K_Co.麻雀学 ver 3.6
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内容的な部分けはしていません。すべてを足して、ひとつとします。

第一部目次】【第二部目次【第三部目次】
第一部冒頭】【第二部冒頭【第三部冒頭】

【K_Co.麻雀学 第一部 index】
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◎このページについて
◎麻雀投資論(!Update at ver3.5)
◎手作りについて
◎ワンチャンス・ノーチャンス
◎麻雀総論(未完)(!Update at ver3.0)
◎スジ読み
◎複合多面待ちについて
◎あがり牌の残り枚数とあがる確率について
◎待ちの善し悪しについて
◎役読みについて
◎早い立直への対処
◎立直一発ロンを狙う −立直時の待ちの善し悪し−
◎ツモを狙う −山にある牌への読み−
◎立直後の事故を予測する
◎裏ドラ理論
◎スジひっかけについて
◎役ひっかけについて
◎山越ひっかけについて
◎ひっかけの有効性
◎ドラの所在について

【K_Co.麻雀学 第二部 index】
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◎牌の押さえについて
◎オリ打ちについて
◎ダマへの読み
◎経済感覚
◎純粋な手作り

◎受け入れの善し悪しについて(未完)
◎対子場
基礎考察:◎牌の枯れと対子場(順子のでき易さ)
Update! ◎理牌からわかる読み(!Update at ver3.6)
Update! ◎挙動について(!Update at ver3.6)
◎ルールの有利・不利 (セット打ちの場合)
◎赤5の考察
◎運気について
◎カモりの麻雀(!Update at ver3.4)
◎カモらない麻雀(since at ver3.4)
◎カモられない麻雀[セオリー習得のモデル](since at ver3.4)
資料:◎数理的性質別麻雀牌二種組み合わせ表
資料:◎順子待ちメンツ評価シート
◎追記事項
【K_Co.麻雀学 第三部 index】
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Update!◎鳴き総論(!Update at ver3.6)
Update! ◎目標、テーマ、モード(!Update at ver3.6)
◎「見」と性格

◎上級者と打つ/上級者を打つ
NEW!3対1理論、速攻vs打点(!Update at ver3.6)
◎槓について(since ver3.5)
◎手役各論:立直とダマ、過立直症候群(since ver3.4)
NEW!◎手役各論:棒聴立直(!Update at ver3.6)
NEW!◎手役各論:平和とエリア論(!Update at ver3.6)
◎手役各論:七対子・対々和・四暗刻(空白; announcing since ver3.0)
◎手役各論:全帯公・純全帯公(空白; announcing since ver3.0)
◎手役各論:役満(空白; announcing since ver3.0)
◎手役各論:染め(空白; announcing since ver3.0)
NEW! ◎手役各論:断ヤオと喰い断(!Update at ver3.6)
◎手役各論:オープン立直
−後書き−

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第一部

− 本 文 −
◎このページについて (タイトルへ戻る)
 
この文章は、自分の数年分の麻雀の技術についての記述です。
自分個人としては最初、自分自身の麻雀技術の定着・改善に役立つと思って文章化しました。しかし、この文章を公開することについては悩みました。公開することはすなわち、自分が所詮こんくらいのことしかわってないという露呈でもあるとともに、身近なメンツにこれを読まれたとき、自分の思考パターンが読まれて対局が不利になってしまうおそれがあるのです。WEB上をざっと巡回したところ、麻雀初心者へのページや仲間募集のページはあっても麻雀そのものの技術について述べたページが少なく感じました。麻雀技術を公開することへの抵抗は、みな同じく感じているのでしょう。
 あえてここにこれを掲載するのは、情報を共有することによる技術更新のメリットは大きいだろうと思ったからです。

 現在この文章は完成バージョンです。転載ご希望の方はその旨をご連絡下さい。

以上(タイトルへ戻る)

◎麻雀投資論 (タイトルへ戻る)

 以下は、一・二半荘で勝負を決める短期戦の勝敗についてではなく、長いスパンで見た麻雀のトータルを重視する場合の、「完全安牌でない牌への投資」の話である。これはすなわち、麻雀の”腕”そのものの部分ともいえる。
 麻雀において、どの牌が安全でどの牌が危険か、という基本的なことは技術、または知識として身につけることができる。当然のことながら、読みの深さが深まれば深まるほど牌の安全度の情報は増すし、精度も増す。それをつきつめることはまず麻雀に勝つための最も有効かつ必要なことである。
 しかし、それらの情報をどう生かすかというのは、また別の観念なのだ。
 麻雀をやっていると、「この牌を勝負して通れば和がれるだろう。しかし通るかどうかはだいたい察しがついても断言できない。降りたり回し打ったりする選択もあるが・・・」という場面に無数に遭遇する。その判断根拠となるのは、「この牌を打つとして、何回打って何回当たり、当たらなかったときはどれほど和がれるのか」といったものになる。それをひとつの数字であらわせば、それは「期待値」というものになる。
 その感覚は、書物で読んで身に付くものではない。実戦で多くのデータをとって「カン」を養うことが必須なのだ。それは、対局するメンツごとに違うものであるし、麻雀の牌の並びにおいても全く同じ状況などほとんどありえないことに起因する。毎回の「いくか、いかざるか」の判断こそが個人の強さであり、経験であり、いわゆる勝負カンなのである。
 麻雀の本質は、いかに他家に要る牌を切らずに自分のいらない牌を切るかにひとつある。そしてその二種の牌は多く「他家に要る牌=自分にいらない牌」となっており(というか他家がそういう方向に持ってくる)、その牌を切らないで降りる・まわすという選択肢がある以上、それは駆け引きだ。また、他家に持っていかれる覚悟をして切るというのは、それが通れば自分の和がりにつながるという見返りがあるわけで、これは一種の投資である。
 役満テンパイしてその危険牌をツモったら、相手の手が安い公算が高いなら、それが十中八九当たると読んでいながらにして打ってみる。当たらない可能性もあるのだ。これでたとえ当たったとしても、切らないより切った方が同じ状況を何度も繰り返せばトータルで絶対にプラスになる自信があるのなら、これは切る価値があるのだ。逆に、その状況を何度も繰り返すと何回でも当たる、もしくは数回当たるが相手の点数が高い、といったことによってマイナスになりそうだ、と思う。そんなときは役満テンパイなのに降りる。 これが投資の概念である。
 麻雀の技術には、その情報が百パーセント適用される場合(それはノーチャンス以外ないのが普通だ)と、そうでない場合がある。他家のテンパイに対して打つ牌には、百パーセント安全な牌(現物・オールノーチャンス牌)から、九割以上安全であると判断される牌、本命当たり牌、一家には安全だがもう一家にはわからない牌、等々いろいろある。それはテンパイに限らず、鳴かせることによって不利に働いてしまう牌もある。(本当の当たり牌は決まっている[答は一つである]のだが、その待ちを99.9%はあっても100%わかってしまったらそれは違う種類の麻雀である。)そして、とても確率が低い現象でも必ず起こる。それは確率の概念として当然のことで、全ての事象は必ず起こる時があって当然なのだ。 九割以上安全な牌、というのも、逆をいえば一割以下当たる確率のある牌なのであり、それが当たる場面もずーーーっと打っていけば一回はあるのである。現物があるのにこれを打って当たったのだとしたら、それは損な打ち方であろうか。例えば、それと同じ状況があって、百回切って二、三回しか当たらず、残りの九十何回を自分の和がりに結びつけることが出来るのならば、それは切って特をする牌だ。これが、投資という意味である。
 初心者の頃、「スジ牌は安全牌」と教えられて切ってみても当たるから、嘘だったのか、とスジ概念を捨てた一時期があった。その後、「スジは両面待ちに対してのみ安全」と知ったら、「どうやって相手が両面待ちって知るんだよ」ということになる。そして、結局つきつめてみても相手が両面待ちであるとするのは80〜90%確信できても、100%そうであると知ることは無理なのであるとわかる。しかし、だからといってスジの概念が使えないわけではない。読みの精度が高ければ、百回に一回しか当たらないし、たとえ当たっても安い公算が高いのなら、それは切る価値があるのだ。読めないのならば、スジ切りはハイリスクとなる。
 さて、その投資感覚なのだが、麻雀においてはそれはかなり保守的なものが有効であるようだ。短期決戦ではハイリスク・ハイリターンもよいのかもしれないが、麻雀には長い目で見ればローリスク・ハイリターンな場面がいくらでもあり、ハイリスクを選択するのはそれだけで明らかに損である場合がほとんどなことに気付く。これは非常に大事なことである。麻雀に勝っている人がいかに打ち込まないか、というのがこれを実証している。役満を張っていてもまず当たると確信できる牌をツモっておりてしまう行為は、ハイリスクを避ける打ち方だ。麻雀では、いかにローリスク・ハイリターンに打つかが大切なことである。
 降りる場合は、リスクは最低限(罰符程度)に押さえることが大事である。降りて振るという行為は、ハイリスク・ノーリターンであって、全く愚かな行為である。だから、麻雀のルールを覚えて次に覚えるのは、ベタオリ(完全に降りる方法)となる。しかし技術・知識を身につけて安全牌の幅を広げないとベタオリすら完全に出来ない。そういう時期は、「降りる」行為は選べない。常にハイリスクを背負いながらせめてハイリターンになるように打つしかなくなる。
 降りていても、相手はツモることができる。「降りる」という行為は、ツモが振り込みの四分の一の払いであることを考えると、「相手の和がりを四分の一の点数にして毎回打ち込んでいる」に等しい。麻雀は、完全に逃げることはできないのである。だからこそ、相手の手が高かったり相手がツモりそう(これも技術によって判断可能である)なら、打ち込みを極力回避しながらもツモられる前に回し打って和がってしまおうとする行為がまた投資となる。しかし、これは相当読みに自信を持って行わなければ、ハイリスク・ローリターンな行為となってしまう。 他家に勝負している人がもう一人以上いるときは、「相手の和がりを四分の一の点数にして毎回打ち込み」ながら、他家同士で打ち込み合うのをみるのが最も効率いい行為であることが多かろう。
 ある牌の安全度というのは、相手の性格によって実に異なる。極端な例として、ある相手がワンチャンスのときだけ立直をかけるのだとする。ならば、その相手の立直にワンチャンス牌は一般の逆として危険牌であるわけで、その他無スジが逆に安全牌となるし、立直をかけてこない間はワンチャンス牌が安全牌である。このように、一般常識はあくまで一般の最も大多数への最もスタンダードな状況において最も多く適用できる、というだけであり、メンツ・状況によって牌の安全度および投資レートはいくらでも変わるのだ。
 そして、その感覚はあらゆる一般技術を身につけた上で多くの対局をこなさねば身に付かない。また、相手のレベルによって変わるため、多く打ったレベルと異なる相手と囲むと判断し損ないかねない。それは、初歩レベルに慣れた者が上級レベルの者とを囲ったときでも、上級レベルに慣れた者が初歩レベルの者と打つ場合にもあてはまる。
 麻雀の基本技術を身につけていて、さらに投資感覚を持っているのなら、振り込みには納得の振り込みが多くなる。「ここで振り込んでも、同じ状況が何度も繰り返されればトータルで得している」と覚悟して打つからである。そういった無数にある状況判断がすべてあっているかどうかは結局のところ人の力だけではわからないのであるが、トータルで成功しているか否かはトータルで勝っているか負けているかでわかる。
 しかし、四人の打ち込みすべてが「納得の振り込み」である麻雀は各々の投資感覚の勝負でありトータル争いなわけであるが、それだけが麻雀ではない。ファインプレーや自分のミスによって「納得しない打ち込み」が多々あるのが我々の普通の麻雀だ。技術を修得していても、ちょっと気を抜くと「納得しない打ち込み」はしてしまう。そして、この打ち込みは投資の概念からいえば資源をドブに捨ててしまう行為に等しく、最も避けねばならないことである。逆に、この和がりは相手をして最も損な行為をさせて相手の技術への信頼を破壊する、最も有効な和がりとなる。オリ打ちを狙って「降りて振らせる」ことや、相手のちょっとした気の緩みを突いた和がりというのは勝つために実に有効な和がりなのだ。
 もう一つの有効な和がりは、相手の「しょうがない」部分を利用するのである。「これは振ってもしょうがない」と相手に思わせて、自分が和がるのだ。これは、相手が高い手の時(特に副露しているとき)に多面立直をかけたり、相手が打ち込みをあきらめている簡単な引っかけに毎回引っかからせたりして、相手の「しょうがない」振り込みを、なるべく多く他家へではなく自分へと適用させることにある。 しかし、これは相手の経済観念がしっかりしていれば、長く続けたときこちらが損をする和がりである。相手の技術が低かったり経済観念がおかしかったりするときだけ有効だ。
 ちなみに、少し前の時代には「出和がり重視・出和がりこそ勝つための麻雀」とするところがあったようだが、現代では「ツモ和がり重視」が主流である。迷彩などで人の裏をかく麻雀より、誰にも邪魔されずにツモ和がる方が効率いいと考える人が多くなっている気がする。

(この章に挙げた例示は、いずれ他の章に分散・追加する編集を行う予定です。)

 さて、以上のことに関して、再度 例を挙げて述べる。

 サイコロの丁半ばくちをするとしよう。
 丁に張っても半に張っても同じ確率になるのが普通だが、 今ここに丁が2/3、半が1/3の確率で出るイカサマサイコロが用意されたする。
 このとき、「半が出たら負けてしまう・・・」といって丁に賭けるのをためらうことはありえない、ふつう。
 しかしある人が、「丁」に三回連続で賭けたのに、三連敗してしまった。このことからその人が「丁に張るのはダメだ。」と結論づけた。これは賢い行為といえるか? ・・・違う。 確率上から言えば、そのまま半にかけ続けたとして、三連敗した後に六連勝するのが平均的な結果となる。
 結論として、「ここで勝負するのは、今回の勝ち負けに関わらず長期で見て有利」という判断があるということだ。

 では、上のイカサマサイコロの例で、「丁で勝ったら2倍戻し。半で勝ったら5倍戻し。」となったら、どうだろう?
 これには、期待値という評価概念が有用だ。
 期待値は、丁が 「2/3 × 2」 で 「4/3」、 半が 「1/3 × 5」 で 「5/3」。
 半に張る方が有利なことがわかる。

