K_Co.麻雀学 第二部

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◎牌の押さえについて (タイトルへ戻る)

・鳴きの有効性
 麻雀では、自分の手の都合を多少犠牲にしてでも牌を押さえた方が有利であるとされる場面がある。
 麻雀をやる際、もし必要な牌をすべてつもってこられるなら、他家があがってしまわない限りツモあがってしまえる。しかし、運が下降気味のときは、食い仕掛けなければあがれないものだ。逆をいえば、欲しい牌をうまく鳴ければ、それは必要な牌をすべてつもっているのに等しいといえる。
 相手が自分に不利な鳴きをするレベルなら、牌を押さえる必要は少ない。「鳴く」という行為は、「鳴いても鳴かなくてもいい」という選択性がある以上、しっかりした打ち手が「鳴く」というのは、はっきりとその人に有利に動いており、残りの三人は、確実に一歩後手を踏んでいるはずだ。
 食い下がりのない役においては、鳴かせることの不利さは特に顕著だ。具体的には、一色手、役牌、三連刻・三色同刻等々だ。基本的にはドラが存在している以上、他の食い下がり手でも、鳴いて十分となることは実に頻繁にある。
 しかし最も鳴かせて不利なのは、他家のスピード重視の手を進めることにある。他家のキック手が自分の好手をつぶしてしまうのは実に不利であり、それを進めるのは不利な行為だ。
 麻雀をやる際、もし他家のことを考えずに自分の手だけを考えて牌を切っていったら、そのいらない牌は鳴かれ放題だ。その都合から、牌を押さえるという打法が生じる。
 牌を押さえるというのは、具体的に以下の種のものがある。
・役牌の押さえ
・他家の染めへの押さえ
・下家のチーしたそうな牌の押さえ
・ドラの押さえ
 この中で最も大事なものは、ドラの押さえと、役牌の押さえだろう。
 役牌の押さえについてだが、よく麻雀のやりはじめでは、字牌は使いにくいから、と簡単に役牌が捨てられる場面が見られる。そして、三巡目くらいまでに役牌が鳴かれる。これは、明らかに不利な行為だ。その不利な理由を説明する。例えば、役牌を対子で持っていて、あとカン8索をひとつ持っているリャンシャンテンの打ち手がいるとする。ここで、その役牌と8索の浮いている上家がいるとする。役牌→8索の順番でその上家が切ったら、ポンされて、チーされ、テンパイだ。8索→役牌、とほんの少しだけ手を犠牲にして上家が役牌を押さえたなら、8索は役牌の後付を嫌って、見送られるかもしれない。見送った次の巡に役牌がポンされてもまだイーシャンテンで、さらに8索を上家は処理できている。 また、役牌を押さえていると他家がそれを切ってくれる場合があります。この場合、それがロンされれば、切らなくてラッキー、鳴かれればその瞬間からその役牌は国士以外への安牌となり、先に切った方が勝負している分、不利な行為をしていると言える。
 ドラの押さえもこれに類似する。すなわち、ドラをポンしてドラ3ついたとして、鳴いた相手は鳴いた瞬間から、立直ドラ2からタンヤオドラ3や役牌ドラ3などに切り替えることとなる。この切り替えが遅ければ遅いほど、他の牌を鳴いて手を進めるチャンスが減るわけで、そういう意味でドラも押さえた方が良い。さらに、ドラはもう一枚くれば、即座にドラ2であり、この対子を使うのは容易だ。河にドラをかぶれば、二回ドラを勝負することとなる。温存しておいても損はない。字牌のドラなどで、場に二枚切られてしまっても、まだ地獄待ちで待てるのだ。ダマならなおさら出やすく、点数が十分となる。
 しかし、牌の押さえは度がすぎるとただの自爆行為となる。その度合いとして適すると思われるのは、
最初の一打から三打くらいまでは、最も不要な牌を処理。ただし、ダブ東・ダブ南(特にダブ東の方)だけは押さえる。
その後の序盤は将来どのメンツが完成しても不要になると思われる数牌を、役牌より優先して処理
複数処理したい役牌があるときは、場に切れている牌の方から優先して処理。条件が同じ役牌が二つ以上あるならば、他家への読みとカンで一牌まで残して、切る必要性を感じたとき(他のメンツに押し出されるとき)に勝負。(序盤に三つ以上ならオリもありうる。→オリ打ち参照)
 キック手をするのは、南家の仕事とされている。(それは、あがって親を迎えるとラッキーが訪れるという迷信があるのもひとつの理由だ。) 自分が親の時、南家がキックのそぶりを見せてきたら、自分はあがりに賭けながらも、欲しそうなスジは押さえる方向だ。チーされてはスピード重視のキック手に加速度を与えてしまう。
 北家は、親に鳴かせないのが仕事とされている。というのも、親が連荘目的のはやあがりをしてくるとも限らないからだ。親の欲しそうなスジは、自分がテンパイに近いときギリギリに切って、鳴いてきたら立直して振らせてやろう。
 ところで、南家が(特に)北家からポンをすると、親のツモが周りより一回少なくなる。これが三回繰り返されれば、親は三巡もとばされるわけで、親への阻害は大きい。 逆に北家がポンすると親のツモが増える。北家のポンはひかえるべきである。 このことを意識すると、西家は南家が積極的にポンをするのが普通なので、ツモが増える。だから、西家は手を高めて親と点数で勝負するのが理想なのだ。

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◎オリ打ちについて (タイトルへ戻る)

 手が勝負になっていないときは、オリて次に賭ける。
 麻雀はその性質上、振り込まない限りは特に大きな失点はないと考える。それは、トップへの優遇が基本となっており、実質の点数より、他家との点差の方が重要となってくるからだ。ツモられるのも失点には違いないが、他の二人も失点しているわけで、あがった人とくらべても、そんなに「点差は」つかない。振り込むと、あがった人と振った人の間に、あがり点の倍の点差が開いてしまう。
 そういうわけで、オリには有効性がある。
 オリ打ちといってもいろいろな種類がある。
 ベタオリはオリ打ちの典型で、自分のあがりは完全にあきらめて、ただ振り込まないことを目標に打つ。この基本は、全家の共通安牌を打ち続けることにある。なるべく上家の捨てた牌と同じ牌を打ち(それは、その瞬間だけ全家共通安牌となるから)、流局までの安牌計画をたてる。ベタオリすると決めたら、手役への誘惑は一切排除しなければならない。すなわち、「手になってきた」と方針を変えて勝負にいっても、それはロクな結果とならないというわけだ。(なんでか知らんが。)※「◎ワンチャンス・ノーチャンス」章の安牌作成法を参照のこと
 配牌で8種9牌だったり、その他の事情で、どう考えても不利なときがある。こういう場合は、国士無双を狙いながら、安牌を残しながら、それでもまず特定の二色だけを切って染め手への警戒をうながし(特に、1・9と持っている牌の色の染め手と思わせられれば、国士が張った時に少しでも出やすい)、オリるのだ。危険牌を勝負すると大物手(国士)が入っている、と思ってくれるメンツがいるのなら、それを偽装して降ろしてやってもいい。他家がダマで張った気配を感じたら、ドラでも勝負してやって(特に、手の内にドラノーチャンスの根拠でもあると安全に偽装できるが)、降ろさせてやることもできる。ただし、手の内と河から、国士がノーチャンスがわかっている相手からはジャカジャカ押されるので、偽装に失敗しそうなら、とっととベタオリだ。

 オリ打ちとは分けて考えたいのは、回し打ちだ。
 回し打ちとは、自分の和がりはあきらめず、振り込みを避けるために、多少手の進行を犠牲にして打っていく。イイトコきたら勝負/もしくは和がり、という打ち方をいう。基本的には、一個くらいの孤立危険牌(それも本命)を切ってテンパイにはとらずに、頭や待ちのメンツを通ると読んで(または安牌として)落とし、孤立危険牌をなんとか使い切って(特に対子・暗刻で押さえられたら最高)あがることが回し打ちとなる。
 回し打ちでは、手役の高さより、相手の和がりを阻止するための自分の和がり、ということの意味の高さを重視したい。三色なり何なりをすべてあきらめてタンヤオのみで回し打って千点であがったとしても、相手としては、和がれなかった衝撃の方がずっと高いのだ。逆に、自分が純チャン三色ドラ一なり何なりを回しながら張ったとしても、それを確定させるためにわざわざ振り込まなくていいのに振り込んだとしたら、これは自分もショックな上に相手にとっては最高にラッキーだった、となるのだ。
 だからといって、回し打ちでは常に安く、安く和がればいいかといえばそうではない。相手の当たり牌をある程度まで絞ったら、それに向かっていって、出来うる限りの最高の手であがってこそ、それは強いと言えるのだ。相手の手の高さを判断できれば、○点くらいいつでも取り返してやる、と振り込みを覚悟して勝負するのは実に麻雀だ。こういうときは不思議なもので、牌が通って数巡で通された人が振ってくれる。
 自分の和がりを拾うことだけが回し打ちとは限らない。自分の手が手になっていないときは、他家が他家に振り込んで局が終わることを望み、そのためにはあえて少々の危険をおかして他家に鳴かしてみたりする。ある一家の大物手を防ぐために、点数が予想できるときは安い方の他家へ当たり牌を差し込んでみたりもする。 ベタオリが弱いのは、そうと悟られれば他家がノーマークにしてきて楽々回し打たれることにある。ベタオリを悟られないように工夫して降りれば、他家はこちらにもプレッシャーを感じて苦しくなって本物に振る公算が高くなるし、回し打とうという気力も押さえることができる。比較的安全・簡単にできるベタオリ隠蔽には、「ワンチャンス牌を勝負牌と見せかけて強打」「字牌の暗刻から一枚だけ強打(あとの二枚はずっと後までとっておく)」という切りスジがある。また、ベタオリすると姿勢が悪くなるという通説がある。よって、それを見られないように、降りているときも常に相手の待ちを考えながら打つようにするとよい。

