>>内容から判断して、・・・
>>学とはちょっと趣が異なるように見うけられます。なぜな
>>らば学として実戦体験を基に何かを提唱するならば、そのデータを示し客観的に
>>論証する必要があるからです(つまらないし,めんどくさいことです)。

 それに対して、僕は以下のように返答しました。

> たしかに僕も、今の内容は「学」というには及ばない、ただの噂の羅列に感じま
>す。しかし、僕が麻雀について考えるところの最終目標は、戦術論ではなく、やはり
>「麻雀学」です。僕のあのホームページへの認識は、「僕のプライベートな作業場、
>研究室」、というものです。決して、「僕の意見の世間への発表・主張」ではありま
>せん。
> ところで、「学」というのは「学問」のことですが、それは
>「一定の原理によって説明し体系化した知識と、理論的に構成された研究方法などの
>全体をいう語。」(大辞林)
>とされます。
> 僕は、麻雀についてちゃんと考えるには、まず、現在個々の麻雀打ちがバラバラに
>持っている知識・技術を無視するわけにはいかない、と思い、その集積をはかりまし
>た。それが現段階です。それはすなわち、僕が見につけてきた麻雀技術でもありま
>す。
> 僕はここで麻雀に対する研究を終えるつもりはありません。これから、その、理論
>的なものもそうじゃないものも含めて、個々の正当性を検証し、そして体系化しよう
>と思っています。そして、さらには自分であらたな理論も発見できたら、それも検証
>・発表してまとめます。
> 「データを示し客観的に論証する必要」はもちろんあると思います。科学の基本的
>な研究モデルとしては、
>1.実験・観察の結果を検討して仮説をたてる。
>2.そこから可能な諸命題を演繹し、ついでこの諸命題の実践的検証を行う。
>3.その結果が肯定的であれば、仮説は受容されて理論として成立するが、検証の結果
>によっては仮説の修正が必要となり、結果が否定的であれば、仮説は破棄される。
>というステップがあると思います。
> これでいえば、僕のホームページは多くがまだ1.の段階にあります。「実験・観
>察」にあたるところは、「実戦」です。 実践的検証の方法は、データをとったり、
>他にも方法があると思います。(僕は理系学生なので、この辺についての教育は現在
>進行形で受けているつもりです。)

> それと、前述したように、僕のあのホームページへの認識は、「僕のプライベート
>な作業場、研究室」、というものであって、「僕の意見の世間への発表・主張」では
>ありません。しかし、僕は、あの暫定的な状態を公開することによって、人からさま
>ざまな意見をもらえるのではないか、と思って公開することにしました。結果とし
>て、数多くの人からいろいろの指摘を受けられているので、僕はとても有意義に感じ
>ていますし、××× さんも含めて、コンタクトしてくれたすべての人に感謝し
>ています。(もともとただの趣味でやっているだけのことなので、「強要」以外はす
>べて受け入れられるのです。)

 しかし、実際のところ、「麻雀学」という名前をつけるのはとても僭越なことだと思っています。最初につけたときは、たんなる思いつきのネーミングであり、深い意味は考えずにこれとしました。
 でも、ひとりひとりの麻雀打ちが独自の打ち筋を持っているように、いろんな「麻雀学」が存在してもいいと思います。あくまでも、この「麻雀学」は僕の麻雀学に過ぎません。

(ver3.20出版時)19Hという雀荘での大会に優勝しました。やはり麻雀は、三人とも厳しいメンツとやってはじめて得られるものがたくさんあります。ミス・弱さを許さない麻雀をやる環境の、何と少なく、そしてとたとえあってもハイリスクな環境しかないことでしょう。19Hはそんななかでローリスクにその環境を得られるところです。優勝は終わったことを全く意味しません。逆にそれはひとつのスタートラインです。まだまだ19Hで得るべきことは無限にあります。いつか、その環境でまったく迷いがなく打てるようになる日をもってくるのが当面の目標です。(ただ、個人的忙しさでなかなか毎回参加できる状況にないのが残念。)麻雀学もそれにあわせて加筆されることでしょう。

(ver3.30出版時)このたび、(株)工学社さん発行の本「I/O別冊 ギャンブラーたちの方程式 麻雀編」に、「K_Co.麻雀学 ver3.20」の「麻雀投資論」「役読みについて」「待ちのよしあしについて」三稿が全文転載されました。これによって、またあらたな人たちと麻雀について意見が交換できるといいと思っています。また、いままで見てくれていた人たちにも熱く感謝の気持ちを抱いています。