 確率は、事象に対して均等に訪れない。確率上どんなに有利な方に張っていても、数回やっただけでは負けることが当然の成り行きとしてある。しかし、確率の概念上「大数の法則」というものが立証されており、自然界は「おおくやればやるほど確率通りに事が運ぶ」ことになっている。
 上の例で有利な方に賭けて確実に勝ちを収めたいなら、何度も繰り返すことだ。
 (逆に、最初に確率以上に勝ってしまったら、続けて繰り返すほど勝率が下がると予想される。適度なところで引き上げてしまえば「ラッキー」な結果を収めることができる。)

 麻雀は上記のような確率的な支配を大きく受けたゲームだ。それは「次に何の牌が入るか」といったところに如実に見られる。(有利な方と不利な方を何百回と打ち比べてみなければ体感はできないが。)

 しかし、麻雀は確率だけに終わってしまう単純なゲームではない。
 その理由の最も大きなものとして、麻雀をやっている最中の色々な確率を正確に知ることができない、ということにある。
 有効受け入れ牌の枚数を数えるにしても、他家が自分の有効牌を何枚持っているか、という読みが加われば、単純に「全部山に牌が残っているとして」考える受け入れ枚数評価は大きくかわってくる。
 テンパイ型の評価にしても、事実上純カラ(他家に押さえきられている)と予想される役満手と山に和がり牌が残っていそうな3900の手では、後者の方が有利と評価することが可能だ。(ちなみに、テンパイ時には確率のみならず、それに点数を掛けた感じで考える、「期待値」によって評価するのが普通だ。例では期待値は純に0、3900×いくらか)

 実際の確率評価として、まず最も使えるのが、「確率=1(又は0)」という事象を見つけることだ。これには「ノーチャンス」の概念等が当てはまる。
 次に、「かなりこうである公算が高い」という事象を見つけることです。これには、あからさまな手に対する読みなどが含まれる。
 そして、それ以外の確率・期待値はフィーリング[経験]で推し量ることとなる。
 これを数値的に評価できるほど今の麻雀は進んでいないようだ。まず、常識的な(わかりやすい前提をもった)確率を考えた上で、その状況状況に応じて得た情報を加味して勘で評価することとなる。
例:「三切り立直にこの四が当たるのと他の無スジが当たるのとどっちが確率[及び期待値]が高いだろうか。」というのを考えるのに、「彼はソバテンが多い」とか「六巡目の五が手出しだった」とか「234三色を思わせる捨牌だ」とか「七巡目に彼の上家が切った四に彼はびくついていた」といった情報が加わるとする。数値であらわすのはとても困難な情報ばかりだが、どれも判断に際して大切な情報であることは間違いない。
 こういった曖昧な情報を受けながら判断をするということは、現実社会における金融投資に似ている。 しかし、麻雀では目の前に相手がいる。金融投資と違って、麻雀では「自分」が相手の判断において積極的に関わっているのだ。上の例で、相手は自分の持っている「四」が浮いているという算段をたてたから立直に踏み切ったのかもしれない。このことまで考えると、麻雀においては現場に無数の情報が転がっている上に、そのほとんどすべてが計量不能な情報であることがわかる。
 そして、最も大切なのは、そういった曖昧な情報をどれだけズレずに判断に生かせるか、ということが麻雀の強さの大きなひとつを占めていることだ。

 ところで、どうせわからないのだから相手の手は無視してしまえ、と、自分の手と捨牌の枚数だけを見ながら確率を正確に重視して麻雀を打ち続けていくとする。ふつうはその確率通りに結果が出るはずだが、もしも相手がこちらの手を読んできて対処していたとしたら、「相手を気にせずに確率評価」しても実際と異なった値しか求められない。
 「相手を考える」という行為が出たときから、麻雀は簡単な確率ゲームではなく、「求めることができないほど複雑に絡んだ確率」を全身で情報をキャッチして推し量り、その上で相手と駆け引きをする、知的ゲームとなる。

そして麻雀はうまくできている。最初から負けるつもりで卓につく雀士はいない。(特別な場合を除いて。)数度裏目で負けたところで、確率的に有利だと信じていればそれを続けることが正しい。しかし、ひとたび実際の確率が計算違いで不利であったのだとすると、勝てると信じて負ける行為を続けていることとなる。

以上(タイトルへ戻る)


◎手作りについて (タイトルへ戻る)
 手作りの最も基本的な方法は、巷の初級麻雀教本にそろって全く同じことが書いてある。それらはテンパイに最もはやく到達する確率重視の打ち方だ。
 しかし、常にこのように打っていればいいわけではない。麻雀には点棒状況や対局者通しの調子の流れがあり、ただ毎回とっとと和がればいいわけではなく、また高目を追求し続ければいいわけでもなく、一局一局に的確な目標設定をして手を作り、相手と駆け引きするのが必要だ。
 テンパイに最も早い打ち方は、親のときの威嚇立直狙いのときくらいしかすべきでない。高目追求は、西家などの比較的自由なとき、原点付近のどうとでもない位置でやるべきだ。同じ千点のあがりでも、相手の大物手を察知しての防衛的な手の急ぎから結果する和がりと、ただの意味のない和がりでは価値が大きく違う。
 他家を考慮しない純粋な手作りの方法は必ずマスターしなければならない。すなわち、標準の打ち方を知らなければ標準的な打ち手の手は読めないし、ふつうに打てば勝てる相手にも勝てなくなる。
 しかしそれを相手との駆け引きで承知で曲げることこそ個性の表れであり、麻雀の駆け引きとなろう。
 ここでは具体的な手作りの方法は特に書かない。それは量が膨大となるわりにはただの転記にすぎないと思われるからだ。
 (ただし、機会があればまとめてみようと思う。)

以上(タイトルへ戻る)


◎ワンチャンス・ノーチャンス (タイトルへ戻る)

 この章ではワンチャンス・ノーチャンスが何であるかについて基礎的な説明を述べる。
 麻雀の基本的な技術として、かつ最も重要なものとして、「ノーチャンス」調査がある。これを知っている人が知らない人と麻雀をするのは、拳銃を持った人が丸腰の人と果たし合いをするのと同じようなものだ。また、この技術はそれ自体実に有用であるばかりでなく、他の高等な読みへの大事な一要素となるので、雀士には必要不可欠な要素である。 具体的に最も有用であると思われるのは、安牌の生産であり、次に有用なのは、他家の浮き牌がわかることやワンチャンス立直ができるようになることだ。
 詳細の説明にうつる。
 まず、麻雀牌が有限であることがこの技術の根底を成す。麻雀牌は、どの牌も4枚ずつしかなく、5枚目は存在しない。
 もし自分の手牌と河をあわせて、ある牌が四枚とも見えていたら、隠れている他家の手牌や山にはその牌が100%存在しないことがわかる。
 ノーチャンスとは、ある牌が使えないことを根拠として、特定の現象が起き得ないことを指す。
 例えば、「3」が4枚使えないとすれば、「23」や「34」を他家が隠し持って両面待ちで待っている可能性はない。これは両面待ちノーチャンスである。
 次に、例えば「中」が3枚見えていれば、「中」を切っても「中中」を持ってのシャボ待ちに当たることはあり得ず、自分が切る「中」もあわせて4枚見えていればさらに「中」単騎にも当たることはありえない。これはシャボのノーチャンス、単騎のノーチャンスだ。
 他、手役のノーチャンスがある。すなわち、例えば「1」が4枚見えていれば、自分がそれを切らない限り(または河に4枚あれば)、その色での一気通貫はノーチャンスであり、また別の例で「4」が4枚見えていれば、「234」三色・「345」三色・「456」三色はノーチャンスとなる。さらには一九字牌のいずれかが4枚使えないとすれば国士無双ノーチャンス、三元牌のいずれか2枚が使えないとすれば大三元ノーチャンス、などとわかる。
 ワンチャンス、というのは、自分の手牌と河をあわせて3枚が見えていれば、他家はその牌を使うのに残り一枚を持っていなければ成らず、他家が三人いる以上、注目する他家が残り一枚を使って、それもそこが待ちになっていたりすることは確率的にかなり低い、ということを指す。具体的には「別の他家が持っていて、注目する他家には実際はノーチャンになっていたりしたらといいなぁ」と運と読み(読みによりほぼノーチャンスとみなすことができることは多々ある)を駆使してノーチャンス扱いするのである。
 安牌のノーチャンスによる作成法は、まず自分の手牌と河を調べて、ノーチャンス牌(4枚とも他家が使えない牌)・ワンチャンス牌(3枚切れの牌)を探す。
 ある数牌の安全度を知るには、両面・カンチャン・ペンチャン・シャボ・単騎がノーチャンスであるか、ワンチャンスであるかを探る。全てにノーチャンスであったら、それは完全な安牌となる。ただし、一九牌は国士(ある意味でカンチャン待ちだが)のチャンス数を調べなければ確実な安牌であるとはいえない。 もちろん、完全な安牌ではなくても、両面ノーチャンスやシャボノーチャンス等がわかるだけで、ほぼ安全であることが判断できる場合もある。 ところで、両面ノーチャンスを知るにはチャンス数の他にスジ読みが効く。よって、最も多いであろう両面待ちは、かなり絞れる要素が多い。逆を言えば、かえって出和がりにくくなることが多い。
 ある字牌が安全であるかを知るには、シャボ・単騎についてのチャンス数を調査するだけでよい。ただし、国士が例外としてつきまとう。
 ところで、ある牌が二枚切れた「ツーチャンス」では安全度については特に何もいえない。とても危険であるかもしれないし、事実上ノーチャンスになっていて、偶然安全であるかもしれない。これは使えない。 麻雀をやっているとどうしても山牌や手牌がこぼれて見えてしまうときがある。一牌くらい見えてもどうということもない場合も多いが、その牌を見たことによってたまたまツーチャンスだったところがワンチャンスであるとわかったら、これは大変有利に働く。ワンチャンスであるのがノーチャンスであるとわかってもやはり有利になることに間違いはない。

 さて、チャンス数を利用して、出やすい待ちを作ることができる。
 両面ワンチャンス立直は、待ち牌が他家に浮きやすい上に、安全度が高いと錯覚される場合が多く、出和がりやすいとされる。例としては、「3」が3枚河に切れていて(注:手の内とあわせて3枚では他家にとっては多チャンスに見えて意味がない)、「1−4」待ち。「1」を勝負されて当たる。
 字牌は河に二枚切れた時点で単騎待ちしかないわけで、その待ちで立直までかけるのを特に「地獄待ち」という。他家はその単騎ワンチャンスの牌を引いたときにそれ持っていても国士以外あがれないし、切ったら単騎に振り込むこととなり、地獄におちるのだ。ただし、王牌に残り一枚が入っていると「地獄待ち」をかけた人が一生あがれない地獄を見ることとなり、追っかけられて振り込むしかなくなる場合も多々ある。
 また、例えば、「8」をカンするとその局では「9」について両面ノーチャンスとなり、字牌と同じ扱いができることとなる。さらに場に「9」が二枚切れていてシャボノーチャンス、ここで「8」をカンした家がカンと同時に立直しては、「9」単騎も不思議でないが、別の他家は「9」を抱えている理由がチートイ以外ないわけで、チートイ捨牌の嗜好が見られない上に「9」単騎でうまく待てれば、これはカンドラもあわせて相当有効な待ちとなり、実戦でよく見かける。

 上に述べたように、ノーチャンスというのは麻雀牌が有限である限り永遠につきまとう自然の摂理である。よって、ノーチャンスは絶対的な要素であり、例外がなく、普遍である。
そして、ワンチャンスで待つことは非常に難しいのだが、ワンチャンスというのは麻雀の大事な駆け引きであることがわかる。

 ちなみに、これまでは河と自分の手牌から牌のチャンス数を探るよう書いたが、何らかの読みによって他家がある牌を数枚(特定枚数のときもある)もっている公算が高いとわかる場合がある。このときはそれをチャンス数の計算に含めることにより、さらに多くの牌・面子・手役のチャンス数がわかることとなる。さらには、ある一家の切り牌から、もう一家にある牌が入っているらしいことを悟る「反射」も高等技術として存在する。
 自分の手牌と河にある牌の数を包括的かつ詳細に認識すると、牌の濃淡がわかるようになってくる。基本的なところでは、「2」が三枚、「4」が三枚、「5」が三枚切れているのに「3」が場に一枚も見えないとすれば「33」や「333」が他家に入っていることを疑う発端となる。(そして切り順やその他の要素を含めて読みに入る。)
 他家が全員テンパイしてれば、絶対に使えないはずの牌は河に見えていなければ即、山にあることとなるわけで、山にある牌への読みへの発端となる。

 (※この章の内容については、巷の麻雀書に述べられている一般常識であり、特に独創性のある文章は書けまいと思っていたので、執筆の予定はありませんでした。しかし、M.N.さん他より「◎スジ読み」の章をご覧になった上でのご質問をいただき、自分として理解している限りの執筆をすることとしました。)

以上(タイトルへ戻る)



◎麻雀総論 (タイトルへ戻る)

 ※注:この章は全くまとまっていない。読むに値しない。

 麻雀は目的によって大別される。

 プラス・マイナスのトータルを重視するのならば、「負けない麻雀」の理論が必要になってくる。そして、弱者と打ったときにしっかり勝ちを収める「カモりの麻雀」も必要となるだろう。
 麻雀を親善の目的に打つときは、トータルでいかに楽しめたか、が大事になる。ノーレートで打つ麻雀で一発放銃と役満が炸裂するのは初心者同士で楽しいことだし、技術修得者同士でも気楽で楽しいと思える。ただ、真面目にやらない人がいると興醒めする。
 レートについては、真剣にやるだけの動機を与えて、負けを過剰に恐れず楽しめる、低すぎず高すぎないほどよい設定がいいかと思える。

 この書はただ麻雀に勝つことのみを目標に記してある。随所に、他家の隙を突いたり、他家の渾身の手を阻止したりする技術について触れてあるが、これらは親善を目標とする麻雀では度合いが考えものである。

 麻雀を半荘単位で勝つには、一局一局、次の二点が大事になる。
・あがりにいく
・失点を防ぐ
これを細分化すると、
・手を高めてあがる
・スピード重視であがって、他家の大物手をキック(又は連荘)
・オリて次に賭ける
・誰かをねらい撃ち
などとなる。
方針は、手牌の状況や他家との兼ね合い、点棒状況によって決まる。これらの大局的な戦略がしっかりしていないと、これからあげてある麻雀の技術を身につけたところで、勝利に結びつかない。