 さて、自分の和がりを拾いに行く回し打ちを、具体的にどうやるかについて述べる。
 回し打ちの命となるのは、相手の危険牌に対する読みひとつである。麻雀は当たり牌を切ったら何があってもそこで終わりだが、数少ない当たり牌さえ切らなければ何でも通る。相手の手を一点で読んでいるときは、かなり強気・かつ正確な回し打ちができる。読みが正確なら、オープン立直に対する回し打ちと同様の切りスジとなる。
 テンパイ時に最も手軽にできるポピュラーな回し打ちは、雀頭落としだ。これをするために、安い平和の手作りをするときなどはあえて切れたオタ風雀頭を採用したりもする。雀頭落としの利点は、まず二巡は振り込まないこと、(これによって安牌が増える期待が大きい。)次に危険牌が一牌種なら最悪でも単騎待ちにして使い切って和がることが可能なこと、にある。危険牌を単騎待ちにできたところで、もしそれを切って通っていれば和がれていることとなる。そういう意味からも、雀頭落としは安全ではあるが弱気な打ち方である。
 次に、メンツ落としがある。最も安全かつ弱気なのが字牌の暗刻落としである。これは三巡の猶予を与えてくれて、断幺への変化が期待できることが多い。しかし、一枚落として対子として使うのならともかく、三枚とも落とすのなら最低三巡は復帰できない。  待ちメンツ落としとしては、「23」と持っていて、相手の捨牌に「5」「6」があれば、スジを頼って両方落として様子を見たりする。  回し打ちは読みが勝負だ。読みには「色読み」と呼ばれるモノがあり、それは相手の待ちをある色に固定して決め打ってしまうのである。これが高確率で当たるのならば、その色だけを使い切って「123」とかの出来メンツをとばしていく(「3」くらいが現物だったりして)打ち方もある。
 あとは「一点読み」である。一点とまではいかなくても、「これだけは切らない」(=これが待ちに違いない)という相手の和がり牌を想定し、それ以外はすべて切っていくのである。その「death牌」を掴んだときに切らずに処理する(ベタオリかそれを中心にした回し打ち)ことと、その一点で読んだはずの牌が通ってしまったときにあきらめる(読みが狂っているのだから、これ以上突っ張ってもろくなことがないと悟る)ことが、相手を無視して打っていく「全ツッパ」とは違うところである。
 回し打ちの最高型としては、(ダブロン無しのルールなら特に)本来なら浮いてしまう相手と同じ待ち牌で待って、それでツモ和がってしまうことにある。(ただし、ダブロン無しで相手が上家ならこれは意味がない。)次善型としては、相手の待ち牌を対子なり暗刻なりで押さえきって使い、自分が和がることである。相手の当たり牌を押さえきってテンパイで流局しても、それはいいことに違いない。
 回し打ちで最悪なのは、読みをはずして思わぬ振り込みをすることである。ただし、「振り込む危険はあるが、通ったときにでかい。百回やれば勝ち越す」という自信をもとにした「納得の振り込み」は投資であり、これは全体で見て得な行為(得な振り込み)である。(※「麻雀投資論」の章参照)

 回し打ちをしない人間の麻雀は、その日の手の速さによって毎回勝敗が左右される、受動的なものになる。大負けするリスクはないが、まわりが積極的に回し打ってくる人ばかりだと勝ちをもぎ取ることが難しくなる。(相手が立直をすれば和がりはなし、自分が立直をすれば和がりを阻止される。)
  回し打ちをうまくする人は、ほんの少しの機会を生かして和がりをもぎとり、運を開拓することが可能なようだ。また、「タダでは降りない」というイメージがあると、まわりが安易な立直をかけづらくなって、結果として安手に終わらせることが可能になる。 回し打ちが得意な人は、むしろ先行立直を嫌う。相手が立直をかけるまで待って、勝算ありと読んだときに追っかけ立直をするのだ。勝算がなければ回し打って和がりを拾う。(ただし、そういう人も状況によっては先行立直でいけいけなのが普通です。)
  回し打ちと称して振り込みが多い人は(読みが狂っているのだ)、へんに手を曲げている分、目をつぶって全ツッパしてまっすぐ手をつくる人より手が遅い上に、同じように振り込むという、最弱の打ち士となってしまう。 回し打ちの強気度は、自分の読みの精度と照らして、うまくバランスをとることが必要だ。また、「そこまで苦労して回し打って、この局面でどれだけの意味があるのか」という経済評価も重要なファクターである。(※「経済感覚」の章参照)

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◎ダマへの読み (タイトルへ戻る)

 ダマへの読みは、リアルタイムに手出し牌を見ておくことにある。始まってからの三順は、さすがに誰もが素直に打つ。これにより、配牌がどんな手役可能性を秘めた形であるかがわかる。これで相手の配牌の手役の方向を読んで、そういう目で見る。(ただし、これはいい加減に打つ相手と、その読みへの混乱を狙う打ち手には通じない。最初の三巡をいい加減に打つ相手は、よく「いてっ」と最初の三巡にある牌をかぶるので、それで判断できる。また、そのような相手は、常にあるパターンに従って切る。例えば、字牌→一九牌→孤立牌、といったように。さらに、それが三巡以内に整理できない配牌では、「配牌が悪い〜」と嘆く。)
 平和系なら、その直後に即座に出てくる牌は、その中へのスジ牌を手にもっていると考える。例えば、「8」を手出ししてきたら「5」が手の内にある。その後は、手出しで出てくる牌の裏スジが欲しいと考える。例えば、先の「8」に続いて「7」はツモ切り(手出しでもいい)、というなら、「3-6待ちメンツあり・・・」と考える。ここで「4」が手出しされて数順後に安牌切りの立直、ときたなら、「この色なら本命待ちは3-6・・・」とわかる。特に、手の内にその数が多ければ、その確率は高い。または、序盤に「7」を切った後しばらくたって、「3」がツモ切られた。これで、「345出来目ありかな・・・」とわかる。これで、捨牌に3、4、5の数牌の並びが少なければ(または出が遅ければ)、345三色は警戒に値する。中盤、場に3枚切れた「北」が手出しで出てきた。これはテンパイか、好型のイーシャンテンを意味する。または、立直と来て、捨牌に「七」「一」とある。ここでスジだからと「四」を打つと、立直三色のカンチャン待ちにあたる可能性が高い。
 対子系の手なら、字牌・一九牌が比較的遅く出てくる。そして、「4」「5」などのリャンメンメンツが一回くらいは嫌われて両方手出しであることが多い。(上級者のダブルメンツ処理に騙されないように。)そして、場が対子場になっていることが多い。(というより、むしろ対子場でなければ対子系の役はあがれないから、警戒する必要がない。)対子系と判断できたら、あるところが切られたその隣の牌の対子があると考える。「6」が切られた、「677」からの「6」切り、と見る。そして、対子系の手は、七対子でないなら、役牌が一つくらいは入っていることが多い。それを、場に切れていない役牌は何か、ということ等から判断する。テンパイを感じたら、場に二枚以上切れていない牌はすべて勝負牌となる。
 ダマをリアルタイムに読んでおかないと、立直に対しても捨牌が手出しだったかツモ切りだったかはわからないわけで、読みの精度はにぶる。
 そして、ダマへの読みに最も重要なことは、相手のテンパイタイミングを読むことである。相手がいつ張ったかがわかるのならば、その直前まで危険牌を切れるし、その後は押さえられる。
 最も分かりやすいダマのテンパイは、挙動から知ることにある。(別章参照)
 切りスジから知るには、色々な方法がある。

・安牌(特に、四枚目の字牌や三人共通安牌などで、彼の手の内にはあまり必要でなさそうな牌)が特に理由もなく出てきた。→イーシャンテンで安牌を抱えていて、張ったので出てきた。

・中盤、場の危険牌(切れてない字牌ドラ、字牌初牌、切れてないスジ[誰かへの本命スジ]、立直者への危険牌など)が(特にツモ切りで)切り出された。    →張っているから降りられない。特に面前で立直者に突っ張っているのなら、立直者への現物で待っている可能性が大きい。

・和がりにいける手牌というのは、たいてい三シャンテン以下なものだ。よって、無意味な入れ替えを含めて、合計四〜五回手出しがあれば、テンパイは近いと推測できる。特に、かなり細かくマークして、一度入って後に出てきた牌数を入れ替え回数から引けば、何シャンテン進んだかがかなりの精度でわかる。また、鳴いたらまず間違いなく一つシャンテン数が減っていると見る。(ときどき、待ちを変えるための鳴きもある。が、食い変えなしならばよほどの例外を除いてテンパイ→テンパイの変化には違いないので結局張ってる、とわかる。)

・ダマのテンパイ察知に重要なもう一つのファクターは、上とは逆に、「ツモ切りが続いていること」に気付くことだ。一般に、確率的に言って有効牌は三牌に一牌なのだそうだ。二回ツモ切りが続くことは普通である。しかし、三回続いたらそれは警戒対象となる。そして、四回続いたらまずダマテンという目で見るべきだ。 また、四人が麻雀を打てば、六巡を過ぎた頃に一番早い誰かがテンパイしているのが標準である。だから、捨牌で言って二列目に入った後は、誰かがテンパイしているものと思って打って間違いはない。(逆に、六巡目までのダマテン警戒を全くしなくても、十分な麻雀を打つことは可能である。) ※簡単な根拠: 有効牌を三回に一回引くとする。配牌3シャンテンのところを考える。(配牌2シャンテンがかなり多くあるが、その場合は仮テンをとることが多いと思うので、ここでは3シャンテンとして考える。) 簡略のために全部で十八巡あるとすると、六巡までにテンパイする確率は、
     63 / 183 = 5/204
 となり、40局に一回、だいたい4〜5半荘にたったの一回しかないこととなる。その上、六巡までに当たり牌を引いて、さらにそれを切って振り込むケースはさらに稀だ。よって、六巡までのダマテンにおびえて手牌を犠牲にしながら当たりっぽい牌を絞ったり安牌をとっておいたりすることは格別不要であるよう思える。 が、それは当然戦略的に自由なケースにおいてのみで、ある人への放銃によってトップどりが大きく不利になるときは、自分がわずかとはいってもそのリスクを犯す危険性を考慮して打つべきだと自分は思う。(適当な例をひとつあげれば、南3に二着と16000点差つけたトップ目の親:3巡目にラス目に12000振ったとしても、それを警戒してあとあと二着目に8000振ってしまってはそっちの方がいたいし、ニ着目に満貫ツモられても3巡目にラス目に振ったのと一緒。)

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◎経済感覚 (目次へ戻る)