(ver3.50出版時)6年ぶりの更新です。ずっとサーバーとしてこのホームページをおかしてもらっていたGeocitiesは2005年に期限付きの移転作業を強いており、それを行わなかったK_Co.(気付きもしなかった)は、旧http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/2319/において更新も削除も何もできないようになっていました。今回は、やむなく有料サーバーへと移転しました。有料である分、若干の広告でも入れてサーバー費用と麻雀費用を捻出することも考えています。
この6年でインターネットを取り巻く環境は大きく進歩しました。予想通り、誰しもがインターネットを利用する時代となりました。しかし麻雀を取り巻く環境は、あまり変化ないように思います。せいぜい、配牌まで自動でとってくれる全自動雀卓が出てきたくらいでしょうか。
ネット麻雀を舞台に、麻雀を科学的に分析しようという個人的な試みをされた方の著作が発表されています。押し引きの期待値についてもグラフが発表されました。しかしそれを判断するためには、やはり今までのような相手の和がり点を推し量る能力等は必要なようです。詳細については後日また論じたいと思います。
そしてこの6年で自分の麻雀技術は、ほんのわずか進歩したか、というくらいです。しかし仲間内のメンツやちょっとしたフリー以上の世界で打ってみることで、果てしなく広がる麻雀の強豪の世界があることを実感してきたような気がします。そしてそれが、今回再びこの麻雀学の執筆を再開しようと思った強い動機でもあります。


(ver3.60出版時)また4年ぶりの更新です。2005年に「科学する麻雀」がでましたが、その後6年もたって巷の麻雀レベルはあがったと思います。いままで「強い」とされていた人の判断には根拠があたえられ、広く常識化されました。この麻雀学もすでに古い内容を多く含んでおり、ざっと読み返してももうout of dateで全面的に書き直した方がいい気もしました。しかし面倒ですし、初級〜中級の内容はまだ読まれて意味のあることもありますのでそのままとしました。

−history−
09/30/1998 執筆開始
10/01/1998 初版(ver0.1)出版
10/11/1998 加筆:新項目追加、及び若干訂正
10/23/1998 大幅加筆・新項目追加、若干の訂正
10/27/1998 加筆、タイトル変更
11/02/1998 暫定HTML化、アップロード(ver0.2出版)
11/05/1998 ページ内ジャンプの作成、加筆、アップロード(ver0.3出版)
11/10/1998 内容訂正、加筆(新項目追加)、アップロード(ver0.4出版)
11/11/1998 内容訂正、加筆、アップロード(ver0.5出版)、筆者の誕生日
11/26/1998 配色の変更(ver0.51)、内容訂正、アップロード(ver0.6出版)
12/10/1998 大幅加筆(新項目追加)、ver0.7とするもWin用Ado#ePa#eMil#2.0J(使用していたWEBページ作成ソフト)が保存寸前に「不正な処理」を出して喪失
12/11/1998 ver0.7時の加筆を部分的に思い出しながら加筆(新項目追加)、アップロード(ver0.8出版)
12/20/1998 加筆(新項目追加)、細部訂正、アップロード(ver0.9出版)
01/01/1999 微訂正(ver0.91)
01/02/1999 アップロード(ver0.91出版)
01/05/1999 加筆(新項目追加)、アップロード(ver1.0出版)
01/25/1999 加筆、新項目追加、誤字訂正、アップロード(ver1.1出版)
01/26/1999 加筆(新項目追加)、訂正、アップロード(ver1.2出版)
02/17/1999 ファイル二分割編集、アップロード(ver1.3出版)
02/19/1999 加筆(新項目追加)
02/20/1999 加筆(新項目追加)、追記、アップロード(ver1.4出版)
03/14/1999 加筆、推敲・訂正、アップロード(ver1.5出版)
03/15/1999 推敲・訂正、加筆(新項目追加)、アップロード(ver1.6出版)
03/23/1999 誤字訂正(M.K.氏に感謝)、アップロード(ver1.61出版)
03/29/1999 誤字微訂正、加筆(新項目追加)、アップロード(ver1.7出版)
04/21/1999 誤記訂正
04/29/1999 推敲・加筆、アップロード(ver1.8出版)
05/28/1999 加筆、アップロード(ver1.9出版)
06/03/1999 加筆、アップロード(ver2.0出版)
08/10/1999 誤字訂正(ver2.01)
10/23/1999 加筆(新項目追加)、二部構成→三部構成、アップロード(ver3.00出版)
11/30/1999 加筆(新項目追加)、アップロード(ver3.10出版)
01/14/2000 加筆(新項目追加)、推敲・訂正、リンク訂正、アップロード(ver3.20出版)
03/24/2000 加筆(空欄項目執筆)、アップロード(ver3.30出版)
05/24/2000 加筆(新項目追加)、アップロード(ver3.40出版)
03/21/2001 加筆、推敲・訂正
03/06/2007 加筆(空欄項目執筆)、アップロード(ver3.50出版)、推敲・訂正
08/23/2011 加筆(空欄項目執筆)、アップロード(ver3.60出版)、推敲・訂正

制作・著作:K_Co.

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