 麻雀を一人でやることを考えてみる。自分以外誰も和がらない。そのうち、何度もやってれば自分が和がる。自分の勝ちだ。人がいると勝てないのは、人が和がるからだ。ここに、麻雀の勝利への秘訣がある。それは、相手が和がらない限り、自分が勝てるというものだ。
 相手の和がりを阻止するにはどうしたらいいか。

 麻雀で自分に都合の良い展開は、一般に何だろう。
 自分がテンパイしたとき、最もいいのは相手が自分の和がり牌を切ること。次にいいのは、相手をベタオリさせて自分がツモるか流局するしかないようにすること。
 自分がとても和がれそうもないときに最も良いのは、他人がまた別の他人に全体的な点差が縮まるように振り込むこと。次によいのは、四人ノーテンで流局。
 これら自分の都合にあうように他家が動けば、負けない。

 麻雀で大事なのは勝つことより負けないことにあるという。麻雀は振り込まなければ滅多なことで負けない。数回大きく振り込めば簡単に負けられる。

 麻雀の技術は、手作りと読みにある。手作りがしっかりしていないと、せっかく来ている牌が拾えずに和がりを逃す。他家を気にしないと、振り込んで負ける。

 また、麻雀で大切なのは技術をいかに人に適用するかにある。人によって麻雀は全く違った打ち方ができるので(ある程度のレベル以上になると共通点が多くなるが)、他家の性格の配慮は不可欠である。もし自分が四人いて卓を囲めるなら、最初に他家三人が自分と同じだと気付いた自分が大勝利を収めることを確信できる。

 ところで、麻雀というゲームを理解するにおいて、大事な基本哲理がある。それは、麻雀には答が実在しているということだ。
 それはすなわち、牌山の牌は実在しており、何をツモるのかはすでに決まっているということである。
 だから、自分のツモる牌がその順番も含めて、自分だけすべてわかってしまったら、それは無敵ともいえる。が、それでも毎回自分だけが和がれるわけではないことを知って欲しい。他人が自分の捨牌に対して出和がったり、ツモ和がったりしてしまうかもしれないし、鳴きによってツモ列がずれるかもしれないからだ。全員で配牌をとったあとにツモ牌・嶺上牌をすべて表向きに公開して麻雀してみるとよくわかる。(手牌だけ隠そう。)それでも、頭を使うパズルゲームとなる。手牌までオープンしてやったら、完全なパズルゲームとなる。この場合は、全員に「必勝の選択」を発見するチャンスが生まれる。しかし、鳴きを利用することによって、それは複雑多岐になり、さらに「最善の選択」であって必勝とは限らない選択までしか実在しなくなることもある。(将棋ですら必勝定石が見つからないので、局によっては非常に難解なパズルとなろう。[また局によっては、何をやっても数巡目で誰かがツモ和がるとか、天和とかで、選択の余地のないときもあるだろう。]) そして大切なのは、どこか一部分でも隠された部分が存在すれば、それは消去法を利用した場合分けどまりになることが多い、すなわち、「最善の選択」までしかできないということだ。
 麻雀の技術とはすなわち、隠された部分を当てることと、その予想を含めて見えている部分を利用していかに和がるか、ということに集約される。見えている部分が広く、そしてパズル的要素に長けていればいるほど(見えている部分の利用方法が上手ければ上手いほど)、麻雀は強くなるはずだ。
 2342)4)6)二三四六七八北北 ドラ發
3)ポンしている人と5)ポンしている人がいて、さらに7)が四枚切れていて、2)を切るか6)を切るか迷うとする。迷うまもなく6)切りだろう。条件がほぼ一緒っぽいと思えば、三色がつくこっちしか考えられない。それは、「最善の選択」だ。しかし、もし誰かの手によって山牌がこぼれて、次の自分のツモ牌「5)」がこぼれ、嶺上牌で「3)」がこぼれたのが同時に見えたとする。無条件で「2)」切り立直だ。「2)」切り立直は、こぼれた牌を見た瞬間に「最善の選択」へとかわり、さらにはほぼ「必勝の選択」である。(あとは鳴きが入らなければ即ヅモだ。)
 麻雀は、見えている部分+隠れているが予想する部分、を頼りに「最善の選択」を追求するゲームだ。
 見えている部分は、自分の手牌・捨牌・ドラ表示牌のみである。麻雀をやっておぼつかない状況ならば手牌が精一杯だろう、表を向いていても、見なければ見えないのと一緒である。
 隠れている部分は、ツモ山牌・他人の手牌・嶺上牌(ドラ表示牌以外)である。これらを予想するには、さまざまな要素を利用する。
 手積みでの牌山記憶を抜いて、「麻雀」において、隠れてる部分にどんな牌があるのかを予想するにはどうするのか。その要素はまず、見えている部分にない牌が、隠れている部分にあることからはじまる。次に、隠れている部分の中で、ツモ山牌にどんな牌があって、他人の手牌にどんな手牌があるのかを区別する。そのための技術には、ノーチャンス調査[消去法]にうわずみして、手役読みなどのあらゆるものが存在する。(それらの技術も一般に定着しているわけではないのが現状に思える。)
 さて、上記のものやその他は、確率や論理に基づいた予想・判断であるが、麻雀界には、強く確率や論理をすっとばした理屈が存在する。それは「流れ」などと呼ばれるものである。これらはまったくの経験則であるようで、理由の説明を聞いたことは一度もない。さらに、その経験則自体がどのようなものなのかはっきりと定着していないようだ。追求していくと、オカルトめいたことに帰着してしまうこともあるかもしれない。 しかし、これらも一つ一つの経験則をはっきりと定義して、一つ一つに対して調べ、考えていけば、きっと答は見つかるはずである。麻雀牌は毎回積まれて、そこに実在しているのである。 しかし、自分はこの概念の存在は、麻雀に対する魅力の増大になっていると思う。それに、我々が住む東洋には、理由をすっとばして経験則やらその他を採用していることが無数にある。 ここでは、少なくとも否定はしたくない。

 自分は麻雀の総論がまとめられる段階にない。この章が完成するのはいつか遠からぬ未来となろう。今はここで閉じておく。

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◎スジ読み (タイトルへ戻る)
 ・スジ読みの効くとき
 スジは麻雀の基本である平和に、絶大な威力を誇る。立直ドラ2〜3のみの手やダブ東の鳴きなど、「あがり易さに賭けたテンパイ」にも有効であることが多い。
 敵の手がはっているかはっていないかと、はっているなら「両面待ち」であるかどうかを判断することが重要になってくる。
 ・スジを絞る
 相手が両面待ちであることが確信できれば、相手の待ちは実に容易に絞ることができる。それは、18個のスジ(三色各6個ずつ)を消去法で消去していけばいいからである。
 通るスジの消去する方法は、二通りある。まず、両面待ちテンパイ者に対して通った現物スジを消去、さらにはノーチャンスを利用しての消去がある。後者の例としては、5索が四枚とも場に見えていたとき、3-6索・4-7索が消去できる。
 新規に無スジを開拓するときは、注目すべき技術がある。
 まずは1チャンス。そのスジを実現するメンツがたった一個しか場に存在しないとき、注目する相手が持っていてそのスジで待っている確率は低い、というのがその根拠だ。実際、1チャンスで待つのは非常に難しいことだ。(その理由は、なぜかといえば、ノーチャンスで待つ牌というのは、自分を除いて他家にはほとんど使うことの出来ない死んだ牌なのであって、自分がテンパイする前に、他家が引いた瞬間にツモ切りされてしまうことが多いからだ。)しかしこれが2チャンスとなると、その当たる確率は飛躍的に上昇する。
 もう一つ、「手出し逆切り」の読みがある。これは高等・かつ特殊ケースだが、自分及び相手が上級レベルでない限りかなりの確率で通じる。例えば、「4 2」と手出しのとき、「6-9」はわからないまでも、「3-6」はまずないという。これはすなわち、「一間あけて」「手出しで」真ん中から端っこへ「逆切り」してきたときは、「先のまたぎスジかつ後の裏スジであるスジ」は通る、というものだ。これは、「2445」の形を手の内にもしもっているのなら、何があろうと「2 4」の順で手出しするはず、ということに基づいている。これには、手役がらみ故の例外がある。「2445」なら、234三色か345三色の両天秤にかけているとき、4から切ることがある。その通るはずのスジのメンツが手役がらみで必要そうなら、信頼性は落ちる。そして、あとにでてくる牌が端に近いほど、この読みは信頼度があがる。すなわち、「7 5」で「6-9」がないより、「4 2」で「3-6」がないという方が信頼できる。すなわち、平和に決め打ちするときに、「5778」だと、「78」を固定させて「5」へのくっつきも狙う、と考える場合があるが、「2445」だと「2」へのくっつきは狙わないからだ。
 次に、危険スジを読む場合の技術について述べる。
 まず、通っていないスジは全部危ない。ノーチャンスによってつぶれているスジは、通っているとみなす。
 通っていないスジの中でも特に、序盤の裏スジ・中盤/終盤のまたぎスジが危ない。すなわち、序盤に例えば「8」が切られていて(ツモ切りでも手出してもいい)、中盤に「5」とか「6」が「手出しで」出てきたら、「4-7」はとても欲しそうだ。このあとに、対象から「4」とか「7」が切られたら、「456」とか「567」が出来メンツで入っているかな、と想像が付く。これは、手役読み(和がり点読み)に大きく役にたつ。ある牌Xのまたぎスジが本当に危ないのは、Xがテンパイ時より手出しで二個以内に切られたときだ。というのも、「566」から「6」はイーシャンテン以上進んでいなければ、切らない人は決して切らない。 逆にこの読みをしてくる相手には、平和の決め打ちをすると出あがりできる公算が高い。すなわち、「566」において「6」をかなりはやい段階で捨ててしまうのだ。(手の中に入れずに即座にツモ切りするのも効果的。)すると相手は「2-5」かな・・・と思い、「4-7」は薄い、と判断する。
 序盤の「8」のあとに、中盤「5」「6」のどちらもが手出しで切られたときは、逆に「4-7」が拒否されたよう見える。ただし、上級者はそれを逆手にとって、「5566」から「5」「6」を手出しする。ダブルメンツをイーペイコウに仕上げるのは、同じ牌を二回積もらねばならないため、難しい。これは迷彩と手作りをかねた打法となる。が、やらない人は決してやらない。
 実戦で裏スジ・またぎスジについて、手出し/ツモ切りを覚えながら他家全員をマークするのは大変疲れる。その上、相手のレベルが高ければそれを行う甲斐もあるが、勝てそうな相手ならばそこまでやる必要もないと思えてくる。そこで、何を優先するかだが、それは裏スジである。どんな打ち手も、「568」と持っていれば、いずれは8を切る。これは、リャンメン待ちを作る上でどうしても欠かせない作業なのだ。この8を使うには、「5688」と頭にするのが一番手頃だが、それでも、「3」をツもれば切らざるをえない。「3」も「8」もツモらずに「56」が残って「4-7」待ちにするというのは、非常に恵まれたことであり、むしろ例外的なのだ。

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◎複合多面待ちについて (タイトルへ戻る)

 複合多面待ちは、まず色々なパターンを理解した上で記憶してしまうのがいい。多面待ちに多面待ちが重なっても、待ちはその単純な和にしかならないので簡単にわかるようになる。
 ノベタンはごく原始的な複合多面待ちの一種で、最高6枚残る。
 複合多面待ちには数種がある。基本的なものはすべてシャボ・リャンメン・カンペンチャン・単騎の複合型で、挙げれば以下になる。(この他にもある[特に槓材がらみ]が、よく見られる代表的なもののみ挙げた。)
1)「45678 頭頭めんつメンツ」とあれば、【両面&両面】の基本三面待ち、最高11枚あがり牌が残る。
2)「6777 めんつメンツめんつ」とあれば、暗刻くっつきの変則三面待ち、最高11枚【両面&単騎】。ちなみに、暗刻くっつきとは、暗刻の数牌の前後2差の数牌が「単騎待ちで」暗刻にくっつくときにできる待ちだ。すなわち、「4666」とあれば最高7枚【カンチャン&単騎】。ノベタンがくっつくのも同じ意味で暗刻くっつきとなり、「1234666」なら最高10枚(ノベタン1-4 カン5待ち)【単騎&単騎およびカンチャン】、「2345666」なら1)とも複合して最高14枚(1-4-7 ノベ2-5待ち)【両面&両面および単騎&単騎】。「2223444」の暗刻挟み型は暗刻くっつき&暗刻くっつきと理解でき、最高13枚(1-4 2-5 3単騎待ち)。
3)「中中33345 めんつメンツ」とあれば、【シャボ&両面】型の変則三面待ち、最高7枚。
4)「2345678 めんつメンツ」とあれば、三面単騎で最高9枚。これは言うまでもなくノベタン&ノベタンと理解する。
5)「2233344 めんつメンツ」とあれば、【シャボおよび単騎】で最高5枚(234待ち)。
6)「22233344中中 めんつ」は、【シャボおよび両面】で最高8枚(14中待ち)。
7)「2223344 めんつメンツ」は、【シャボおよび両面】で最高9枚(2345待ち)
8)「5677888 めんつメンツ」【リャンメンおよび単騎&リャンメン】は暗刻くっつきの特殊型で、最高13枚
9)「5677999 めんつメンツ」【リャンメンおよび単騎&カンチャン】は最高10枚
※この種の多面待ちの最高型は、九蓮九面待ち「1112345678999」だ。最高23枚残る。(三面単騎258、両面^2の147及び369 1・9についてはシャボともとれる。)

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◎あがり牌の残り枚数とあがる確率について (タイトルへ戻る)

 あがり牌は、王牌と河を除いて(つまり他家の手の内に浮いているか山に残っていて←これは読む)まだ2枚以上あるならば、あがれる公算は五分以上あると計算できる。その根拠は、まず自分が積もる確率が1/2あり、残り1/2のうちの(つまり他家に二枚ともいったうちの)1/3以上は浮いていれば勝負にくるだろう(他家3人中1人以上は勝負にくるとして)から、一人あがりたい奴がいて2/3・二人で5/6となる。この数字は他家があがる可能性を除いているため、実際はそれより低くなるものの、勝負している他家の読みを一点にしてそのあがりのないことを確証できれば、2/3の確率であがれることとなる。 (ホントかよ)
 自分の待ち(もちろん、テンパイ時に限らず手作りのときのメンツにおいても)の残り枚数は、常に確認をとっておくべきだ。これは、その枚数の最高値から、逃すたびに数をひいていかねば確認がとれないので、最高値を知らなければならない。それは簡単に数えられるが、少し時間がかかるので、対局前に覚えて一通りの代表的な待ちの残り枚数を覚えておくと便利だ。