 麻雀では、その一局一局において、「何点で和がるのか」という目標設定が重要だ。
 勝つためには、牌の情報を集めながら最善を尽くして戦う自分と、その局の目標をどこにおくかを的確に判断する自分が別に必要となる。
 一般ルールの麻雀では、東場では、「何もなければ3900以上でその手における最高点(たいてい満貫)を目指して和がる」という設定が一般的だ。
 そして東ラスや南場においては、トップ目と自分との点差を残り局数で割った点数を基準に和がるといいという。逆にリードしているときは、オーラスで二着に満貫ツモされても逆転されないような点差を目指して打つとよいだろう。(その点差を局数で割って基準点を出す。)
 だが、麻雀は四人でやる以上、四回に一回しか和がらないで普通だ。その一局一局において、「仮に和がれないとしても」の目標が違ってくるもので、「トップ目には和がらせない」「親には和がらせない」「ラスにトップから直らせる」「たとえツモられても振り込みだけはしない」などの二次的な目標が活きてくる。
 このような経済的な目標があればこそ、立直をかける/かけない、勝負をどこまでするか/しないか、といった手牌の分岐点にいい判断ができうる。
 こういった目標が誰にも強要されるのがオーラスであるが(ラス確定の無意味な和がり等は周りが許すまい)、それ以外の局でもこういた目標を意識して打つのは望ましい。

 ところで、技術的に重要なのは、人の点棒を把握しつづけることである。この情報がないと、いったい誰が誰からどうするのが理想なのかがわからなくなる。実際は、点数そのものよりも、自分の点数との点差が重要である。それは、麻雀が順位争いのゲームだからだ。なかでも自分の点棒とトップの点棒との差が一番重要で、これがわかっていないと何点が妥当な和がりラインなのかの判断がつかない。他の二人との点差も重要である。ラスがトップ目と喧嘩しているのに、二着の自分が勝負に参加したりするような愚をおかさないようにせねばならない。 途中で聞けば教えてくれることの方が多いだろうが、対局が中断気味になるのは興醒めだし、相手にも自分の点を聞き返されてちょっと不利になることもある。それに、テンパイしたときに相手の点がどうしても知りたくて聞いているようでは、テンパイを教えているようなものだ。
 最近の自動卓には点数が自動表示されるものがあり、点数把握が苦手だと便利なことこの上ないのではあるが、これがときどき狂うので悲惨だ。五千点棒一本が狂えば全然予定と違ってくる。 ネット麻雀なら問題がなくてやりやすい。 しかし、生麻雀をやる以上は、点棒把握は必要な技術である。

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◎純粋な手作り (目次へ戻る)

 
 ここでは、手作りにおいて具体的に述べる。
 手作りにおいては、なるべくはやい段階から最終的な和がり型をたくさん想定することが大切だ。「最高型」を思い浮かべることは、思わぬ牌を拾って思わぬ手役をつけられることにつながる。
 麻雀の和がり型で最も重要かつ複雑難解多岐にわたるものが4メンツ1雀頭型であることは言うまでもない。
 最終的な和がり型の想定とはすなわち、牌のどこに4メンツ1雀頭を求めるかを想定することであり、また、それに伴った手役の想定をすることにある。そして、最終的に残る待ちをなるべく和がりやすいものに選ぶことが重要である。
 麻雀には、手作りをして和がる和がり型が4メンツ1雀頭系の他に二種類ある。それは、七対子と国士無双だ。
 七対子ではどういった七つの対子を用意するかは、一色手と混老手とドラ以外手役に関係ない。重なりやすい牌のみ残していけばはやくていよいし、ひとつ以上、あらかじめ最終的な待ち牌を想定して選び残すこともできる。重なり易さの前に、他家への危険牌・迷彩等の理由で河に出したくない牌を押さえることができる。七対子と決めて打つのならばそれくらいの配慮が一般的であるが、手作りの際で重要かつ迷うのが、一盃口系との移行と四暗刻/トイトイ系との見極めである。
 国士無双ではどれを雀頭にしてどの牌が一番つらいところなのか、どの待ちが残るのが一番有利なのかを考えてべきであり、十三面待ちになるかどうかも検証しながら進めていく。それにより、「どこまでこの国士手で勝負して妥当なのか」を見極める。
 麻雀の和がり型は他にシーサンプターとか流し満貫とかチョンボ(これも和がりだ)があるが、手作りを伴うのは上の三パターンしかない。
 「決め打ち」とは、ある種の想定される和がり型以外をすべて拒否する打ち方を指す。特に、手なりでその和がり型に達しないときにこの言葉を用いることが多い。テンパイする巡目は遅くなるが、そのメリットは、捨牌をある程度意図して作ることができる(不要牌の切る順番の操作による)ことと、願った点数を獲得できる(それ以下を獲得して局数を無駄に消化しない)ことにある。ただし、完全な手役への決め打ちでは、遅くとも中盤までには捨牌にその手役への志向が強くあらわれてしまうこととなる。とはいえ、有効牌しか引かずに張った早い決め打ち手は、この上もない迷彩をほどこすことが出来る。(漫画の世界のレベルだが。)

・4メンツ1雀頭型の手作り
 このかたちの和がりを目指して手作りをする際に大切なことは、自分が持っている牌や引いてくる牌によって、最終的にどういった完成メンツと待ちメンツ、そして雀頭を用意できるのか・用意したいのか、ということを意識することである。
 受け入れ待ちメンツには様々な型があるが、これらを抱えるに当たって、全体としてメンツオーバーしないよう打つ(5メンツ目の受けを嫌って他の4メンツの受け入れを伸ばす)ことが大切である。有効牌の枚数を勘定して、メンツオーバーしたままの方が一見受け入れ総数が多いので有利に見えることがあるが、そこから少し手が進むと、結果としてメンツオーバーしたまま打つと受け入れが急激に少なくなってしまうことが多い。 これは、「二手先、三手先の変化を考える」ということに関連した、重要な事実である。
 ( 「麻雀部門」HP参照  http://member.nifty.ne.jp/tarabagani/ )

・七対子かその他の和がり型かの判断基準
 一般に七対子は、手の内に四対子あるところから意識しはじめる。五対子あるときは、常に七対子への移行の可能性を評価しておく。六対子あれば、暗刻がない限り七対子テンパイであるが、暗刻を含んだ多面待ちとの比較をする。
 手の内に四対子(含暗刻)ある場合に四暗刻/トイトイ系とどちらを狙うか迷うときは、両天秤で打っていく。四対子の段階では、それがすべて暗刻になれば四暗刻単騎やトイトイ三暗単騎待ち等ができるので、有利な四暗刻/トイトイ系に発展する可能性がある。
 手の内に五対子(含暗刻)あり、一暗刻の場合は、他の対子がどれだけ暗刻になりやすいかを評価する。二暗刻の場合も同様の評価を行う。それにより、どれだけ四暗刻/トイトイ系が有利なのかの評価と七対子の評価を比較して、どちらを狙うか決める。一般に、五対子持ちでドラ対子(非暗刻)があるときは七対子の方が有利なはずである。
 七対子か一盃口かを選ぶのは、対子場か順子場を見極めることにほぼ一致する。ただし、対子場であっても一盃口にしてもシャボ待ちや事実上の単騎待ち(「12233」で「1ー4」待ちだが、特に「1」を狙う)にする等のことができるので、どちらがよいのかは一概に言えない。対子を狙っていくことを「縦でいく」といい、順子を狙っていくことを「横でいく」というが、縦か横かを見極めるのは手作りにおいて重要な分岐であり、重要な判断である。
 七対子に決め打ちをするのは、場が対子場であると感じたときと、和がりを捨てながら守り重視で打つとき、そして出和がりに賭けた迷彩をつくるときとなる。

・回し打ちを予期して打つ
 くだらない平和などがはやくテンパイしそうでも、それで突っ張る気にならないとする。ならば、雀頭に切れているオタ風なんかを用意したりして、いつでも一歩引けるようにしておこう。

・その局のテーマに沿って打つ
 これはかなり重要なことで、これをしない人は、永久にこれをする人に勝てないと思われる。
 トップをとることがその半荘の目標ならば、すべての一打一打の選択はトップをとる、という目標に向けて選ぶべきだろう。その一打一打は、手作りにおいては最終形を予想しながら打つ。 ならば、配牌をもらった瞬間に、点差を考えてその局の最終形を考える。そしてそれは、常に和がりに向かうものである必要はない。
 個人的なその最終形の設定基準を公開する。いままでは大きくまとめて考えたこともなく、その局その局で頭を働かせて考えていたが、簡単にまとめるとこうだろうか。
 まず配牌をとってドラを見て最終形を考え始める際に、
 --- その局で三人に対してひとりひとり、何点まで振ってもトップが取れるか
 --- 何点までツモられてもトップを取りにいけるか
 --- 他家同士の振りこみはどれが起きて有利でどれが起きて不利なものか
ということと、
 --- 自分が誰かと最低何点差になるような和がりをすればトップを取りに行けるか
ということを考える。 その局が自分に有利な形でおわれるように最善をつくす考えがあれば、配牌の時点で戦略はほぼ決まる。あとは、他家の動向にあわせて一打一打選んでいく。
 

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◎受け入れの善し悪しについて(未完) (目次へ戻る)

 
 最終的に残った完成していないメンツは「和がり待ち」である。(特に和がれる公算の高いもののことを「和がり目」と呼ぶ。)
 手作りの段階では、様々な牌の組み合わせで、様々な受け入れメンツを持つことが出来る。
 ここでは、受け入れ待ちの種類と、それらの待ちによってどれだけのメンツ・雀頭及び他の待ちへの変化が期待できるのか、その受け入れ最高枚数はいくらか、そしてその評価はどうなのか、ということについて述べる。
 また、それが占める手牌枚数も記しておいた。これらパーツの合計枚数が13になるように手牌に収めながら打つこととなる。
 一般に、順子系の待ち面子が一つ余分にあると、余剰牌をひとつ抱えることができる。それらは安牌でもいいのだが、手広くとるとき(リャンシャンテン以下だったりテンパイスピードを上げたかったりするとき)は多くの受けをつくる牌を置いておくべきだ。  ただし、それらの系列の面子があっても、テンパイしているときは余剰牌を持つことができない。何を言っているかというと、「雀頭めんつめんつメンツ45」となっているので、順子系待ちメンツがひとつあっても余剰牌がもてないということだ。
 さて、テンパイしていなければ、待ちメンツからできた余白に余剰牌を自由に抱えることができるわけだが、受け入れを増やすために数牌を置いておくということは、逆を言えば、テンパイしたときに数牌を切らねばならないということだ。これが当たらなければ何の問題もないが、当たったらそれはいけない。 先にテンパイできないときは、他家に当たらない牌を切って後からでもテンパイできるように工夫する必要がある。
 余白に受け入れ・手役の可能性を高めるための牌を置くか、安牌を置くか、というのは個々の感性が試される。 安牌を置かずに手広く構えて誰よりも先にテンパイするのが最も安全で効率がいい。しかし間に合わないときは、他家に通る牌が余るように受け入れを工夫するのがよい。和がりをそこまで無理してとらなくても振り込まなければいいと判断する場面や、安牌を抱えても手がさほど狭まらないときに、安牌を抱えるのはいい策である。 ただし、中途半端な安牌は狙い撃ちできるので、完全な安牌か手役用牌か決めて抱えるのがいいかと思われる。
 また、余白部分の牌には、絞り牌を置くことができる。テンパイするまで切らず、場合によっては抱えて降りる牌を置くのである。(牌の絞りについての章を参照のこと)
とにかく、麻雀牌は基本的に二枚で1メンツを待つことができ、1メンツができるまでは自由における一枚の余白ができる。これをどううまく利用するかが個々の打ち方の巧妙を編み出す。