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◎待ちの善し悪しについて (タイトルへ戻る)
   
(残り枚数の最高値が少ないものから順にあげてある)
 ある待ちを完成させる牌の残り枚数を数えるのは、他家の使っていると想定する牌の数を引けば山に残っている牌の数になるわけで、次の二点において有効である。(山への読み の章を参照)
  1.テンパイ前は、手牌のうち、手ができていく順番が確率的に予想できる。
  2.テンパイ後は、あがれるかの公算がたつ。

・単騎待ち 3枚
 最高残り枚数は少ないものの、実際は大変有効な待ちである。それは、待ちを構成する部分がたった一枚のため、即座に待ちを変えられることにある。頭以外の部分(4メンツか、6対子)ができてしまったら、それはすでにあがったも同然なのだ。他の待ちがだいたい2枚以上の牌を切る、すなわちテンパイをくずさねば待ちを変えられないのに対して、単騎はかならずテンパイ維持しながら待ちを変えられる。そして、対子というのは、たとえ場に二枚切れた牌でもまだチャンスがある。すなわち、使われる可能性の薄い牌で待てば、容易に2枚以上のあがり牌を確保できる。(2枚以上を確保すると有効であることは前述。)さらに、防御的にも有効である。すなわち、とても場に切り出すことの出来ない牌(煮詰まった場面での初牌、ドラなど)でも、一回ならばおさえることができるからだ。
 単騎待ちの有効性は、待ちを変えられることにある。(後述:地獄待ちの章を参照) しかし、立直をしてしまうと待ちは変えられない。このことは大変注目すべきことだ。単騎待ちになるということは、七対子であるか、何か他に役が内蔵されていない限り、有効なダマで当たれない。すなわち、有効な単騎ダマは、最低でもドラが絡まねば威力が発揮できないこととなる。七対子ならドラドラで6400は欲しい。三色ドラ一で最低5200(符ハネがある)、チャンタ三色の満貫、純チャン三色の積もり跳満は単騎にできれば大変有効だが、よほどのツモ運に恵まれない限り不可能である。純チャンのみを単騎で張れば、最低5200のダマとなる。純チャンはただでさえ読まれやすい捨て牌を作ってしまうため、立直をかけると押さえ込まれる可能性がある。挙げた中で、比較的あがりやすいのは三色ドラの手だ。この手は、手役関連の三色部分の他、もう一メンツ自由なメンツがあるので、ここの待ちまで利用すれば他家にプレッシャーを与えられるし、勝負してくれることも多い。

・カンペンチャン待ち 4枚
 カンチャン待ちは、一手で両面に変わる。ペンチャンは変わらない。タンヤオ平和系の手作りなら、「12」から「4」をつもるか持っているかして「1切り」、「5」をつもって「2切り」という現象がしばしばおきる。これは「端から順切り」という現象で、読みの対象となる。何かを積もって「2」を手から切って立直(もしくはテンパイくさい)、となると、それは「1-4」か「3-6」が危険となる。しかしもしもその相手がツモ牌を理牌どおりに入れる人だったら、出てきた『「2」の一つおいた位置に何か入ってテンパイ』のとき、『「3-6」の方がかなり危険』であることがわかる。ただし、これはシャボテンであることがあり、「24」から「4」を「244」と入れて「2」切りでも同じ現象となるため、『4と何かのシャボかもしれない。』この辺は、平和かどうかを捨牌から想像すれば処理がきく。
 さて、カンチャンで有効に(立直したりして)張っているのは、三色と一通とイーペイが絡むときだ。この待ちをズバリ読むのは非常に難しい。(一通だけは読める。(後述))ペンチャンは一通とチャンタ系があがる。
 カンペンチャンの弱いのは、あがり牌がひとつしかなく、四枚とも使われたり場に出たりしてきれていればあがれなくなることだ。それと、ツモりにくいこともある。これを補うのが『スジひっかけ』である。
 カンペンチャンの「スジひっかけ」は2〜8まででしか待てない。読みの立場から言えば、「3」「7」はたとえスジでも、シャボ、カンチャン、ペンチャン、単騎の4パターンあるため、相当警戒せねばならない。他のスジひっかけ警戒は、シャボ、カンチャン、単騎だ。この辺は、性格が大きく出る。あるスジひっかけが成功すると、猿のように繰り返し同じ系統のスジひっかけを繰り返すのはままある。
 一通は、捨て牌からだいたい予想が付く。すなわち、一通をやっている色の出が少ない。これは一色手であるかもしれないとあわせて警戒しておくべきである。そして、その色のどの数牌4枚が切れても、一通はノーチャンスとなる。これは常に確認しておくとよい。河にノーチャンスとなると、あきらめて「1」「2」「8」「9」などがおとされてくることがままある。つまり、脱落者の狙っていた一通の色で待てればよし(もちろん壁利用できればなおよし)、またはその色の端にかかった待ち(1−4、6−9)で張ることに成功すれば、なお高確率で一通脱落者を掴まえられる。

・シャボ 4枚
 シャボの有効な役は、役牌・トイトイ系のみである。ツモる期待はとても薄いが、積もったときの点数アップはそれに見合う。すなわち三暗刻、四暗刻だ。他、積もることではじめて符ハネすることは大いにある。(ツモ符2にあわせて、出あがり明刻が暗刻となるからだ。)
 有効な待ちは、平和系に捨て牌を作ってのスジひっかけや、字牌待ちの気配を消しての字牌待ちだ。それはすなわち、両者とも役牌をとてもはやい巡目に捨てておくことが必要条件となる。
 字牌シャボ待ちは、巡目が遅くなって残り字牌が場に少なくなると読まれる。とはいえ、そのような消去法によらねばならぬほどの、比較的こっそりとやることのできる待ちだ。ただ、字牌に色気を残す立直はまずい。例えば手出しで初牌の中を出しての立直、ここで発や白を振るのは、「見え見えに振る」ことを意味する。というのも、イーシャンテンで「発・中」と一枚ずつ持っていて、どちらかが重なって立直、というパターンにあてはまるからだ。このように、生きた字牌をテンパイ間際に切ることは、「字牌への色気を漂わす」こととなる。
 数牌、とくに真ん中の方同士のシャボは非常につらい。すなわち、例えば「4466」からたとえ「3」を積もって両面に変えるにも「4」はあたりやすく(真ん中である、ということ以上に二枚自分が使っている分他家がもっている確率が低く、待ちになりやすい)、さらに4、6は他家のメンツの中に使われてしまっていることも多く、出あがりが望めない。うまく河の壁を使って待てたとしても、シャボ警戒されれば終わりである。
 シャボ警戒は、数牌ならその周りの牌が以上に多く切れたり自分の手牌に入っていたりするのに、その数牌のみ姿が見えないことにある。だが最も有効な警戒は、対子系の手役がどうかを状況から読むことである。
 あと、「シャボよりカンチャン」という格言がある。これは、シャボ待ちにもカンチャン待ちにもとれるときは、カンチャン待ちにした方がいいよ、という教えだ。前記の通り、残りあがり枚数の最大は同じだ。この真偽はケースバイケースで、出やすい方の待ちを選ぶなり、つもりやすい方の待ちを選ぶなり、好きにすればいい。この格言の一番の根拠は、シャボにはモチモチで完全に押さえられてしまうケースが多いということにあるのだろう。対するカンチャンは、暗槓されるか二・二で対子で押さえられるくらいだ。ただ、シャボの方があがったときに裏ドラから来る破壊力は大きくなることが多いだろう。

・「2233344 めんつメンツ」【シャボおよび単騎】5枚(234待ち)
 この待ちは、例なら「2」「4」「3」の順に出にくくなる。「2」は「3」の壁で他家は使いづらい。「4」は「3」がないので次に使いづらい。「3」は「24」「45」で待たれている可能性の方がむしろ高い。(つまり、自分にとって危険牌だし、他家からは出ない牌。)しかし、一番出やすい「2」も序盤で捨てられていることが多く、さらに危険の様相を帯びるので押さえられやすい。
 つまり、あまりいい待ちではない。つもり三暗・四暗があればこれでもいいけど、他にないなら「3」をもっと有効な単騎に振り替える方がまし。あがり牌枚数も最高5枚なので、2枚以上「2」「3」「4」が切れていれば即変えるべき。ただし、「3」を切るときは当たりやすいので十分な警戒を要する。
 ただし、ひとたび「2」が二枚とも河にないというのならば、これは大いに和がれる待ちだ。すなわち、2が浮いていれば、一つが「23」で他家にいっていてももう一枚の2はノーチャンス。せいぜい「12」と持って爆死するくらい。「45」で「3−6」を待っているところは二組ありそうだが、「22」と「45」と「45」がすべて他家にはいるホンの一通りしかカラはない。たとえそうでもまだ「3」で同じ待ちで待っているのだ。さらに「22」で押さえきられても「3」「4」は比較的使いづらく、「22」の人が「3」とか「4」をツモってそこを一メンツにしたくなったら、完全に捕らえられる。
 ちなみに、「2223344」および「2233444」は待ちが変わる。順に(2345)待ち、(1234)待ち。(別項参照)

・「11223344中中 めんつ」【一盃口スライド系シャボ】6枚
 図では「14中」待ち。変則三面待ちなのだが、特に和がりやすいわけではない。それは、最高枚数が両面待ち以下であることと(それはあまり重要な問題ではない)、図で言えばその色の下の方が場に高くなってしまい、警戒を促すことにある。(例では「1」が河と他家の手牌からワンチャンスに見えることがありえない。また、対子場であると字牌が警戒/単騎待ち利用される。)
 残りの面子が暗刻であった場合、必ず一手で七対子に移行できる。が、数牌の暗刻から一枚はずすのは、確率的に言って他家に残った待ちを完成させる一枚であることが多いので、放銃の危険が伴う。また、残りの面子が順子である場合も、順子中の一枚が重なることで受動的に七対子にすることは可能である。しかし、この場合は選べる待ちが一時的に限定される。以上のように、七対子への移行は一般的な危険を伴うことが多いのは事実なのではあるが、他家への本命当たり牌を引いてきても一枚はテンパイ維持してとめることができるというのは重大な利点である。
 図で「2」や「3」をひくと処理に迷うことがある。残りの面子が暗刻なら、どれかを対子落としして四暗刻へ向かう。(明刻ならトイトイツモリ三暗。)残りの面子が順子なら、テンパイを崩してトイトイへ系へ移行するか否かは状況次第である。

・「4666」【暗刻へのカンチャンくっつき】7枚
 これは大変あがりやすい待ちである。
 例は「4」「5」待ちだ。これは「6」の暗刻部分が壁となって、あがり牌が両者とも浮きやすい。浮きやすいということは、他家に行けば河に出るし、河になければ山にあるということなので、あがり牌がまだ山にあるかどうかが予想づけられるということである。ただし、中盤すぎても「3」が四枚見えて「4」が二枚くらい見えて「5」が一枚も見えない、となれば、「5」が暗刻などで使い切られている可能性の方が高いので注意だ。しかしそれでもこれはいい待ちであることがわかる。すなわち、「555」で使い切られていてもまだ「5」は一枚あるし、「5555」でカンされたならそれがわかる上にこちらは「4」を勝負して(カンの場合はきっと通る)出やすい単騎にかえればよく、さらには、「4555」で使われていても、「3-6」は残り枚数少なく「4」はこちらと同じ待ちだ。というより、そもそも暗刻くっつきが二人いることはむしろ珍しい。
 また、このての暗刻くっつき系は単騎・カンチャンを含んでいるので、スジひっかけがやりやすい。「7999」ではごく手なりに「4」や「5」を河に捨てておくことが可能であるし、立直後の後ひっかけも特に惜しむことなく可能である。
 しかし、この種の待ちに役をつけることは非常に難しい。二翻役ではせいぜい高目三色、高目一通が限界。つまり、立直して、何であがっても意味があるとせねばならない。これは、親で立直、東場で他家の手をカットするための立直、ドラを数枚含んでの立直くらいにしか使えない。ただし、これらのときは意識してこの待ちを残すといい。ただ、多面待ちに付き物なのは、多面待ちの方を先につもって完成させてしまう可能性の方が高いため、待ちとして残りにくいということだ。二暗刻くらいの糞手を単騎で張ったら、暗刻くっつきまでダマで待ってオープン立直も悪くない。
 あと、この形をはやくから持っていたら、どうせ待ちには残るまいと「6」「6」と手出しで切り(「4」もツモったときに切れる)、河を作って「5」を引き出す(もちろんそれにより三色か一通がつかねば意味はない)というプロ的な打法はある。が、中級以下のレベルではそれは無駄に遅い。ただし、手役がらみ等で順子しか必要ないのなら、これは河を作りながら手作りが行える有効打である。
 ちなみに、このての暗刻くっつき系多面待ちはすべて、雀頭が固定されて存在していると、とることのできない待ちである。雀頭が固定されているときは、手作りの段階で「4666」から「4」を切ることとなる。(もしくは上記の「66」切りの「46」残し。)

・「中中33345 めんつメンツ」【シャボ&両面】7枚
 これも手役をつけるのに難しい待ち。さしてあがりやすいとも言えない。オープンしても他家にそう苦になる公算はない。さらに待ちを変えることもできない。例のように役牌なら、他のメンツが暗刻系だったら中から叩いていくことでトイトイを作った方が割にあうことが多い。
 まあ、単なるシャボよりはましなので、「六六中中」とかの頼りないシャボでも張ったら、「六」を一枚はずして、残りの「六」へのくっつきやら中のポンやらを待ちながらこの待ちへ移行していく、というのは和がり易さの基本的な高め方だ。ただ、「六」がツモれそうなら即リーしといた方がはやい。

・リャンメン8枚
 リャンメン待ちは麻雀の基本だ。ツモり易さは単純にあがり牌の残り枚数に比例し、シャボ4枚、カンチャン4枚(ペンチャンはカンチャンと性質が同じ)、単騎3枚が最高値であるのに対して、リャンメンは8枚もある。そして、リャンメンは他の複合多面待ちに負けない残りあがり枚数の割には、たった二枚連続する数牌があればそれが待ちになる。 又、雀頭が固定していてもとれる待ちである。
 リャンメンには、「雀頭 45」ともっての雀頭固定型と、「3345」ともっての雀頭移行可能型(最高残り枚数6枚)とがある。雀頭移行可能型[自在型ともいう]では、「3345四五六めんつメンツ」と持っているところに「四」や「六」や「5」を引いて両面維持で待ちを変えることや、「2」「6」「三」「七」を引いてきてノベタンにして待ちスジを変えること、それと、あらゆる引いてきた牌の単騎待ちに振り替えることが可能であり、最高残り枚数こそ雀頭固定型に劣るものの、状況に応じてテンパイ維持しながら自在に変化させる自由がある分、利用価値が高い。
 リャンメンの不利な点は、やはりスジ読みされることにある。リャンメンであることがばれれば、すべてのスジが通ることとなり、それを頼りにかなり攻め込まれる。さらに、リャンメン志向があまりに強いと、捨牌からどのメンツを残しているかが裏スジ・またぎスジの概念から容易にそうぞうでき、危険スジが絞られて無スジすら勝負される。
 麻雀の一番の基本役、平和はリャンメン以外とれない。さらに、つもってもほぼ一翻分やすい。さらに面前で作らねばならない。しかし、面前の手の中では最もできる確率が高く、速く、安全に(まわし打ち易い)、確実につくっていける。
 無スジを勝負してくる相手がいないときは、リャンメンをすべてオープン立直しても同じこととなる。しかし、ワンチャンスや、裏スジ・またぎスジから当たるかもしれないリスクを少しでも背負って勝負してくる相手がいれば、(又は何でも切ってくる初心者がいれば)、立直はオープンし損である。
 リャンメン待ちに多いが、三色や一通の高目安目ができるときがある。この場合は、安目が出たときに見逃すことができないと思えば立直して全部ロン、高目ツモ以外あがらない(高目出あがりすら点数が足りないのであり得ない)というなら立直して高目ツモ以外すべて見逃し(場合によってはオープン)安目ツモ切り、それ以外はダマで高目のみ待ち、安目をつもったらあらためて倒すか考える。(安目ツモ切り[もしくは他の何かを切る]でフリテン立直またはフリテンプンリーがある。←ルールによっては流局時チョンボになるので注意。)
 リャンメン待ちをダマで(正確にはテンパイを悟られずに)待つのは有効だ。待ち牌8枚ともが他家に使われきるケースなどほとんど考えられず、いずれ河に落ちてくる。特に、危険スジとわかっていても、テンパイしていないと思われれば、むしろ急いで切られてくる。また、雀頭が固定されない自在型では、ダマにしている限りあらゆる融通が利く。

・「22233344中中 めんつ」【シャボおよび両面】8枚(14中待ち)
 これは、高目三色同刻(及び三暗刻)がつく形だ。が、「1」でイーペイコウをつけてあがれることや、シャボの「中」に気付かねば、チョンボしかねない。そして、この場合の最も浮きやすい待ちは皮肉にも「1」だ。壁になる。
 残りの一メンツが暗刻であったら高目四暗刻ツモだが、立直をするなら「1」であがったときの点数が十分がをしっかり考えておかねばならない。ダマで「1」をつもってその点数が十分でないと感じたら、ツモ切りフリテンプンリーだ。(←ルールによっては流局時チョンボになるので注意。)

・「2345678 めんつメンツ」【三面単騎】9枚
 これは他の二メンツのどちらかが暗刻であるとき、一手で一通に変えられるタイプだ。逆に、一通を張っていて、頭が暗刻になったときに切りづらくてこの形に変える場合もある。「12345678」からなら、相手がこの色のあるスジ待ちに違いないと確信できれば、1-4-7(「8切り」)でも2-5-8(1切り)でも3-6-9(そのまま)でも完全に同じ待ちにして押さえきれる。
 待ちは広いが、このままでは一色手やタンヤオドラいっぱいでもない限り安い。これを立直して出あがろうとするなら、一通狙いで手をすすめて、例なら「3」や「7」をしつこく切っての端のチャンス数を減らす(兼その色を安くする)努力くらいか。

・「2223344 めんつメンツ」【シャボまたは両面】9枚
 例では2345待ち。よく一盃口からツモリ四暗刻(出和がりトイトイ三暗)に振り変わるとき、ここが残って超安目が生じる。(例では5で和がると一盃口すらつかない。)また、フリテンにも注意せねばならない。

・「11223344456中中」【一盃口スライド系シャボ両面】10枚(147中待ち)
 手牌十三枚がすべて待ちに絡む。その割には残り和がり牌枚数も手役も割にあわない。
 対子部分を選ぶことで、一色に仕上がる。これなら、十分だ。
 図でいう「5」や「6」にあたる牌を重ねることで、七対子に移行できる。が、ここまでそろっているのなら、(和がりをとりに行くのなら)このままの方がいい。
 対子を暗刻にしたり、ポンしたりすることで、トイトイ/三〜四暗刻系に自然に移行できる。ただし、暗刻を多く含む四暗刻などでは多面待ちが残ることが多いので注意されたい。

・「1234666」【暗刻へのノベタンくっつき】10枚(ノベタン1-4 カン5待ち)
 これは、カンチャンの暗刻くっつきの純粋な発展版だ。「あがる」だけなら実に容易にできる。
 「2234666」と持っての雀頭を「22」に見立てた両面待ちは、「1」をツモることでこの待ちにグレードアップする。(他に、「3」や「4」を引いて打「6」の平和や一盃口への移行もあるし、「7」や「8」を引いての多面待ちへの移行、その他出やすい単騎への移行もある。)これは気付くにくく、大切なことだ。

・「5677999 めんつメンツ」【リャンメンおよびカンチャンの暗刻くっつき】10枚
 この形は、覚えておかないと非常に気付きにくく、例では「4-7 カン8」待ちである。
 多種で待てるので、出和がりに有利だ。(押さえきられにくい。)

・「2345777 めんつメンツ」【ノベタンの暗刻カンチャンくっつき】10枚
 例なら「6」を見逃し易いので注意。
 とてもあがり易いが、立直後の出あがりはそこまで望めない。なぜなら、「2-5」スジは通っていないスジとなるからだ。さらに「6」は場にチャンスの多く見える危険牌となる。
 この形からは、「1」「3」や「4」を引いて「7」を切ったときに平和へと移行できることが多いが、その場合も、スジひっかけになるなら特に変える必要はなく、このまま多面チャンでいた方があがり易くはある。

・「33345二三四四四 めんつメンツ」【シャボ両面&シャボ両面】10枚
 これは、さして出和がりやすい待ちとはいえない。しかし、和がり牌枚数が多いのでツモ和がりは期待できるだろう。ただ、この形を持っての有効な手役は特に考えられない。三色や一通は安目をツモる公算が大きい。
 これに特徴的なのは、形を変化させる有効牌が多いことだ。図で「4」「5」「二」「三」をツモってこれば、四暗刻/トイトイへの移行が考えられるケースがある。

・「23444456中中めんつ」【シャボ&三面】10枚
 槓材を含む、特殊な多面待ち。理牌していなくて例で「1」「7」にあたる待ち牌に気付かなかったりすると悲惨である。
 麻雀をやっていると、対子系か順子系に偏ることが多いので、このように槓子を含みながら順子を二つも作っているということは稀なケースだ。
 ちなみに、「23444567中中めんつ」ではただのシャボ&両面の「14中」待ち(一般に最高8枚で、ここでは最高7枚)。

・「45678 頭頭めんつメンツ」【両面&両面】11枚
 これは実に基本的な三面待ちで、最も簡単にできる多面待ちだ。(暗刻くっつきの方が必要枚数は少ないが、暗刻にするのがこちらよりずっと難しい。)
 これで確定できる役は平和くらいで、三色や一通だと高目安目ができる。
 例だと「3-6-9」待ちだが、平和系の素直な捨牌に「1-4-7」や「2-5-8」が現物で通っていたりするとまず出あがりが望めない。よって、その色の他二筋と他の色の多くのスジが通ってしまったら、プンリーでツモにかけるのも手だ。だが、無スジがまだ捨て牌に多く残っているのなら、立直して相当有利に他家を阻める。(勝負にこればまず振ってもらえるし、おりてくれればツモに望める。)
 これを作る基本は、裏スジ牌をとっておくことにある。すなわち、「346」から「6」をとっておくのだ。そうすると、「3467」から「5」を引いたり、「2346」から「5」を引いたときにできる。とくにできあがり順子にくっつく一個離れた牌をとっておくのは有効で、うまくくっつけば三面待ちとなる。(「3457」から「6」を引けばいい。「8」を引いたらただのリャンメン。)それと、「3456」の形でもっておいて、「2」や「7」をツモってこればいいわけだが、雀頭が固定されているのにこの形を持ったままにしていると、そのスジで掴まることがあるので注意が必要だ。

・「6777 めんつメンツめんつ」【暗刻くっつき】11枚
 これは大変有効な待ちで、とてもあがりやすい。これをダマで張れればたいてい出和がれる。
 東場ならまず立直してあがって問題無しだが、どうしても点数が必要な終局間際にこの待ちが残って安目見逃しを断行せねばならないときはせつない。
 あと、「2333」と持っているケースで、手役やら何ならの都合で「3」を二枚河に捨てて「23」持ちの「1−4待ち」でテンパイできればこれはかなり有効な待ちとなる。立直でもかければ、ワンチャンス(「3」を持っている人からすればノーチャンス)なので打ってもらえる可能性は高い。その上、細かく見てくれていれば、「2333」から「3」を落とすものか、と見る人もいるだろう。(性格をつかまれていればその逆もあるだろうが。)  ちなみにこのケースで「3」を切らずにワンチャンスの「1」を打ってもらおうというのは不可能な話だ。これで立直をかければこの色の下は非常に高く写り、誰も打ってこないだろう。早い巡目で「5」を切って立直すれば、「1−4」一点と読んで「2」を打ってもらえる公算は、ままある。

・「5677888 めんつメンツ」【リャンメンおよび暗刻くっつき】13枚
 この形は、覚えておかないと非常に気付きにくく、例では「4-7 6-9」待ちである。あがりやすいのはいうまでもないが、むしろフリテンに注意したい。
 ふた筋で待てるので、他家への当たり牌の押さえとして実に有効だ。(たとえフリテンでも、防御的には有効だ。)

・「23444456三三三四五」【シャボ三面&シャボ両面】13枚
 十三枚の手牌すべてが待ちに絡む、槓材含みの待ち。
 その割にすべてスジ待ちであり、特に出和がりやすいわけではない。
 ツモ和がりやすい待ちではあるが、高目・安目があるのならかえって不都合となることもある。
 一色手にときに見られる形でもあり、待ち判別はやや難しい。
例:「2344445666678」(17、36待ち。)
・・・「1233334555567」についても検証されたい。

・「2345666 めんつメンツ」【ノベタンの暗刻くっつき】14枚(1-4-7 ノベ2-5待ち)
 これはこの色の牌を引けば半分以上の確率であがれるわけで、一色手などでここを残して張れれば実に有効な待ちとなる。ちなみに「234566」から一色手だからとむやみに一枚目「6」をポンすると、「6」を自分で引くのに比べ、「1-4-7」と受け入れがなくなるので非常に損をする。ポンするくらいなら「6」を切った方がまだまし。(でもポンテンならまずポン。ノベタンで十分。 二鳴きならよしのときもあり。)

・「2345678999 めんつ」【三面単騎の暗刻くっつき】(1-4-7 2-5-8三面単騎)19枚
 これはくっつく暗刻が「111」か「999」のときの話で、限りなく九蓮に近い形だ。例では「1」が二枚切れた時点で九蓮ノーチャンスとなるが、これでせめて一色手に仕上げないのはおかしい。

・「2223456777 めんつ」【ノベタンの暗刻挟み】(ノベタン3-6 1-4-7 2-5-8)22枚
 この形なら、例では1〜8まで全部の八面待ちなわけで、ほぼ無敵だ。ここまで集めるなら、まず一色手に仕上げたい。しかしこのノベタンの暗刻挟み部分から鳴いてしまうのは大変もったいなく、鳴き仕掛けるなら他の一メンツを固定鳴きするくらいがいい。他家があがらない限り、まずあがれない方がおかしい。

・「1112345678999」【三面単騎の暗刻挟み】23枚
 九蓮九面待ち。
 九蓮は一通に「11」「99」とあとどれか一個同じ色の牌がそろえばできる。九面待ちはさすがに至難だが、それ以外の高目九蓮は意外とできる。特にそろえるのに難しいのが「111」と「999」の部分なので、その計6枚中5枚くらい持っていたら、狙うのも一興だ。4枚だったら清一や、他の役を望んで、九蓮は頭の片隅におくくらい。3枚以下ならただの清一の方がずっと速くてよい。

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◎役読みについて (タイトルへ戻る)

・手役読み総論
 役読みをするには、まず麻雀の役のすべてをもらさず覚えていなければ正確に読めない。役読みは可能性の否定、すなわち消去法を利用するからだ。
 具体的に読むのは相手の手役の可能性で、危険牌と相手の手の高さを読むことができる。
 役読みの最も基本なものは、晒してきた相手に対して行うものだ。これができないと、アホ振り込みをすることとなる。
 例えば、「999」とポンして晒した相手には、トイトイ(含チンホンロウ、三暗単騎)・チャンタ・役牌内蔵のドラ系・一色手、意外なところでは三色同刻・三連刻と読むことができ、これに捨牌を照らしあわせればかなりの精度で当てることができる。たとえば、捨牌が「4」「5」「6」から多く嫌っていればチャンタ、「2」「3」とか「5」「6」などリャンメンすら含んで順子を嫌っている傾向があればトイトイ、何も特徴がなければ役牌内蔵ドラ系、その色の出が少なければ一色手、と区別できる。三色同刻、三連刻はその他の必要牌が二枚以上見えればノーチャンスで消去できる。が、それらを中途半端にもっていて、狙っていたら切れて失敗、という可能性は高いので、三色同刻・三連刻くずれのトイトイに、振る(鳴かす)ならその関係牌だな、と危険牌を押さえられる。
 もうひとつ重要なのは、相手が「何点必要としているか」であり、最低3900(三翻)はあるはず、とかでもわかれば読みは大変楽になる。一般に何もない状況では3900以上、満貫が基本となるはずだから、役は想像しやすい。ただ、流しにきていれば1000点もありうるし、流局間近なら形式テンパイもありうる(←これはどうにも読めないが)。そして、相手が客観的に見て3900点必要なのに実際は2000点のあたり牌があるなら、「これなら2000点」牌が勝負できるのだ。意図的な差し込みである。(ただし、意図的でも振り込んだら運勢がおちることをふまえるべき。)
 難しいのは面前での手役読みだ。それを読むには捨牌が基本となる。一色手・チャンタ・七対子・タンヤオのあるなしは読みやすいが、三色・イーペイコウは読みにくい。三色はまだ想像つくし、ノーチャンスで否定消去することができるが、イーペイコウを読むのはまず不可能であり(その色の上/下が高いなぁと見当づくくらい)、平和っぽいと読むことはできるが、根拠なく結局シャボにとられたりすると、雀頭だった「北」などをあたりと読むのはほぼ不可能となる。または「来た奴で待ってる」というナチュラル単騎も読めない。
 つまり、麻雀はとても自由に打てるゲームなのであるが、点数的必要性や戦略によって、かなり制約された、決まり切った打ち方をみんなするものなのだ。そう打たなければ確率的に損して負けるようなことは、誰もがやる。だから、滅茶苦茶打っている人の手は読めない。しかし、そういう人はほかっておいても勝てない。