 ところで、最速テンパイを目指す場合は、ニ向聴までと一向聴時で優先するものが異なる場合がある。ニ向聴まででは、優先するのはメンツである。例)「11446六六七3)5)7)」では「六」切りが最速。 一向聴時に雀頭不確定なときは、雀頭候補を残す。例)「111446六六七3)4)5)」では「6」切りが最速。

 以下では、具体的にどのような待ちメンツがあるのかを述べる。

・孤立牌
  占:1枚  求: 各種二枚構成待ちメンツ1つ(3〜4枚待ち)、雀頭(3枚待ち)
 孤立牌は、字牌・一九牌・二八牌・三〜七牌で性質が大きく異なる。よって、分けて説明する。

 1. 字牌孤立牌。
 字牌の孤立牌は、そのままで雀頭の待ちメンツである。すなわち、対子の待ちメンツであって、対子になった後に暗刻やシャボ和がり待ちに変化する期待がある。

 2. 一九孤立牌。
 一九牌に順子系としての有効牌となるのは、「二・八」牌と「三・七」牌しかない(一九牌1枚につき最高8枚ある)わけだが、そのいずれがくっついてもペンチャン・カンチャン待ち面子にしかならない。これはその他の牌と比べて圧倒的に面子の完成スピードの面から見て不利なことであるが、チャンタ系の手役をつくるには必須であるし、それら手役において安め高めができないのが強みでもある。
 一九牌は字牌(特にオタ風)についで使いにくい牌とされるし、実際そうだ。だから、いらなければあっさりと捨てられる。平和系の手役づくりにおいては「1」「4」と同色で持っていたら、「1」はかなりの不要牌だ。
 こういった事情から、一九牌のドラは、チャンタに含めるか、単騎待ち(特にダマ)で使うのが有効である。
 ところで、話は変わるが、国士無双の立場から言えば、一九字牌はそれ自身で雀頭待ちメンツ兼ひとつのメンツだといえる。だから、「配牌で一面子もねぇ〜」と嘆いている人は、実は国士の立場から言えばきっと三面子以上はあったりするのだ。

 3. 二八孤立牌。
 二八牌は、順子づくりにおいて、「三・七」牌がくっつけばいいが、「一・九」牌がくっつくとペンチャン待ちになってしまう。これゆえに、「三〜七」牌と比べて、面子づくりにおいては利用価値が薄い。
 二八牌は平和系の手作りにおいては「字牌→一九牌」の次にいらなくなるので捨てることとなる。
 「二三」「七八」といったリャンメン待ち面子は、「一」や「九」で和がると断幺がつかなくなるので高めにくくはあるのだが、それら一九牌が他家にあまりやすいので、同じリャンメンの中では最も有効な面子であるとされる。「2」「6」と持っていて、ドラがたくさんあったりして点数十分なら、「6」から落とすのはやや有効だ。「12」や「24」となれば一応スジひっかけになるし、「23」となれば最も有効なリャンメンである。また、「22」とのシャボも他のシャボに比べて悪くはないし、「2」単騎も悪くはない。(ただし、これらは状況が大きく関わる。)「6」を残した場合、「56」「67」ならツモ期待があるのでいいが、「46」「68」や「66」とのシャボなんかができると辛い。あと、結局その孤立牌を切ることになるとしても、「6」の方が「2」より一般的な危険度が高い。
 二八牌はそれ自身も他家から利用されにくく捨てられやすいので(一九牌の方が捨てられやすいが)、「五」を切ってスジひっかけでつりだしたりするのにときどき使われる。序盤に「五」が切ってある捨牌で、「二三」と待っていても面白くないので(裏スジ一−四は簡単に読まれる)、単騎待ちに振り替えられるとき(雀頭が暗刻になったりしたとき)に「三」を切ってスジひっかけ(立直)にとる技がある。(これは、特に「三」がたくさん切れていると有効だ。)
 細かい知識だが、「258」と持っていて何かひとつ面子が欲しいのなら、「5」を切るのが一番受け入れが多いという。

 4. 三〜七孤立牌。
 三〜七牌は、隣の牌を引くことで、リャンメン待ちメンツへと移行する。(8枚待ち。)
 一個離れた牌を引くと、カンチャン待ちメンツになってしまう。(8枚待ち。)しかし、それらは例えば「46」からツモ「7」・打「4」とするような変化で両面に変わることができるし、ツモ「2」によるリャンカン待ちメンツへの変化もあるので、二手先までの変化を考えると一九・二八牌とくらべて三〜七牌がかなり有用であることがわかる。ただし、「24」「68」についてはツモ「5」はいいのだが「1」「9」のツモ時にペンチャンに移行することしかできない。(ツモ切って「5」を待つこととなる。)
 ところで、これらの牌の中で、「3」「7」牌は順子づくりにおいて特にキー牌となっている。(「三・七牌の重要性」の章を参照。)
 ところで、「5」牌がど真ん中で重要、というのも、「24」「68」の変化において二番目に重要な牌だからだろう。だからといって赤くするのは、その発想がよくわからない。(自分は。)ただ、「3」が赤くなっている地方があるようだ。名古屋は違うが。(1999時点。)

・「446」型 【対子・カンチャン】
  占3枚  求: 順子1つ(4枚待ち) または 暗刻1つ(2枚待ち) 、計メンツ1つ(6枚待ち)  もしくは 1メンツ1雀頭まち
 雀頭候補として頻繁に使用する形。
 例で「5」を引けば自在型両面になる。「7」を引けば両面+1固定雀頭になる。「2」「8」を引けば打「4」でリャンカンになる。
 この形の強みは、裏スジ牌を示してしまう牌を捨てずに済むところだ。

・「246」型 【リャンカン】
  占3枚  求: 順子1つ(8枚待ち)
 これはポピュラーな待ちメンツで、、「24」と「46」の二つのカンチャン待ちメンツを三枚で保有できる、「リャンカン」と呼ばれる待ちメンツだ。
 両面待ちメンツに比べて手牌占有枚数が一枚多いのが欠点だが、受け入れ枚数はリャンメンに匹敵する。
 テンパイ時には残せないメンツだ。ここが残ってしまったときに、例でいう「6」を切ってスジひっかけにとることができる。しかし、「2」を切って仮テン、「7」を引いて両面にする変化も知っておくべきだ。 ちなみに、「357」は単体で引っかけることができない。(スジひっかけについての章を参照のこと。)
 ここに「4」を引いてもツモ切りした方が受け入れ最高枚数は多い。
 「246」からツモ「5」、ツモ「3」と引いたときに「23456」三面待ちになる。ツモ「5」、ツモ「5」と引けば「24556」となり、1雀頭1メンツ求めるなら打「2」でOK、あくまで2メンツ求めるなら「2」は有用な牌で、ツモ「3」や「7」で三面受けに変化できる。

・「3357」型 【対子・カンチャン】
  占:4枚  求: 1雀頭1メンツ
 打「3」でリャンカンにできる。
 雀頭候補が欲しいときは、打7で対子カンチャン。
 四枚で1雀頭1メンツは非効率なので、はやめにどちらかに決めることとなる。

・「3456」型 【両面・両面】
  占:4枚  求: 2メンツ or 1雀頭1メンツ
 4枚でつくる、非常に有用な待ち。
 受け入れが非常に広く、例では「2」「4」「5」「7」引きで一面子と両面(場合によっては三面)待ちが残る。「3」「6」引きで1雀頭1メンツとなる。つまり、例では「2」〜「7」まで完全な有効牌。 「1」や「8」を引けば、カンチャンで一応テンパイにとったりするのに使える。また、一通に伸ばす原動力になったり、あらゆる三色両天秤に有用な形。
 孤立牌を「36」と抱えていても受け入れ牌は同じなのだが、それでは相手のテンパイにスジでつかまる恐れがある。が、この形では使い切ることが容易だ。(ただし、このかたちを二色においてふたつ抱えると、ややまわしづらくなることがある。)
 端っこの「1234」「6789」は、孤立牌「4」「6」を抱えているのと同じで、全然意味がない(ノベタンにする可能性がないのなら、むしろ孤立牌の方が有用)。「2345」もいまいち(でもこれはかなり有用)。「3456」「4567」は絶大だ。
 「4556」形よりも、総合的に見ると単純な受けが広いはずである。(いつか数える。)

・「245667」型 【リャンカンに はまった順子】
  占:6枚  求: 順子2つ(11枚待ち)
 これは、例で「5−8」に加えて「3」を待つことのできる好型(三面待ち)である。[「5ー8」引きに「2」切り、「3」引きに「6」切りとなる。]リャンカンの内側から外にむけてひとつ順子がはまっている形だ。(例では「246」に「5 67」と見る。)
 これは知らないと知らないままなので、覚えておくと価値が高い。
 知らないと、一向聴のときにこの形が偶然あるのに、例でいう「2」を切ってくずして[安牌に振り替えたりして]しまう。
 「34567」とかの三面単騎に匹敵する待ち枚数だが、手牌占有枚数は一枚多くなる。それゆえテンパイ時には残ることのないかたちである。だが、ここが残ってテンパイしても両面待ちにもスジひっかけにもとれるので十分といえる。それに、テンパイ時に切る牌から見て「遠いスジ」が待ちになるのもちょこっと強みだ。
 このかたちに至るにおいて、様々な前駆型があり、それらからのここへ至る変化はふまえておくのがいい。
 「24567」からの「6」引き。これは「8」を引くのに全く匹敵する引きである。ただし、占有枚数が一枚違う。(「34567」の三面両面待ちの方が優れている。)
 「45667」からの「2」引き。安易にツモ切りしないように心がける。
 「24566」からの「7」引き。「24566」において「6」を切って対子をほぐすのは少し待ってみる。「2」を切って自在型両面に固定するのも少し待ってみる。
 「24667」からの「5」引き。リャンカン+両面で、一見、「5」の二度受けを嫌ってメンツ処理をしてしまいそうになるが、「5」を一枚引いた後はかなりの有効形ができることをふまえる。
 「25667」からの「4」引き。これは最も気付きにくい変化だ。「5」を持っている以上、「2」は無関連不要牌に思えるが、「5667」まで持っていると、「4」引きによるすばらしい変化が待っている。このケースで「2」とその他孤立牌のどちらを切るか迷うときは、二手先までの受け入れ枚数を考えてみるといい。(実戦では不可能なので、「何を切る」とか牌譜を見るときにゆっくりやろう。)「なかぶくれにスジ牌有効」と勝手に覚えている。
 上記以外からの変化(例えばリャンカン単体からの変化とか)は少し予想しづらいと思う。