・手役読み各論
 さて、具体的な手役読み(手役読み各論)は一般的な知識である。ここでは面前手における典型的な捨牌パターンのみ挙げておく。

 概略としては、迷彩のない典型的な捨牌というのは、

  絶対に使わない牌
    ↓
  使う可能性はあったが使わないことになった牌

という順で捨てられる。
 ただし、ツモ切りに関してはこの順を守らない場合がほとんどであるので、詳しくは役読みにしても手出し/ツモ切りの情報を要する。

【断幺平和系の捨牌】
 この系統は最もスタンダードで頻繁に見られるケースである。断幺平和に決めて狙う典型的な捨牌では、
役牌・オタ風字牌・一九牌 → 2・8牌 → 使わない数牌(テンパイ)
といった具合に捨てられていく。また、数牌に色の偏りが見られないのが普通である。平和に拘らない打ち方(順子に拘らない打ち方、棒テン狙い)であるほど、後の方の牌のそばに待ちが残りやすい。ドラが絡まず手役も他に見あたらないときは両面で待っている可能性が高く、スジが通りやすい。この系統の手が面前では最もスピードのはやいとされるものであるため、迷彩は「平和と読まれた上で」のものとなり、スジ系の待ち迷彩が基本となる。
症例: 西北一中2(8
     (6・・・・
 これらの症例は無数にあるが、逆の言い方をすれば、以下に挙げる典型捨牌のどの特徴もとっていない捨牌、ともいえる。
 平和系の捨牌読みはかなり深く研究されている。ここは手役読みの章なので簡潔にまとめるが、以下のような現象説明が代表的なものとしてなされている。
  ・手出し「4→2」(例1)や「3→2」(例2)の連続捨てからわかること
     → 面子落とし。平和なら、そこよりもっと有効な面子(待ち数が多い・有効な端にかかる・手役にからむ)に待ちがあるはず = それ以外のスジは薄いので大通し
  ・手出し「2→何か他の手出し→4」(例)の捨て
     → 「4」に利用価値がある。「246」がテンパイしたために「46めんつメンツ雀頭メンツ(もしくは他のリャンカン)」となり、「67」への変化を遂げた可能性が一番大
  ・ダマテン後(ツモ切りがずっと続いたあと)、「8」(例)が出た
     → 「678」から「567」への面子変更=その色の678付近が薄く、大通し / 678三色を警戒 / 一通完成を警戒(一通の手役読みを参照) / 一盃口完成を警戒 / 「2」「8」が出る場合に限り、赤5への振り替えを警戒

【一色手の捨牌】
 この系統はある一色が捨牌にあらわれないことによる。また、完全な典型例では字牌の出も遅くなる。この手の迷彩は先に必要な色の牌を切っておくことにあるが、相当の手の犠牲となるので鋭い感性と強い引きが必要となる。つまり、容易には迷彩がかけられない。
他の二色の牌 → 二枚切れの字牌 → 字牌 → 使わない染め色牌(テンパイ)
症例: 九一461八
    五四5六中東
    (2(テンパイ)
 上の症例では、「3-6-9-」のスジが大本命であり、次に「1-1-」と役牌のシャボが考えられる。何にせよ、この色の牌および字牌は打たない方がよい。

【一通狙いの捨牌】
 一気通貫はその受けの狭さより他の手を途中まで天秤にかけるのが典型例となる。よって、一通部分の色の捨牌があまり見られなくなり、一色手捨牌と似た形となる。一通狙いが相手にいるときは、その色のどの一種でもいいからノーチャンス・ワンチャンスを押さえておくと安心である。
症例: 西9北八六2
    北4(6(テンパイ)
 副露においては「123」「456」「789」のいずれかを晒す場合が多い。

【七対子狙いの捨牌】
 七対子狙いにおいては横のつながりが無視されるため、捨牌にメンツが列ぶこととなる。また、字牌・端牌を最終的な待ちとすることを至上と考えている打ち手は、それらを温存し、テンパイ間際に切られることとなる。場が対子場であると判断した中で四巡前後の早い立直をかけられたら、七対子を疑い、無スジの数牌の方が端牌・字牌より安全であるという判断を下すことも正当な手筋である。注意深く見ていると、中盤以降は場に三枚切られた牌を手出しで捨ててきたり、ノーチャンス牌を大切に抱えていたりする。 また、途中まで断幺平和の一盃口含みの狙いで打っていて、途中で七対子に変更する場合もある。この場合は、途中から本記の傾向をとる。どちらにせよ、テンパイ間際に意味なく字牌が手出しされてきては、七対子とバラしているようなものである。 ただし、これらは意識することによって容易に迷彩が可能である。
真ん中数牌 → 字牌・端牌(テンパイ)
症例: 46七1(5(6
    七4西9中(立直) 
 上の症例における危険牌は、「1」「9-」「8-」「2-」「3-」およびその他オタ字牌または役牌となる。
 最後の三牌が「使う可能性があったが結局いらなくなった牌」である。
 断幺平和系を装った七対子はまま見かけるが、手出し牌に注目することでなんらかの異変を感じることが多く可能である。
  ・手出し「5 →(間にその他)→ 2」(例)というように、牌が中から切られ、その上、スジにかかる使いにくい牌(両面チャンス数の少ない;端っこの方の)があとから手出しされる。
     →七対子なら、攻守を兼ねて端待ちを残そうとする。細かく見ていれば、場に三枚切れた牌が即座に出てきているはずだ。

【国士・混老チートイ両天秤の捨牌】
 これらは三色まんべんなく数牌がボコ切られるのが特徴である。チャンタよりは、三色にまたがって「2・8 3・7」の牌も惜しげもなく切られていく。テンパイ間際には一九字牌が切られることとなるが、場が緊迫しているとただ降りているだけでそう切る場合の方が多い。この手がテンパイ近いのかどうなのかの区別は、場が緊迫してきたときに危険牌を勝負しているか否かでつく。多くは最初に故意に二色を切ることで、他家に一色手との区別を途中までつけさせないで牌を絞らせる戦略がとられる。混老チートイならばダマで6400で済むが、国士では役満である。国士ノーチャンス調査は最優先に行うべきである。
症例: 56三(4(7(8
    六五一(32西(テンパイ)
 この症例では、序盤にチャンタと見分けがつかないように少し配慮されているのが伺える。

【三色狙いの捨牌】
 三色同順を棒テンにあわせて狙っていくと、その捨牌にはその三色関連の数牌が三つの色ともあまり見られなくなり、また、その関連牌の出が遅くなる。これは、慣れるか注意して見ない限り見過ごす情報である。勝負に出るときはその三色の要牌のノーチャンスを確認しておくと安心である。
症例:  西北一中2(8
     (7二(67四(テンパイ)
 上の症例では、345三色の疑いがある。

【チャンタ系狙いの捨牌】
 捨牌に「4」「5」「6」が惜しげもなく列ぶのが特徴である。ただし、国士・混老系と比べて、「2・8 3・7」の出が遅れる。また、チャンタは役牌刻子が一組あってやっと純チャンとならぶため役牌効率が悪く、チャンタを否定して純チャンを狙う(字牌を嫌う)打ち方もポピュラーである。三色まんべんなく数牌がボコボコ捨てられるため国士捨牌と区別が付かなかったり、二色から色を寄せて切られて一色手と区別がつかなかったりすることもままあるが、決定的な違いは「1」「9」、次に「2」「8」が温存されることにある。ただし「2」「8」については「122」とあるときはやめに「2」を切るので捨牌にはやくからならぶことも多い。また、「123」「789」と持っていて、一通と天秤にかけて「4」「5」「6」を引っ張るケースもままある。
症例: 北4六西5四
    (5(62七一(テンパイ)
 この症例はチャンタを捨てて純チャンに決めて打っていった例だ。
症例2: 56三(4西(8
    六五一(32發(テンパイ)
 症例2では、最後の發の出からして、三元牌の対子持ちの公算が高い。
 副露においては、ドラが123、789のいずれかであるときに晒した純チャン三色ドラ一が満貫級となるため、このケースが頻繁に見られる。特に晒したところがドラ含みの「123」か「789」である場合はこれである公算が高い。

 総括として、最も頻繁な断幺平和系の手以外の手においては簡単かつ有効な点数でスジ・字牌待ちができる。なめられているときはスジひっかけになっているからと立直してくる場合がある。 読む側の立場から言えば、最も簡単な結論として、「4」「5」「6」がいっぱいぶった切ってある捨牌の立直に、スジで当たる方が高い。無スジの手役非関連牌でもし当たったら、ドラを除いて安い。
 これら典型の捨牌パターンによって相手役を推定できたら、役への非関連牌はまず通ると見ていい。逆をいえば、上記ほどに典型な捨牌をしてしまうと、まず出和がりが望み薄になるということである。これら典型捨牌をとらないようにいかに役作りをするか、また、他手役と見せかけて当たり牌を引き出すか、という迷彩学も麻雀に大きく存在する。迷彩を施さねばツモ以外に和がる期待の薄い状況に置いては、手の進行を犠牲にして捨牌作りを行うことが一般である。(「役ひっかけ」の章を参照のこと)

 ちなみに、典型的な捨牌を覚えても迷彩をかけられたら終わり(意味がない)というわけではない。迷彩をかけるには、かなり確率的な損を受けねばならない。だから、こてこての迷彩をうまくかける人とやるにしても、彼が毎回そんなうまい捨牌づくりを有効な手作りにあわせてやれるほど鬼な引きを持っているわけはないので(持っているのならツモ和がってしまえ、ってんだ)、十局やるとして九局までは気を使わないで迷彩にダマされていればいい。ただし、大事な麻雀のオーラスやその他にある、「ここぞ」という場面で、迷彩をかけられて読みが狂って直られたりしないないように、いっぱい麻雀漫画を読んで(笑)慣れておけばいい。 ツモ和がり重視で打ってくる相手は十中八九典型的な捨牌パターンをとってくる。手役は巡目を追うに従ってばれていくものと前提して戦ってくるのだ。そんな場合にたいせつなのは、ぼーっとしてて手役読みを怠ったりしないよう心がけることと、手役読みをした上でテンパイ気配をなるべく正確に読むこと、待ちがどこかを読むこと(読めるなら)、だ。

【役満手読み】
 麻雀をやるにあたって、役満の警戒は常に怠ってはならない。
 序盤から中盤にかけて真ん中牌が無作為に出ている相手には、「ないと思っても一応」国士を警戒して、4枚切れの一九字牌をさがしてノーチャンスの確認をしておくべきだ。国士は十三面待ちを除いて、あがり牌はそのたった一種類であり、すぐ前で一九字牌がどれだけ通っていても自分が切りたいその牌が通るとは限らないのだ。悪質だが、これには口三昧が大変有効で、「お、国士はったか?」とかいってやれば、態度で察しが付く。(「あ、そうか、国士にも見えるか」って感じの態度なら、国士はない。どんなに否定していても、少しでも真顔になれば、その可能性はありうる。中には、「最初狙ってたけどなぁ」とぼやいてばらしてくれることすらある。)
 大三元の警戒は、「白」「発」「中」の場への数に違いない。それに気付かなくても、初牌を打つときは、一応覚悟をもっておくべきだ。しかし序盤でその2種をなかれてしまったあとは、残り1種は大三元を振ってもいいと覚悟しないかぎり切ってはいけない。包をとるか否かとか、ひょっとしてないかも、とかいう雑念は、その判断材料にはならない。 上級レベルでは、立直してきた人がいれば、その人は残り一種を押さえたのだ、と判断でき、大三元警戒はとくことができる。 この警戒は最も頻繁にあるケースであり、かつ重要なものだ。
 小四喜、大四喜の警戒は、大三元と同種である。逆に、これらを成功させるには、自分にとっての役牌から鳴くべきで、オタのポンは一枚目を断腸の思いで見送るとよい。というのも、相手には、オタからたたかれれば、「一色手・・・トイトイ・・・」と思われ、残りの役牌を押さえられ易いからだ。風牌から叩けば、まだ無限の可能性を秘めているため、もうひとつ目が鳴きやすい。 ちなみに、大四喜にはパオがあって小四喜にはパオは成立しないという。大四喜において一つでも風牌暗刻があったらパオはないのだろうが、点数的な理由でパオが欲しいとき、大明槓を利用してパオをかぶせることはできるのだろうか?(自分はパオなしのルールでやっているので、よくわからないし、興味本位を出ない。)
 「發」を鳴いて索子に染めているところがあったら、「白」「中」が切れてもまだ警戒する役満がある。緑一色はさすがに狙わなければできない。緑しかない索子は、一応特に押さえるべきだ。ちなみに、發が切れていても發なし緑一色は生きているから、緑ばっかのところにはソウズの「23468」は特別な警戒がいる。(索子染めっぽいのに無理して「5」とかを捨てていたら、緑一色が怪しい。「5」捨てに「2」のシャボがないからとスジを頼って切ると、「234」とチーされかねないから注意だ。)
 あまりないが、四槓子への対処は簡単だ。ばればれだから。相当な対子場であることが予想できるから、四つ目のカンを自分がして流してやればいいし、どんな種類の牌も、初牌は切らなければいい。あと、四槓子は誰か一人でも他にカンが入っていると、四槓子テンパイする人のカンで流局してしまうから(だそうだ)、いつでもいいからカンしてやれば、四槓子防止になる。それでも間に合わずに暗槓されるなどしてテンパイ;単騎まちされたら、そして、もし自分が二種以上の牌で待つテンパイを面前でしていたら、オープン立直でタイマン勝負することができる。すなわち、自分のスジやシャボで捕まえたら、振ってもらえるのだ。もちろん、自分の振り込みも十分覚悟せねばならない。そもそも単騎の安全牌などそうそうあるものではないのだから、勝負にいけるのなら降りるより勝負を選んだほうがいい。あとちなみに、この種のオープン立直は三面待ちなら、残り四枚まで晒したトイトイに対しても有効であることが多い。なぜなら、手の内には張っていれば二種しか牌が入っていないからだ。簡単に降ろせるし、集まりすぎれば役満を振り込んでくれる。 ちなみに、四槓子にパオをつける組があるそうだ。四つ目のカンをさせたらその人のパオとなる。あと、大明槓責任払いのルールも一般的にあるので、四つ目のカンだけは絶対にさせられない。 あと、四槓子即和がりというルールもあるそうだが、実際に採用しているのを聞いたことはない。(し、実際に和がったという話はもっと聞かない。)
 清老頭の警戒も、「いくらありえないと思っても」行わねばならない。あまりにはやいと、二つくらいまでは鳴かしてしまいそうだが(端っこの要らない牌だし)、でも三つ鳴かすとさすがに誰でも張る。清老頭という役を知っていれば、さすがに振り込むことはないだろう。でも二鳴きまでだったら、みんな字牌を押さえるので精一杯で、切ってしまいそうになる。(それは、混老トイトイが字牌・ドラを含まなければ安すぎるために勝負されやすいからなのだ。) 清老頭にもパオをとるというルールがあるそうだが、どの時点でパオが成立するのかよくわからない。ちょっと考えた限りでは、パオの成立はあり得ないと思う。

以上(タイトルへ戻る)

◎早い立直への対処 (タイトルへ戻る)

 麻雀をやると、二半荘に一局くらいは三巡目以内の「早い立直」をかけられたりするものだ。そのとき、いかにうつかについてここで述べる。
 まず、早い立直への予感である。配牌があまりにいいと、一巡目や多く二巡目において挙動の変化が見られる。これにより、その人への安牌を残す、という対処をとることで一発を避けることが出来る。
 早い立直への捨牌読みはある。たった二、三個の捨牌でも、そこには確固たる意志があらわれているはずである。特に三・四巡目立直で三色とも数牌が出ているのなら、後に出た二色の そばテン/リャンカンスジひっかけ を本命におけばいい。最初の一色の数牌、特にその外側(3なら1、2)はドラや手役に絡まない限りは待ちになっていないことの方がずっと多いだろう。
 また、立直後に多くの打ち手はその早い立直が妥当な立直であったか否かの反省を行いながら牌をめくるものである。もしその反省が終わる前に手変わり牌をツモってしまったら、何らかの挙動が見られる。この情報は待ち読みにほとんど役立たないことの方が多いが、ときに偶然大事な情報がもたらされることもある。
 早い立直へは、ドラの所在さえわかればその点数評価が可能である。例えば、早い立直者から役牌ドラが出て別の他家がポンしたとするのなら、ドラポンの方が高いと見るのが当然である。
 もしその早い立直をかけた打ち手が実は三連続カンチャン引きとかのスーパーツモ列に入ってて単騎で待っていたりすると、一発でツモられる恐れがある。特に前局で和がっていたりして上昇運気の傾向にある相手の早い立直は一発ツモこそなくとも放っておくとツモ和がられる公算が高い。(「運気について」の章を参照のこと。) こういうときは、鳴けるのなら立直後に鳴きを入れてツモ列をずらす戦略がある。そして、本来その人がツモるはずだった牌こそが当たり牌と予感してまわし打つのだ。この逆として、最もツキのない人のツモ列がずれて自分にきたら、そのツモ牌は立直への当たり牌と予感することもできる。
 また、早い立直へは全く無視して打つ打ち方もある。しかし、やはり現物優先で、その次に安全そうというよりむしろ当たっても安そうなオタ風・端牌から切ることとなるだろう。とはいえ、勝負手が来ているのなら早い立直への本命を勝手に決めて読んであとの重要でないところはすべて打っていく打ち方も有効であろう。
 ちなみに、「早い立直は1・4索」という格言は「早い立直は安そう」という言葉の「やすそう」が
「やすそう」→「やっすぅそう」→「いっすぅそう」
と変化を遂げて生まれたものであって、何の根拠もない。ただ、早い立直の「1・4索」に打ちこんでもらうと、「見え見えじゃん」といぢめることができたりする。

以上(タイトルへ戻る)

◎立直一発ロンを狙う −立直時の待ちの善し悪し− (タイトルへ戻る)

 一発は偶然役だが、それは結構狙うことができる。
 他家の捨牌に注目していれば、手の進行を判断できる。その簡単にわかる分岐点は、「安牌(多くは場に二枚以上切れた字牌)の中盤以降の手出し」であり、これを切った直後にリャンメンで立直すれば、勝負して振ってくる公算が比較的高い。なぜなら、手の内はテンパイか好型のイーシャンテンであり、テンパイなら勝負して追っかけ立直をしてくるだろう(それも、手代わりをあきらめてかもしれない)し(テンパイを崩して降りられたなら、降りられたでよい)、イーシャンテンなら一発目でテンパイすればその余り牌(おいしい中張牌であることが多い)を切って勝負するしかない状況に追い込める。これは、「安牌を安牌として切るのではなく、いらないから切る」=「手が煮詰まっている」ことを意味するからだ。安牌を切った直後(それもダマ)というのは、最も無防備で振りやすい状態なのだ。ジャストタイミングでその人より先に立直すれば、おいしい。(ただし、ひとつタイミングを間違えるとダマへの放銃をしてしまう危険性がある。)
 地獄待ちは一発を狙うなら、タイミングが難しい。地獄待ちは出あがりを望む待ちだ。残り一枚をつもる可能性は低く、なにより一枚しかないので、王牌に眠っていると純カラとなってしまうのだ。そして、立直さえかけなければ、他家が地獄待ちをしていない限り、それは安全牌、最低一巡はテンパイ維持しながらまわせることが保証されている。しかし、立直をした方が、安全度の高いその待ち牌を引き出しやすい。このような矛盾を抱えている。
 こんなことがあった。ある一家が張っていてみんな警戒しているとき、となりが「西(場に一枚切れていて、安全牌?)」を切ってきた。そこで、単騎で張っている自分が「西」を引いてきた。以前の単騎はある一家に比較的通りそうだ。ならば、「西」単騎待ちで勝負、立直してみる。地獄待ちだが、ある一家のとなりが「西」の対子おとしをしている可能性が高いからだ。案の定、彼は一発目で「西」を切ってきた。立直一発三色、ジ・エンド。これは押さえられない。彼にたとえ単騎と読まれて一発目を避けられたとしても、西はフリテン牌なのでベタオリか振り込みか形式テンパイ(テンパイ後永久に安牌ツモ切り)以外ないのだ。
 上の例は運が大きくかかわっているが、一般的には、地獄待ちは勘で立直をかける。中盤、何かをツモって無スジの中張牌が手出しででてきたとき、その人は張っているか、安牌と振り替えての危険牌処理をしたイーシャンテンであろう。地獄待ちなら、そこでこそ立直だ。その安全牌(ホントは超危険なのだが)がひょっとすると自分のあたり牌にジャストミートしているかもしれないし、追っかけ立直をかけてきたら、二家も立直をしている以上、他の二家も苦しいので地獄待ちまでは押さえられまい。もちろん、追っかけてきたところに自分が振り込む公算は非常に高いが、自分は四家からあがれ、相手は二家しかないのだ。最低イーブンにもっていける。失敗するのは、三人目・四人目と追っかけてくるときだけだ。このときは自分の天運の弱さを呪い、引きの強さを祈るしかない。
 他、序盤なら、字牌待ち(それもオタ)がいい。浮いた現物があれば現物切りだが、安牌のない打ち手は数牌より字牌の方が「まだ安全(はやい立直だし、オタなら当たってもまだ安いカモ・・・)」という意志から字牌を切ってくる。親でオタで字牌待ちできれば(単騎は暗刻で他家に押さえられかねないので、シャボの方がいい)、まず立直の出あがりが望める。場合によっては対子落としして振ってくる。ただ、親にしてオタ風を対子るまで抱えるのはまま至難ではある。中盤をすぎると、こちらは安い上に相手にもちもちにされて失敗しかねない。
 逆に、序盤のスジひっかけは端待ちでなければあまり意味がない。スジとはいえど現物でなければ危険であり、それを勝負する段階には序盤で入っていないことが多い。それより、押さえ込まれてくっつかれて処理される公算の方が高く、かえって無意味となりやすい。しかし序盤にして何かの役を後戻りできずにひたすら追っかけている相手がいれば、その相手の使えない牌で待ってやれば、それもスジひっかけできれば、あがれる。端にかかったスジひっかけがあがりやすいのは、一般にみんなタンヤオをつけたがるからだ。さらに、スジとして、端のスジはシャボと単騎しかないためチャンスは少ないし、タンヤオは必ずつかず、安いことがおおい。そんな気持ちから、同じスジでも端スジは振ってくる。(ただし、チャンタだと語っている捨牌では逆に押さえられかねない。が、それでも他家は勝負にいきたくなるものなのだ。)
 ひとつだけ気を付けねばならないのは、七対子を示す立直の捨牌(メンツ落とし及び端牌・字牌の温存=後の方の切り出し)において、それを読んで字牌・スジ牌より無スジの数牌を優先して打ってくる相手がいる。こういう相手が二人以上いるときは、あえて無スジの何でもない牌(でもチャンス数が少なくて使いづらいもの)で待つと有効だ。
 さて、もうひとつ一発を狙えるチャンスとして、山越ひっかけがある。それについてはその章を参照されたい。

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◎ツモを狙う −山にある牌への読み− (タイトルへ戻る)

 山にある/ないを読めると、手作りからツモあがりまでの効率が一気に向上する。七対子はすぐにテンパイできるだろう。リャンメン待ちは即座に完成できるだろう。四暗刻はモチモチ牌を嫌えるだろう。
 山にある牌はある程度予測がつく。
 まず、例えば「78」を持った「6−9」待ちのメンツがあるとして、「6」や「9」が他家に河に捨てられれば、捨てられた枚数だけその待ちの数は減る。山にある可能性も減る。これは基本だ。
 ノーチャンス(壁)によって使えなくなっている牌は、他家に対子・暗刻になっているか、山にある。他家にあるかどうかは、他家の手役・状況などで判断。もし河(や晒したとこ)に壁材があるのなら、他家を脅せる立直とかができるときは実行だ。山にあったとして、ツモれてよし、他家にあったらオリられたとき振ってくれるし、孤立牌で引かされてもツモ切ってくる公算は高い。どのみち、場に見えているノーチャンス・ワンチャンスの立直は残り枚数に比例してあがれる公算の方が高いのだ。
 序盤(特に三巡目まで)に他三家から共通して孤立牌の様相を呈して切られた牌の周囲は、まだ山にあるっぽい。どういうものが孤立牌の様相か、といえば、一九字牌とか、それを切るのと同じ雰囲気で切られた2・8牌とか。(見極めは難しい。)ただし、これは対子場においては、その周りの牌は対子として収まっている可能性が高くなる。
 この章の最初に、捨てられた枚数だけ待ちが減る、と書いた。しかし、「78」を持っていて、序盤に「9」が三枚くらい切られてて、中盤・目の前で「6」が二連続くらいでツモ切りされて、薄くなった・・・と思っていると、これができてしまうことはよく体験する。そして場に一枚も切られていない「34」の「2−5」とかが最後までツモれない、なんてことがよくある。 これは、皮肉だが納得のできる話だ。この例で、「2−5」は、中盤過ぎてもツモれないのは他家に使われまくっている公算の方が高いことを意味しているのだ。逆に、序盤の「9」切りと「6」切りは、「78」メンツを他家が持っていないことを大いに意味している。
 他家は、使わない牌を引いたとき、場に切ってみせてくれる。「ある牌が他家に使えないと読む」ことは非常に重要で、それこそが山にある/なしの読みの根底をなす。ある使えない牌は、使えない他家の捨て牌になければ彼の手の内にはなく、つまるところ山にあるということになるのだ。
 「ある牌が他家に使えないと読む」ことは、他のあらゆる方法で可能だ。役読みから、例えば一色手のところに他色はなく、タンヤオ手に端牌はなく、チャンタ手には真ん中牌がなかろう、と読める。他家三人をあわせれば、偶然、気になる牌が山にあると推定できたりする。
 山牌への推測にはもう一つアプローチがある。これは特殊なケースにのみ該当する。例えば他二家が同じ索子で染めていることがわかったとしよう。とすると、その両家に索子は二十枚くらい入っていることとなる。ということは、索子は残り十六枚以下、山の何分の一しかないことか。必然的に他の色をツモリやすいはず、と予想がつくのだ。しかし、これは大雑把すぎて自分は利用していない。というのも、一色手がいると、どうしてもそこへの牌を押さえたいがために結局はその色のメンツも待ってしまうこととなるからだ。ならば山になにが残っていようが関係ない。

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◎立直後の事故を予測する (タイトルへ戻る)

 例えば立直後にドラを引いて、もし立直していなければドラをいれて手の内からスジを出してテンパイ維持だったのに、と放銃して嘆くのは、運が悪い以前に人が悪い。
 例えば、役牌がドラのケースで、ドラが場に一枚も切れていない状態でテンパイしたとする。いや、白・発と鳴かれて中が切れていないときでもいい。とにかく、そのようなヤバい牌をその後つもるかもしれないとして、そんなときに立直するか迷うなら、そのヤバい牌を引いた際のことも考慮に入れねばならない。すなわち、もし立直をかけていない状態でそのヤバい牌を引いて、それを叩ききるだろうか、と考え、もし切るなら立直だ。もし切らないなら、立直はまだ控えるべきだ。それ以前に、その牌がまだ山にあるだろうか、ということが読めるなら、読むべきである。ヤバ牌をつもる公算が低い、と読んだなら、「つもって振る」覚悟を決めて立直するのはよい。
 この心がけは、胸に留めておかないと実行が難しい。というのも、例えば役牌のドラにせよ、自分のテンパイ時にはその牌が手にからんでいないときにこの配慮が必要なわけで、忘れがちになってしまうからだ。