・「223」【両面対子】
  占:3枚  求: 順子1つ(8枚待ち)または暗刻1つ(2枚待ち) 受け入れ計10枚
  変:ツモ2「2223」、ツモ3「2233」、ツモ4「2234」、「455」→「4556」【両面×2】、打2「23」、打3「22」
 この形は、平和に決め打つときは例でいう「2」を切って両面に固定することが基本となる。これによって一メンツ完成させるための最高受け入れ枚数は10枚→8枚となるが、牌の切れ方によってはぜんぜん変わらない。また、テンパイまでにはここを一枚切らねばならない。
 ところで、例の「2」を切って両面に確定させると、「またぎスジ」が捨牌と関連付いてしまう。この「2」の切り出しのタイミングは個々の習慣に依存している場合が多い。初心者はテンパイ間近もしくはテンパイ時に切り出すことが多い。これは読みの上で重要なファクターである。手作り時には、相手がどう読んでくるかを考慮する必要がある。
 「23」に「2」をツモって、手の内の「2」と入れ替えてカラ切りするのは自滅行為だ。わざわざ またぎスジ警戒を促しているようなものだからだ。一般にはノータイムでツモ切りするのが正しい。(スジ読みの章を参照のこと。)
 打3による頭固定がいつでも可能なので、対子が複数ある時は比較的安心して くっつきを狙って ほぐす(対子から一枚切り出す)ことができる。
 ツモ2「2223」への変化は平和に拘ると忘れがちなので、ぜひ覚えておくべきだ。(待ちの善し悪しの章を参照のこと。)

・「223455」型 【両面対子・両面対子】
  占:6枚  求: メンツ2つ または 1メンツ1雀頭
 この形と、もうひとつ対子を持つと広くテンパイ受け入れができる。
 例を挙げると、「223455西西白白白4)5)」とあって、連チャン目的だとする。「3)」「6)」「2」「5」「西」引きでテンパイ、「2」「5」「西」ならポンテンもある。
 また、対子二つをいかしてトイトイ・チートイへの渡りを残すことができる。
 ところで、スジ牌の暗刻が「222555」といったようにある場合は、その色については多く対子場となることは頭に入れておくべきだ。(対子場の検証の章を参照のこと。)

・「4556」型 【両面・両面】
  占:4枚  求: メンツ2つ または 1メンツ または 1メンツ1雀頭
 両面ふたつと見て、二メンツを期待していい形だ。例でいう「4」「6」を引いての一盃口づけがありうる。この色が伸びないと思えば、いつでも「5」を切って1メンツに固定してしまえる。
 この部分で1雀頭1メンツだけあればいいときは、変化に柔軟性がある。
 まず、そのままで「5」単騎。
 ツモ「3」に対して、
   ・打「6」の自在型両面「2ー5」待ち
   ・打「5」のノベタン「3ー6」待ち。
 ツモ「6」に対して、
   ・打「5」の自在型両面「3ー6」待ち
   ・打「4」の糞シャボ「5、6」待ち
 あとは対称になる。
 ツモ「7」に対して、
   ・打「4」の自在型両面「5ー8」待ち
   ・打「5」のノベタン「4ー7」待ち。
 ツモ「4」に対して、
   ・打「5」の自在型両面「4ー7」待ち
   ・打「6」の糞シャボ「4、5」待ち
 つまり、特徴的なのは、その色の色々なスジで待てること以上に、いつでも単騎に振り替えることができることにある。
 ちなみに、ツモ「2」や「8」でカンチャンにとってしまうと、柔軟性がなくなるのでお勧めできない。(手役がらみで最終型なら別。) ツモ「2」や「8」は無駄ヅモではない。ツモ「2」で「24556」となるが、これは2メンツ求めるときにはツモ「3」や「7」で三面受けにできる。急遽ここに1メンツ1雀頭待ちでよくなったなら、打「5」でスジひっかけもできる。 「245568」の形は色々な使い方ができるが、総合的に評価すれば打「5」が有利。
 「14556」では「1」がやや有効で、ツモ「3」において三面受けに変化する。
 要するに、「4556」においては、「1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8」「9」のすべてが何らかの形で有効牌。「2334」では「1」〜「7」まで有効牌。つまり、どっちかのスジ牌まで有効。(孤立牌ではスジ牌は無効牌。)
 ところで、「1223」というような端にかかった形においては、あまりいい変化が期待できない。そのために打「3」打「1」(順は「3」へのくっつきが欲しいかが大きな要素)として雀頭に固定してしまうことはよくある。ここには関係ないが、「1233」からならタンピン狙いで「1」「2」をおとすことがもっとよくある。

・「45556」型 【両面・両面】
  占:5枚  求: メンツ2つ または 1メンツ1雀頭
 1メンツ1雀頭なら問題はない。
 ここに2メンツ求めたいときにどう考えるか。
 まず、「45556中中めんつめんつめんつ」のシャボは『なかぶくれのしゃぼ』といい、あらゆる待ちの中で最低クラスの和がりにくさを誇る。とりあえず仮テンして、「2」〜「8」を引いて待ちをかえることとなる。
 ・ツモ「2」打「6」 「24555」カン「3」待ち
 ・ツモ「3」打「6」 「34555」の「2ー5、中」待ち
打「5」 「34556」の「4ー7」待ち
 ・ツモ「4」打「6」 「44555」シャボ「4、中」待ち
打「5」 「44556」の「3ー6」待ち
 あとは対称。

 これより以下はすべてテンパイに残ることのできるテンパイ面子である。求めるものはすべて完成面子1つ、または雀頭1つだ。(少し考えればわかるだろう。)性質についての詳細は、「待ちの善し悪しについて」の章の解説を参照されたい。(以後、本稿更新において、各種待ちメンツの他メンツへの移行についての検証が追記される予定があります。)

・「2233344 めんつメンツ」【シャボおよび単騎】(234待ち)
・「11223344中中 めんつ」【一盃口スライド系シャボ】6枚
・「4666」【暗刻へのカンチャンくっつき】7枚
・「中中33345 めんつメンツ」【シャボ&両面】7枚
・リャンメン8枚
・「22233344中中 めんつ」【シャボおよび両面】
・「11223344456中中」【一盃口スライド系シャボ両面】10枚
・「5677999 めんつメンツ」【リャンメンおよびカンチャンの暗刻くっつき】10枚
・「2345777 めんつメンツ」【ノベタンの暗刻カンチャンくっつき】10枚
・「33345二三四四四 めんつメンツ」【シャボ両面&シャボ両面】10枚
・「23444456中中めんつ」【シャボ&三面】10枚
・「45678 頭頭めんつメンツ」【両面&両面】11枚
・「6777 めんつメンツめんつ」【暗刻くっつき】11枚
・「5677888 めんつメンツ」【リャンメンおよび暗刻くっつき】13枚
・「23444456三三三四五」【シャボ三面&シャボ両面】13枚
・「2345666 めんつメンツ」【ノベタンの暗刻くっつき】14枚(1-4-7 ノベ2-5待ち)
・「2345678999 めんつ」【三面単騎の暗刻くっつき】(1-4-7 2-5-8三面単騎)19枚
・「2223456777 めんつ」【ノベタンの暗刻挟み】(ノベタン3-6 1-4-7 2-5-8)22枚
・「1112345678999」【三面単騎の暗刻挟み】23枚

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◎対子場 (目次へ戻る)

 対子場が実在するという証明は聞いたことがない。しかし、この概念が麻雀にあることは、多くの打ち手が経験より実感している。
 対子場とは、一局中で、対子ができやすい場のことをいう。逆をいえば、順子が出来にくい場だ。
 対子場の見分け方は、対子場に現れる現象を多く見たときにそうと判断する。その現象とは、
・山から同種の牌を積もってくる。他家もどうやらそのようで、捨牌に二枚以上かぶっている牌が結構見られる。
・山から来る牌は、互いにスジの関係にあることが多い。
というものである。ここで注意すべきなのは、配牌にどれだけ多くの対子があっても、対子場を支配するのはあくまで山であって、それだけでは何の判断材料にもならないということだ。
 しかし、手の内と河から対子場を予測する方法はある。それは、3・7牌に注目することだ。3・7牌は三色あわせて総数24牌あるが、この24牌中の多くが手の内と河をあわせて見えていて、他家に使われていないとすれば、必然的に対子場となってしまいやすい。というのも、3・7牌というのは順子を作る上で、他の数牌に比べて非常に重要な牌だからだ。その存在がもしすべてなければ、順子は「456」というものしか存在しえず、さらにそれに関する待ち「45」「56」もカンチャンと同等となってしまう上に真ん中牌でしか待てない(しかし、真の対子場においては真ん中であろうが端っこであろうが価値は同等である)。つまり、順子の出来上がり具合は3・7のキー牌によって左右されてるということになる。 その3・7牌が、例えば配牌で「33377三三七(3(7めんつ」と来たら、これはもはや24個中十個もあるわけで、順子系の手を狙う他家のあがりはごく薄いと見ていい。
 対子場への対策として最も重要なのは、まず、なるべくはやい巡目に場が対子場であると気付くことだ。
 対子場とわかったら、リャンメン・カンチャンのメンツは嫌って、対子になりそうな牌、もしくは対子そのものを伸ばす方針でいく。対子場では順子メンツを完成させる牌が他家に暗刻や対子で埋まっている、もしくは埋まっていく可能性が高い。さらに、例えば「45」ともってテンパイして立直しても、「4」「5」(もしくはそのスジ牌)をひいてきて放銃する可能性が高い。
 対子場に有効な手役は、七対子・三暗刻・四暗刻・トイトイである。うまくこれにもっていければいいが、その際は有効な他家が必ずこれらの手役を秘めていることを忘れてはならない。順子場であれだけイーシャンテン止まりな七対子も、対子場では暗刻から切って対子をつくるほどにテンパイが速いものだ。
 ちなみに、対子場において平和系を狙っている打ち手は、放っておいてもよほどついていない限りあがれないから警戒を緩めていい。むしろ余剰牌で振り込むだけのカモだ。これは逆をいえば、対子場で順子待ちの立直をかけてしまうことが大変危険であることを示している。そんなときは、おとなしくダマでまわし打とう。有効なシャボや単騎になったら、モチモチに気を付けながら勝負に行こう。ここでは、よく言われる「シャボよりカンチャン」が「カンチャンよりシャボ」となるのは言うまでもない。
 とはいえ、場に二枚切れている、三枚目のその牌がまず振り込まなくなるかといえば、それは間違いだ。場を読み誤ってリャンメンで待って、片方を暗刻で押さえられ、片方場にかぶられて二枚きれている、という他家がいることは何の不思議もない。平和はできにくいが、立直二暗刻とかは配牌から順子出来目が入っていればできやすいのだ。
 要するに、手のでき方としては対子ができやすいわけだが、最終的な振り込み・和がりは別段シャボ・単騎には限らない、ということだ。
 あと、自動卓は手積みより対子場になりやすいという話も聞いたことがある。(もちろん自動卓ごとの構造によっても違うのだろうが。)ああ、あと、カード麻雀は、あれは明らかに対子場しか生まれない。
 とされている。これを信じるか否かは打ち手それぞれが経験より判断するのが望ましい。ちなみに筆者はこれを信じている。というのも、どうせ麻雀は確率が支配しているといっても、確率にはその確率の低い側がくる可能性を常に秘めているわけであり、それを拾えれば麻雀では手が高くなるということで評価されるから、期待値としては割にあっているような気がするからだ。 さらに、麻雀というのは、必ず前回の局の最終状態の牌の並びからかき混ぜはじめて次の山をつくる。ここに一つの偶然の法則が生まれてもおかしくないと思わないか。

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基礎考察: ◎牌の枯れと対子場(順子のできやすさ) (目次へ戻る)

 「3」「7」牌は順子づくりにおいて特にキー牌となっているという。ここでは、おもにそれについての検証を行う。この検証は、きっと対子場存在の証明のひとつへとつながるはずだ。

 直感的な考察としては、理由はふたつのことが重なるのにありそうだ。
 ひとつめ。「24」「68」といったメンツは、他のカンチャン待ちメンツが両側においてリャンメン変化を期待できるのに比べて他の有効牌がツモ「5」しかないため、それは「3」や「7」をツモるのと同じ確率になる。それに、「5」をツモっても「3−6」「4−7」待ちで、「3」「7」が欲しいことには変わりない。
 ふたつめ。「12」「89」というペンチャンメンツは、メンツ落としをしない限り、ツモ「4」「6」のカンチャンへの変化からさらに両面になるといった変化しか期待できない。つまり、事実上「3」「7」を引くことしかあてにできない。  他の順子系待ちメンツが多種の受け入れ牌を持っているのに比べて、今のべた二種類のメンツは「3」「7」の引きだけが際だって重要になる。

 次に、数理的に考えてみる。
 順子の待ちメンツはいかなるものがあるかというと、以下に限る。
 「12」、「13」、「23」、「24」、「34」、「35」、「45」、「46」、「56」、「57」、「67」、「68」、「78」、「79」、「89」。(全十五種類)
 上の十五種類は、8枚待ちのリャンメン待ちと、4枚待ちのカンペンチャン待ちを含む。ここでは、評価値を「リャンメン= 2 」・「カンペンチャン= 1 」として便宜的に設定し、ある牌が存在しないときにどれだけそれが下がるかを検証する。
 最初のどの牌も不足がないとき、リャンメンが6つ・ペンカンチャンが9つあるので、評価値は『21』である。
 この評価値は、「順子のできやすさ」をあらわす大まかな指標になると思う。

 さて、
 「1」が存在しなかったら、待ちメンツは十三種類(「12」、「13」を失う)となり、「23」のみが片和がりとなる(半分の完成受け入れ牌を失う=評価値を『1』とする。)完成可能な待ちメンツは十三種類存在する。 評価値は『18』となる。 これは、「9」がない場合において同様である。
 「2」が存在しなかったら、待ちメンツは十二種類(「12」、「23」、「24」を失う)となり、「13」は死にメンツとなり「34」が片和がりとなる。完成可能な待ちメンツは十一種類。 評価値は『15』。 「8」がない場合について同様。
 「3」が存在しないと、待ちメンツは十一種類(「13」、「23」、「34」、「35」を失う)となり、「12」・「24」が死にメンツで「45」が片和がりになる。完成可能な待ちメンツは九種類。 評価として、『12』となる。 「7」がない場合について同様。
 「4」が存在しないと、待ちメンツは十一種類(「24」、「34」、「45」、「46」を失う)になり、「35」が死にメンツで「56」が片和がり。完成可能な待ちメンツは十種類。 評価として、『12』である。 「6」がない場合について同様。
 「5」が存在しないと、待ちメンツはやはり十一種類(「35」、「45」、「56」、「57」を失う)だが、「46」が死にメンツの「34」・「67」が片和がりになる。完成可能な待ちメンツは十種類。 評価は『12』。

 ここまでの総評として、順子をつくるにあたって、「一・九牌」が評価値『3』、「二・八牌」が評価値『6』、「三〜七牌」が評価値『9』の重要性をもっていることがわかる。しかし、どの一牌が暗刻・槓子で押さえられるなどして順子作りに使えなかったとしても、一牌だけなら順子のつくりやすさは半分まで落ちることはないとわかる。

 では、「三・七」「四・六」「五」のそれぞれの牌の重要度の違いはどうだろうか。
 まず、前述の通り、完成のできる待ちメンツの種類が異なる。「三・七」がなくて九種、「四・六」と「五」がないとき十種だ。この一種類の違いは、麻雀牌が四枚ずつあることを考えると、かなりの数の有効待ちメンツ数が変わっていることとなる。(実際には完全に枯れることが少ないので、ここではその計算は無意味として行わない。)
 この検証を具体的に行うには、「二種類の牌が存在しないとき」について考えることが必要なようだ。
 「二種類の牌」の組み合わせは36通りあるが、例えば「1」・「2」がないときと「8」・「9」がないときは同じ性質をとるので、それらをまとめて場合分けする。 ※この組み合わせについては、「数理的性質別麻雀牌二種組み合わせ表」と題して巻末別章に収めた。
 「順子待ちメンツ評価シート」(別章に収めた)を使って評価値を算出した。手作業で行った(たくさん印刷して×をうっていった)ため、ここでは結果の記述にとどめる。
 なお、「三・七牌」がからむときに星印をつけた。
 全部で十九通りの場合があり、「三・七牌」が絡むときは八通りある。

  ・ 「1」・「2」がないとき(=「8」・「9」がないとき)
    →評価値『15』、とれる待ちメンツ: 11種類、有効待ちメンツ: 11種類

 ☆・ 「2」・「3」がないとき(=「7」・「8」がないとき)
    →評価値『12』、とれる待ちメンツ: 9種類、有効待ちメンツ: 9種類

 ☆・ 「3」・「4」がないとき(=「6」・「7」がないとき)
    →評価値『9』、とれる待ちメンツ: 8種類、有効待ちメンツ: 7種類

  ・ 「4」・「5」がないとき(=「5」・「6」がないとき)
    →評価値『9』、とれる待ちメンツ: 8種類、有効待ちメンツ: 8種類

 ☆・ 「1」・「3」がないとき(=「7」・「9」がないとき)
    →評価値『12』、とれる待ちメンツ: 10種類、有効待ちメンツ: 9種類

  ・ 「2」・「4」がないとき(=「6」・「8」がないとき)
    →評価値『9』、とれる待ちメンツ: 8種類、有効待ちメンツ: 7種類

 ☆・ 「3」・「5」がないとき(=「5」・「7」がないとき)
    →評価値『6』、とれる待ちメンツ: 6種類、有効待ちメンツ: 5種類

  ・ 「4」・「6」がないとき
    →評価値『6』、とれる待ちメンツ: 8種類、有効待ちメンツ: 6種類

  ・ 「1」・「4」がないとき(=「6」・「9」がないとき)
    →評価値『9』、とれる待ちメンツ: 9種類、有効待ちメンツ: 7種類

  ・ 「2」・「5」がないとき(=「5」・「8」がないとき)
    →評価値『6』、とれる待ちメンツ: 7種類、有効待ちメンツ: 4種類

 ☆・ 「3」・「6」がないとき(=「4」・「7」がないとき)
    →評価値『3』、とれる待ちメンツ: 7種類、有効待ちメンツ: 3種類

  ・ 「1」・「5」がないとき(=「5」・「9」がないとき)
    →評価値『12』、とれる待ちメンツ: 9種類、有効待ちメンツ: 9種類

 ☆・ 「3」・「7」がないとき
    →評価値『3』、とれる待ちメンツ: 7種類、有効待ちメンツ: 3種類

  ・ 「1」・「6」がないとき(=「4」・「9」がないとき)
    →評価値『9』、とれる待ちメンツ: 9種類、有効待ちメンツ: 9種類

 ☆・ 「2」・「7」がないとき(=「3」・「8」がないとき)
    →評価値『6』、とれる待ちメンツ: 8種類、有効待ちメンツ: 5種類

 ☆・ 「1」・「7」がないとき(=「3」・「9」がないとき)
    →評価値『9』、とれる待ちメンツ: 9種類、有効待ちメンツ: 7種類

  ・ 「2」・「8」がないとき
    →評価値『9』、とれる待ちメンツ: 9種類、有効待ちメンツ: 7種類

  ・ 「1」・「8」がないとき(=「2」・「9」がないとき)
    →評価値『12』、とれる待ちメンツ: 10種類、有効待ちメンツ: 9種類

  ・ 「1」・「9」がないとき
    →評価値『15』、とれる待ちメンツ: 11種類、有効待ちメンツ: 11種類

 グラフにするとわかりやすいかもしれないが、情報量がかわらないのでここでは省略する。
 二種の牌がないときの総評としては、「三・七」枯れのときと、「三・六」又は「四・七」枯れのときに著しく順子ができにくくなることがわかる。そのときは特に、とれる待ちメンツの半数以上が純カラであり、待っていても意味がないことになる。 あと、これは当たり前のことであるが、「三」が枯れていれば、「二」や「一」が枯れていようがいまいが全く順子のでき易さに影響はなく、純カラメンツができるか否かの違いしかない。つまり、「三」を枯らせば「二」「一」が同時に枯れる。一種類枯らしただけで二種類枯らしに匹敵する枯らしを行えるのは、「三」「七」牌であるというわけだ。