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◎裏ドラ理論 (タイトルへ戻る)

 裏ドラは「おまけ」と考えて全く無視していいものか。ここにもセオリーは一応存在する。
 まず、平和には表裏あわせてドラが一枚のるのが確率的に普通だそうで、表がないなら裏を一個期待するのは妥当な考えとなるという。オーラスの逆転時に、裏一個乗れば逆転という平和の立直はアリなのだ。でも、一枚ドラがあるのが平均だとすれば、二枚乗るのと同じかそれ以上に全くドラのない平和があるわけだし、どこまで期待していいのか確率的な話はよくわからない。(計算はできると思うけど、ここではしない。)
 あと、七対子はノードラでも裏によって満貫・ツモり跳満を期待できるし、表を二枚入れて立直すれば裏によって跳満・ツモり倍満となり、槓ドラをあわせればかなりの期待で満貫〜倍満に達する。このように、他の手役がコツコツと手役を重ねていって満貫〜倍満に達するのと比べると、七対子は一発逆転のあるギャンブル的点数評価が与えられている。
 次に、「裏ドラノーチャンス」とかの、裏ドラのチャンス数を考える。「2」が四枚見えていれば、「3」が裏ドラになる可能性はない。同様に槓ドラになる可能性も槓裏になる可能性もない。
 リンシャン山は五人目の手牌であるといえる。そこに何があるかを一番よくわかるのはもちろん手積みでは山を積む際に覚えていることなのであろうが、そういう話を別とすると、「山への読み」と同様の適用が出来る。例えば「333」という暗刻を持っていて、河に「3」が一枚見えており、「2」が一枚も見えていないとする。こうなると、「22」とか「222」は他家に入っていると考えるのが普通であるが、もし山が残り少ないのならば、同様に「五人目」であるリンシャンに一枚くらいは入っていてもおかしくない気がする。そんな暗刻が二つある二暗刻を立直するのは、大いに裏ドラ期待立直だ!(はずれることのがずーーっと多いだろうが。)そして、暗槓して槓ドラ・槓裏と増やしていくにつれてその暗刻が爆発する可能性が高くなるぞ。 以前、「2223446一二三(4(4(4」と持っていてダマでまわしていたら「5」をツモったので決めていた通りに「4」切りのフリテン立直をした。「2」が河に一枚あるわりに「1」は一枚も見えていないので対子か暗刻かな、と思っていたら「(4」をツモって槓して「1」をツモって和がったら槓裏表示牌が「1」だった。「1」対子はリンシャンが持っていたのだ。 だから何なんだ。どうやってもう一回再現するんだ。
 ところで、上の例でもそうだが、「222」という二の暗刻は、裏ドラ予測が比較的容易に可能である。というのも、「1」のチャンス数が低いため、その所在が予測しやすいからだ。残りツモ枚数が少なくて、「222」と持っていて、河に「2」が一枚ある。なのにまだ河には「1」が一枚しかない(とか二枚あるけど誰かが対子で持っていそうな気配もない)というのなら、リンシャン牌に「1」が入っている公算は大きい。(確率的には同確率で他家に重なって入っているわけだが、それは他の要素で読める。)「1」がドラ表示牌かどうかは別だが。
 「白 發」と孤立牌があって、どちらも切るつもりだとする。そして場の状況としてどちらも変わらないとする。そんなときは勘で選ぶわけだが、裏ドラ理論的には「白」を残して「發」を切ることになる。裏ドラチャンスが「發」の方はひとつ少ないからだ。(と、昔先輩に習った。)これを長いスパンで続けていけば、きっと少し得することになるのだろう。しかし、この法則を適用していることを人に知られると、長いスパンで必ず損することとなっているはずだ。そんなわけで、やっぱり勘で選ぶ。
 そうはいっても裏ドラは和がる際は期待しないのが基本であるし、振り込む際は一つや二つ乗ると覚悟するのが基本である。槓してそれがそのままドラ4になって、ある暗刻が裏ドラ兼槓裏ドラとなって「立直三暗刻ドラ10」の役満になってまったのを目の前で見たこともあるから、裏ドラを味方にすることはあっても敵に回してはいけない。

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◎スジひっかけについて (タイトルへ戻る)

 自分の現物のスジを打たせて、それで討ち取るのがスジひっかけだ。
 スジひっかけは、打ち手のレベルにより調整が難しい。
 まず、スジを知らない初心者相手には、スジひっかけは全く効果をなさない。
 スジが安全牌だと勘違いしている打ち手(またはスジひっかけはやられたらしょうがないもので、当たったら運が悪いだけだと考えている打ち手)には、スジひっかけは絶大な効力を誇り、リャンメンよりむしろカンチャン・シャボなどの数牌で待った方が後ひっかけにもなるので打ってもらえる。
 スジひっかけも、ある程度引っかかって授業料を払うと、引っかからなくなる。こうなってしまった打ち手は、安牌に困ったときと、自分に手が入ってあがりにいくとき、スジが安全そうなとき(下記参照)くらいしかスジを打ってこないものだ。
 スジひっかけで ひっかけて 討ち取るには、まず自分を警戒させねばならない。これには立直は有効だ。これにより、「テンパイしました。」「1翻あがりました。」と脅し、中途半端にびびった相手はスジを切る。
 スジひっかけの弱点は、
・無スジをボコボコに勝負されて凍る(こういうときは、勝負してくる人に最強最悪な手が入っていることが多い・・・し、スジひっかけの自分はあがりにくい/安い等の問題を抱えていることが多い・・・)
・待ち牌の数がどうしても少ないので、ツモりにくい/ツモっても他家からシラっとされる
というところにある。これは、待ち牌が使われているかを考察(「ツモを狙う」の章参照)して、待つようにすると有効だ。

 スジには、ただスジというだけでなく、そのスジの安全度がある。
 例えば、注目するスジ牌が、場に二枚切れているとする。こうなると、そのスジはシャボにノーチャンス。あるならカンペンチャンとなる。そして、手役読みから、そのカンペンチャンが何か役に関わるかを捨牌やその他の牌のチャンス数で考慮すると、三色の可能性があるか、一通があるか、ドラがあるか、とわかってきて、その待ちを選んでいるかがわかる。二翻役があるなら、ひっかけになっていなくても立直してくるかもしれない、すなわち後ひっかけでも信頼ができない。ドラ内蔵の立直なら、待ちはいい方がいい。ならば、立直前の捨牌のスジは意図されて狙われているかもしれない。 場に三枚切れているそのあがり牌を見て、それでもそれのみ(カンペンチャン)で待って立直する打ち手はいるだろうか?これはいないと見ていい。さすがに、残り一枚、よほどの手役がらみや脅し立直なら別だが、使われていたり、他家の使用がノーチャンスでも王牌にあったりベタオリされたりすれば事実上の純カラとなってしまう。これはさすがに立直はなかろう。(前述のように、奇跡にかける立直と脅し立直では十分にありうる。これは点棒の状況から判断。)  しかし、これは逆手に取れるのである。上級者でもこれならスジを切ってくることがある。(他にも様々なファクターでの偽装が必要だが。)
 また、スジの安全度は、別の角度から測ることもできる。世の中には奇特なもので、スジひっかけを滅多にしない打ち手がいる。スジひっかけをしない打ち手にはスジは大通しなのだ。他家がこのタイプの打ち手かを見破るのは難しい。

 しかし、スジひっかけというのは結局のところ本質は弱々しいカンペンチャン単騎待ちなのである。それも数牌待ちだけに、使われていれば終わりである。ツモりやすい待ちへと移行できるのに、あえてスジひっかけにとらわれる必要はないというのが今の時代の考え方である。

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◎役ひっかけについて (タイトルへ戻る)

 相手にある役を予想させてそれを裏切って当たるのを役ひっかけと呼ぶとする。(これは筆者の全くの造語である。普及させようとは思わない。)これはやるのが難しいが、適度に織り交ぜると上級者にあらぬ妄想(すべての可能性)を思わせて何も切れなくなってオリさせたり、見え見えの手をそうと読まれなかったりして(末期では見え見えに振り込んでくる)精神的打撃を与えることが出来る。逆に、初級者にやっても気付かれないか、なめられるか、わからん!と暴走されて困ることとなる場合がある。
 一般的に書いてもわかりづらいので、具体的なケースをいくつかあげることとする。
 ケース1:食い断と見せかけて(捨牌を端牌嫌いに捨ててヤオチュウ牌を鳴く)、役牌(役)内蔵、端牌で当たる・・・その出来役を想像させないことがポイントとなる。
 ケース2:ある色の染め手と思わせて(捨牌を他二色で固めてある色から鳴く)、他の色で当たる・・・一通の出来役があるときとトイトイのときにやりやすい。早い巡目なら、ある二色を切ってそのうちの一色で染めて待つことすら
 ケース3:平和と見せかけて(端から順に切って無スジをある程度残す)スジで当たる・・・「スジひっかけについて」の章参照
 ケース4:七対子と見せかけて(三色とものメンツ落としと字牌・端牌・壁による孤立牌温存を捨牌に出す)、無スジであたる(七対子で無スジで待ってもいいし、平和系にまとめてあるとなお効果大)
 どれも、ドラが内蔵していれば強力であり、逆に内蔵していないと意味を持たない場合もある。(点数的に見合わないひっかけ和がりはただの徒労である。)
 この種のひっかけも、どの種のひっかけをやるかを知られていると通用しなくなる恐れがある。しかし、見え見え以外は煮詰まっていると勝負してくるだろうから和がりやすくは、ある。

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◎山越ひっかけについて (タイトルへ戻る)

 ダマで当たり牌を一度見逃し、次巡にツモ切り立直をかけたりすることによって、直狙いや得点倍増を狙うひっかけのことを、山越ひっかけ(やまごしひっかけ)という。
 例えば、「中中西西西11234四五六」(ドラ中)なんていうダマで待っていて(後付あり)、あるところが「中」を強打してきたとする。当たって(約)満貫だが、ここで、誰かがそれを見てカチっとネクストバッターズサークルに一牌動かした。なら、興味なさげにさりげなく見逃して、高々とツモ切り立直だ。相手は「まさかなぁ」といいながら切ってくる、ドラ「中」を。 静かに倒そう。「立直一発中ドラ3」でとりあえず跳満、裏をめくることとなる。 これをかかえて死ぬことができるなら、彼はその前に浮き「中」持ちを悟られないようにすべきだ。  これは一度やったら二度は通じないと思っておいた方がいいし、二度もやると嫌われる。それに、読みを誤って王牌に残りの字牌ドラが入っていたり、二枚目のドラを持っていそうなところに降りられたら(手が入っていなかったり、役なし単騎の警戒をされたらそれまで;山越の警戒までされたら末期)相当危険である。(一枚目のドラを切ったところが、まず追っかけてくるだろう。) しかし、痛快なので一度はやってみるといい。
 ちなみに、立直前のツモ切り牌を安牌と認識しないでさぼりながら麻雀している人には、山越即ひっかけすら通用しないことがあるので注意だ。

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◎ひっかけの有効性 (タイトルへ戻る)

 代表的なひっかけには、
・スジひっかけ
・役ひっかけ
・山越ひっかけ
・切り順による捨牌迷彩のひっかけ
・巧妙に鳴くひっかけ
等があるわけだが、そのいずれもひっかかる相手に必要な要素は「保身」である。どうしても高い手には振り込めない、安全な方へ、安全な方へ、という相手の日和り志向こそが相手をしてわざわざ当たり牌を切らせる原動力であり、ひっかけの格好の餌食となるのだ。そのため、何が安全であるかがわからない相手や、それを無視する相手には裏目が出るだけである。
 相手に日和りを生じさせるには、そのような場面になっていることが必要だ。高レートですくんだりするのも立派な日和りである。
 一度ひっかかったら、常にひっかけをしてきていると思いこむタイプには、ストレートな手こそがまた逆にひっかけとなり、それにまで振り込むとその面子は崩れる。
 ひっかけをする相手か、しない相手か、という情報は誰もが欲しがるものだ。実際はするもしないも自由なわけであり、この問題は、心理戦の領域である。しかし日頃の麻雀では差しウマ等はつけないのが普通であるし、比較的有効にひっかけられるときはひっかけ、ストレートなときはストレートにツモる、という麻雀スタイルが一般的で、偏るのも損であるよう思える。ただし、上級者同士では迷彩によるひっかけ直狙いは必定となるケースがあるので注意が必要だ。

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◎ドラの所在について (タイトルへ戻る)

 ドラの所在はある程度読むことができる。
 数牌がドラの時:「6」がドラだとする。「5」が切られて(ツモ切りならなおさら)、あと他に役がありそうなら、「66」と持っている[ドラ二枚]と判断すべき。「5」が中盤に手出しで、「3」や「8」が切れているならなおさら、「56」ともっての「4-7」[ドラ一枚]を警戒すべき。 しかし、孤立牌「5」を切ってのドラ0枚のケースも同じくらいありうる。この場合は、行動から理解できる。役牌を一鳴きしてきたりして、他に手役が浮かばなければ、おそらくドラ二枚以上と判断。「ドラがない」と判断するには、他のところのドラの枚数から、消去法でいくのが有効で、あるところが前述のような感じで2枚あり、と予想できたら、もう一人は「2枚以下・・・」と見るのである。さらに自分が1枚、2枚もっていれば、「0〜1枚」とわかる。そして、その「5」が孤立牌である、とわかれば、「4」「7」等のドラそばがそこに比較的安全であることがわかる。ただし、例外で当たってしまうと大事故なので、最終的な勝負のときの自分への言い訳くらいにしかならないが。
役牌がドラの時:役牌のドラを対子で持っている打ち手は、通常、その他の役牌を大事にする傾向がある。というのも、ドラ役牌をポンするなり暗刻にして役をつけるのは難しく、他に手軽な役を付けてドラを生かしたく思うからだ。また、役牌のドラ暗刻を持つ打ち手は、焦って鳴きしかけて来ることが多い。捨牌と照らして、どう考えても役に結びつきそうのない鳴きを入れてきて、ドラが場に出てなければ、その鳴いた家にドラが三枚潜んでいると警戒するのは妥当である。
 ※赤5に対する考察は、別章にまとめた。
 ※裏ドラに対する考察は、別章にまとめた。

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第一部はこれで終わりです。続きは第二部をご覧下さい。

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