 三種の牌が枯れるときについてだが、簡単にわかるものがある。「一・四・七」「二・五・八」「三・六・九」が枯れるパターンでは、順子は一つもできない。(評価値『0』。) 三種枯れは二種枯れを必ず経ている(含んでいる)わけで、二種枯れの考察をすれば十分であると思われる。よってここでは省略する。

 以上は、その二牌が、存在する四枚すべて枯れているときの数値・及び考察である。しかし、三枚枯れていても、麻雀を四人でやっている以上はほぼ同じ数値をとることが予想される。(三枚枯れているのを確認すれば、高確率で四枚目もどこかに使われているなどして枯れているということ。)これに関する考察は別章(「ワンチャンスの基礎考察」)に譲りたい。※ver1.6では執筆されていません。


 つまり、数牌がある色で二種枯れていると、対子の受け入れ枚数(2〜4枚)が順子の受け入れ枚数(最大8枚が枯れて2〜4枚)と同等になってしまうという現象がおこる。対子の方が順子よりもポンできる分、受け入れ枚数が同じならばできやすい。これこそが対子場の正体であると筆者は考えている。


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◎理牌からわかる読み (目次へ戻る)

・櫛折れのチー

 ある他家が「ポン」、中二枚を倒して、端っこに離れた二枚をくっつけた。先日後ろで見てて知っている、彼は理牌を完全に行う。ということは、右端なのであれは他の字牌対子である可能性が高い。なら初牌の字牌とかは押さえて和がろう。
 「チー」、こっちから見て、「□□□□□□□□□五□三□」と見せて「四」を鳴いた。彼は理牌する。ということは、「五□三□」は、
「五五三二」
「五五三三」
「五三三三」
「五三三二」
「五四三三」
ってとこだが、一番可能性が高いのはやっぱ「五四三三」だろう。なぜなら、他のケースならわざわざ間を開ける必要がないからだ。他にもノーチャンスの牌とかが偶然あれば、結構一点に絞れたりする。どっちみちその色の通ってないスジが待ちになってるっぽい。(ないしその色と他とのシャボだ。) こういうのを櫛折れのチーといって、手読みへの大きな材料になる。 これを逆利用して「五□三」の間に字牌ドラとかを挟んでみる・・・これは人間性を疑われるからやめた方がいい。ただ、つい櫛折れして読まれて悔しかったときとかがあったら、お返しにやってやってもいいカモ。
 これを自分がやらないようにする方法。最初の字牌のケースは、字牌の対子はもし出て鳴くなら端っこじゃなくて手の中の方においておく。これならよくわからん。櫛折れは鳴く牌をあらかじめ選定しておいて「三五四四」と置いておくのが理想的。そう置けなければ小手先で誤魔化すくらいしかないのでは。

・理牌すべきか

 理牌しないで牌が完全に把握できるのなら(手牌を一回見たらあとは見なくていいってくらいなら)しないでいいけど、ちょっとでも不安なら理牌すべきだ。理牌しないで打って余分な時間を使ったりミスをしたりするのは、愚か以外の何ものでもない。理想は、配牌だけ理牌なしで理解できるとこはして理解できないところから理牌をはじめて全体を把握しておき、巡が進むごとに「手が読まれない程度にわかりやすく」理牌することだ、という意見もある。でも自分は面倒だから最初から理牌する。

・理牌読み

 完全に理牌している人というのは、見る人が見れば、莫大な情報を出している。
 ここでは、「完全に理牌する人」への読みについて述べる。彼らに対する読みは、理牌読みと捨牌読みをあわせればかなりの確率で一点読みできる。この読みは麻雀の本質ではないかもしれない。しかし、これは相手の手を読むに際して最も有効な手段であることは間違いない。

 特にゆっくりと麻雀する人に対しては、しっかりと見て、しっかりと考えることができる。遅い人がいたら、いらいらする前に理牌状況を考えてあげるべきである。逆に遅い人は、この話を聞いて理牌崩しを考える前に、少し急いで麻雀するように心がけるべきである。

 枚数構成: 手牌の枚数構成が下記などでわかったとき、それが聴牌なら待ちがどこになるかは自明である。
マンピンソウの3色と字牌もここでは色として述べる。
同色4枚と理牌読みできたときはその色で待ち確定。7枚、10枚、13枚も確定
3枚と読めたときはその色の待ちじゃないと確定。6枚、9枚、12枚も確定
 ただし、七対子は重要な例外。(理牌読みできるクラスなら捨て牌読みとあわせればたいして問題にならないだろう。)
2枚は枚数だけではなんともいえない。頭になっていて通る確率5割。全く無関係のエリアよりははるかに危険

 分断・手出し: 「1」「9」牌は、各色の端っこである。今、例えば
□ □□■□□□□□□□□□□
「■」の位置から「9」が出てきたとしよう。すると、こちらから見てそこより左にある二枚は、別の色(もしくは字牌)のひとかたまりであることがわかる。次に、ある塊のところからある色の牌が手出しされた。これで、その塊が何色の塊なのかがわかる。 これを三つ見つければ、何色の牌を何枚持っているかがわかるし、捨牌がいかに凝っていても染め手かどうかが判別できる。
 ちなみに、マンズ・ピンズ・ソウズ・字牌の左からの順番を毎回決めて理牌する人も世の中にはいる。すると、もっと楽に手牌構成がわかる。
 染めている人が理牌する人だったら、楽勝だ。鳴いて、鳴いて、
□□□□
なんてことになっているとする。このとき、何かを入れて、一番右から「6」を出した。これだけで、「9」「8」の辺は危険色ながら大通しであることがわかってしまう。(逆手に取られたらおしまいだが。)
 同色枚数: さて、あるエリアが同色だとわかっているとしよう。そのエリアが、例えば「□□」で二枚なら、そこは未完成メンツであろうと予想がつく。(例外として雀頭があるが、ドラなどの特別な理由がなければテンパイまで雀頭固定しないのが平和な打ち方であるし、そのような捨牌との関連によって判別はつく。)「□□□」で三枚なら、どうやら完成メンツのようだ。この色は大通しだ。同様に、「□□□□□」の五枚なら「23456」とかの待ちメンツになっているっぽい。「□□□□□□」の六枚なら、まず出来メンツ二つと考えていいだろう。 「□□□」から、こちらから見て一番右の牌を出して「5」切り立直をしてきた。「カン8」待ちの即ひっかけが第一候補で、次に「6ー9」待ちだ。その色が雀頭であることを否定できれば(周りの枚数による)、その色以外が大通しだ。(糞シャボだけは気を付けよう。←初心者以外やらないだろうけど。)周りの枚数が少なければ、立直者は「ワンチャンス・・・」とほくそ笑んでいるだろうが、決して切ることはあるまい。
 上に置く人: ツモ牌を手牌の中の関連牌のところの上に横にして置いてから考える人がいる。これだと、ツモ切りしてくれてもそのエリアの色が見当づきやすくてありがたい。
 中に入れる人: マナー違反なのだが、ツモ牌を手牌中に入れてから切る人がいる。カンチャン→両面変化や字牌の対子化などが一目瞭然でわかりやすい。
 手代わり変化: 
 さて、字牌のないあるところの色構成は以下のようになっている。
□ □□□□□■■■■■□□□
こちらから見て、左からピンズ・マンズであることが手出し牌からわかっている。さらに注目して見ていたら、ソウズをツモったときに一番右のエリアに目が走っていた。このことから、左からピンズ・マンズ・ソウズであると思ってみる。 この人は、さっきからツモ切りが続いていてテンパイっぽいのに、立直をかけない。と、一番右のところから「8」索が手出しされて何かが入った。これと捨牌を照らし合わせて、どうやら「678→567」への変化を待った三色であるようだ。一巡ツモ切って立直。捨牌がいかに凝っていても、これなら読みやすい。 あと、上下のある牌をひっくり返す人がいる。ひっくり返す牌の八割以上がマンズである。(字牌を除けばもっと多い。)ひっくり返して入れている牌があれば、そこのエリアがマンズかと見当が付く。
 エリアがなければ: いつも理牌する人なのに、今回に限って理牌していない。二個ずつ手に持って手牌をあっちへこっちへと移動する。そして、捨牌から考えてみると・・・・七対子。このレベルなら、テンパイ後も字牌とスジ以外は大通しっぽい。
 実践としては: 実戦でこれを全員に対して行うのは、結構骨が折れる。日常気軽に行いたい麻雀(でも勝ちたいとき)では、マークする人(何もなければ親、ツいている人がいればその人)に対してのみこの徹底的な読みを実行するまででたいてい事足りる。 ただし、実際は適度に理牌をくずして読まれないようにする配慮が一般的だ。(それでもマークする人へは「手出し/ツモ切り情報」を得るために、見るのだ。)理牌する人でも、特に平和などでは、一向聴時の最終的なテンパイをつくった入り目くらいは、手牌に入れずに立直するのがポピュラーである。
 読まれないためには: 上の読みは、ちょっとでも理牌を崩せば簡単にできなくなる。この読みを実践する人に自分を「完全に理牌する人」と思わせておいて、「12345」を「54321」と置くだけで簡単に読まれにくくできる。出来メンツは把握しやすいので、その間に色々挟んでも支障無く麻雀できる。特に孤立字牌は他の字牌の存在を読まれやすいので、「12中3」とかにしておくといい。なんにせよ、読む側の立場を経験していれば、読まれないようにすることは容易だろう。
 逆手にとるには: 理牌を若干崩して攪乱するだけなら、相手に被害はない。が、例えばドラ「4」で自分から見て一番左から手出し「7」を打って見れば、ある人は「いつも通り」と思って「ドラ無し」の読みをしてくるかもしれないので有効な使い方にもなる。(つまり、例なら「2ー5」くらいで当たるのだ。) 逆手に取りたいのなら、気を付けるのは最初から騙さないことだ。一回は、相手においしい理牌読みをさせてほくそ笑ませることである。こちらがなめられていればいるほど、相手はこちらへの理牌読みを信頼してくる。そしてもう一つ気を付けることは、どうせ騙せるのが一回なら、ここぞというところで騙すことだ。相手の浮き牌まで読んだ上で、騙してそれを切らせると強い。
  この読みは: 理牌読みは、相手が理牌の方法をかえるだけで(例えば右から左に小さい順にするとかで)ガラッとかわってしまう。確実なこと以外は、あまり、慣れすぎず、その都度ちょこっと頭を使って何があるのか考えるのがいい。理牌読みをするよう心がけると、「手出し/ツモ切り」情報が頭に残りやすい。どこから出たかまで思い出せなくても、せめて手出しかツモ切りかくらい、緊急時に思い出せるようになる。

・ネクストバッターズサークル現象
 ツモって手牌の上に置いて、右端から切って、ツモ牌をいれて、ここで注目する。あれ、右利きの彼は別の牌を右端に移動した。次も、その次も。そして、ツモって、河に一瞥、右端を切って、ツモ牌を入れて、右端に・・・あれっ?移動しない。別の他家が、彼への危険スジを切った、「ロン」。 そう、テンパイするまで、彼は右端のネクストバッターズサークルに次に切る牌を移動してノーテンを教え続けてくれるのだ。便利だ。  これをやり続けて、逆手に取って、ダマで張っても何かを右端に移動してみたくなる。実に人間性を疑う行為だ。どうしても勝ちたいときまでこの秘技はとっておこう。そして、ここぞというデカダマを張ったときに、読み手を討ち取ろう。
 ※この言葉については、Aヅマ先輩と麻雀が終わった後に野球の話をしながら麻雀の話をしていたときに、できた言葉です。一般性はないので、注意して使って下さい。


 ところで、ネット対戦麻雀等のコンピュータ麻雀では理牌が自動である。この手の読みは生麻雀だけのものとなるかもしれいない。ネット麻雀派が生麻雀をやるときは、こういう違いがあることをふまえるべきである。
 著名なところで東風荘をあげると、1999年前半のバージョンにおいては、手出し・ツモ切りの区別はあるものの、どこから出たかは全くのランダムになっているという。

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◎挙動について (目次へ戻る)

 麻雀でセコいのは、挙動が読みの要素となることだ。これは、麻雀を気楽に打てなくしている原因の一つか。これら欠陥で日常の麻雀が損なわれつづけるのは、ゲーム性の喪失にすら成りかねず、残念だ。(ま、注目するのは疲れるけど負けないわけで、いいのだが。)しかし、最も重要な局面でこういったことでつけ込んだりつけ込まれたりするとき、それはマンガみたいで面白い。

・びくつき
 鳴きたい牌が切られると、びくつく。これで、そこの待ちはひとつばれる。 これをやらないようにするには、常に先のことまで考えて、鳴ける牌が出たときにどうするかを決めておくことが重要。これは、模打(※模は「てへん」だけど、漢字がでない)のスピードをあげるにも重要。

・だまり
 しゃべってた人が無口になったら、いい手が入っているらしい。 これをしないようにするには、いい手をいい手と思わず、ふつーの手、と思ってやるのがいい。すると、会話も自然になるし、河もよく見えてくる。

・ふるえ
 打牌の指先に震えがあるとき、それは役満の余兆があるらしい。 これを防ぐのも上記と同じ、役満もただの手、ふつーの手、と思ってやるのがよい。

・迷ったらイーシャンテン
 テンパイするときは、切る牌はごく限られているので、とっとと牌を切る。イーシャンテンの時は、受けの広さやら手役やらいろいろな可能性がある。
 何かを切ろうとして、やっぱやめた、と戻して別のを切る。これは、イーシャンテン以下にある現象で、テンパイには起こらない。

・ヤーメネーター現象
 ヤーメネーター(他人の手を自分がはるまで気にもしない奴)は、テンパイするとやっとのことで河を見だす、らしい。
 ※これについては、言葉も含めて「覇王」さんの「麻雀の奥義」HPからの事実上の転載です。
http://robles.callutheran.edu/~tasaka/mah-jangg/mahjangg.html

・変わらずの十三枚
 理牌時に、上下ひっくり返しまくってる。ああ、マンズが多いんだな。
 上下ひっくり返さない牌は十三種あるそうだ。でも、ひっくり返り牌でもちゃんとした向きでツモってこればひっくり返らないんだから、むしろ「ひっくり返された牌はその十三枚じゃない」、と読むのが正しい。
 これを防ぐには、上下逆でも正しく麻雀できるよう訓練するしかない。それか、変わらずの十三枚もときどきひっくり返すように習慣づける。

・目線 :凝視
 三萬をポンして晒しているのを何度も凝視しているところが立直→一四萬待ちだった。
 7索カンをじろじろ見てる→9索待ちだった。など

・目線 :立直前河全体を調べる
 牌の切れ具合を再確認している→地獄待ちなどの単騎待ち

・告白
 「あー入らねえ」→ノーテン。たいていイーシャンテン
 「つまんねえ」→手が悪くて勝負にならない
 「はぁ・・・」→うまくいかない
 「そうきたか」→そうきたなら自分の手牌に選択肢があるがどうしようか
 手に関する発言はすべてマナー違反であり、手牌に対して嘘の発言をしてミスリードさせることを三味線という。慎みたい。

 その他でも、その人の性格を掴んでいれば、いろいろな言動や挙動から色々なことがわかってくるものだ。また、純粋な手役への読みも、その人の役への嗜好は大きく参考になる。回数やれば、やっただけ、手はばれていく。

※ネクストバッターズサークル現象については、「理牌からわかる読み」の章に移転編入しました。

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◎ルールの有利・不利 (セット打ちの場合) (目次へ戻る)

 麻雀のルールは細かく色々あるが、その設定によって自分に有利か不利かが分かれることもしばしばある。
 たとえば、安上がりの糞シャボばっかで立直をかけてくる相手ばかりがいるとしよう。それに振り込んでしまって局数不足で負けそうになってしまう。こんなときは、西入の点数設定を高くすればいい。30100じゃなくて、35100とか。さらに、配給減点も低め(25000が一般的)にして、西入しやすくし、さらに一気にトばしやすくする。これで、失点を回復しながら一発長打を狙えば、機会が増える分有利だ。
 自分の雀力が相手を上回ると感じたら、不確定要素を減らす。例えば、チップやアリスは廃止。さらには裏ドラ・カン表裏ドラなんかも廃止できればさらに確実なる雀力の反映が見られるが、そこまでは一般麻雀ではやりすぎだろう。
 オープン立直の有無だが、自分がオープン立直をうまく使えるなら、廃止にすべきでない。これは、オーラス時に必要得点に届かせるのに実に便利な道具だからだ。ツモ山への読みができない相手には、オープン立直などはただの運の道具に過ぎない。オープン立直ありのルールは、一般に親善を目的とした麻雀で採用されるべきであるという声も聞く。
 オーラス親の和がり止めの有り無しは、かなり重要だ。この和がり止めがなしだと、オーラスの親(起荘の左隣)を引いた人がかなりの損をする。思うに、それは精算時まで何半荘やるかによって変わる。いっぱいやればやるほど、総合的に見て有利・不利はなくなっていく。ホンの一、二半荘を高レートでやるときなどに実力で勝負したいなら、和がり止めあり、がよかろう。
 ドボン(ハコ割れ)の有り無しは、雀力が極端に劣る者があまりに振り込み過ぎるときにハコなし(=ハコ下有り)にするのがよい。しかし一般的には点棒がなくなると精算しづらいし、ハコ罰符をとって終わりにするのがいいと思う。
 ウマは、メンツのレベルを見て、自分より強い人が何人いるか確認して二位が堅いようなら高いウマを、三位・四位になることがありそうならありそうなほど低く設定するのが有利といえる。
 その他は、自分が打ち馴れているルールでやるのが一番有利だといえる。
 赤のある/なしは別項に述べてある。

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◎赤5の考察 (目次へ戻る)

 赤があるときとないときの差は以下であると思う。
 総じて、赤があるときはないときに比べて手役の有利さに偏りをもって和がり点が高くなる。それは自分にも相手にもいえることである。

【手役の点数状況が違う・・・タンヤオ平和(特に5関係の三色系)が強くて一色手・チャンタ系が不利】
 (赤5各色一枚ずつ[二枚以下=赤くない5と赤5がある]の時)常に手の内にあるノーマル5が赤5と入れ替わる可能性があることをふまえる。すなわち、つまらない平和を立直してとっとと一飜高めるよりも、当たるつもりのダマ(出たら出たで流局したと思って当たるのだ)でまわしてノーマル5を赤5に入れ替えるチャンスをつぶさない方が有利だということだ。5の入れ替えをしたところを最終型として立直すれば合計二飜あがり、つまらない平和とかも結構おもしろくなる。 5の入れ替えは、5を含む面子がある、赤を引く、というたった一巡だけでできる高め方だ。普通の表ドラとかを引くのを待っているとドラスジを出すことになったりドラそば待ちが残ったりするが、5の入れ替え作業は「ノーマル5を通す(それも赤5は押さえた!)」というところだけうまく行えば、出来目入れ替えをして全く手役を崩さずに5のソバテンを残さないで一飜上げられる。これは特徴的なことだ。 この入れ替えを行うには手の内にノーマル5がとどまる性質の手役が有利で、それはすなわちタンヤオ・平和系や5の対子を含む手なのだ。チャンタでは5の入れ替えは行えないし、染め手では自分の色の5を入れ替える(というか多くはどっちの5も使うと思う)ことしかできない。
 赤ありでは赤なしより一色手が不利になる。特に表ドラと違う色の一色手は不利だ。2ー5ー8スジ危険の捨牌様相の立直に、違う色の赤5を掴んだ染め屋が爆死することがある。
 赤は、ないときにくらべて平和による倍満を容易に引き起こす。(メンタンピンツモイーペイ表ドラ一裏一赤一、や345三色の赤3を含む手など)考えてみると、赤なしのときのピンツモはよほどのことがない限り跳満が限度だ。倍満になるのは一色手と重なるときとか、メンタンピンツモ三色イーペイドラ一を高目ツモするかってくらいだ。メンタンピンツモにドラを頭と順子で三個(これだけでも頭がドラにならないとまず不可)用意してもまだ足りずもう一つはドラがほぼ不可能で、手役でつけねばならない。よって赤なしのピンヅモ系倍満はあまり見ないのだ。
 赤なしのときに子なんかが平和のみを立直してしまったりすると、メンピンしかない捨牌を見た相手は表ドラの所在がわかった瞬間に「あの子2000点(裏ドラで3900)」というわけで、ツモ切る牌は染め屋にどんどん持ってかれて、みんなスジも頼りにズカズカ攻め込んできて、薄いところはバシバシ勝負してきて、追っかけられまくって、当たり牌を掴まされて(それも自分の和がり牌はみんな暗刻で押さえられて)、それだけのリスクを背負いながらも出和がり2000、ツモっても700・1300(裏一枚はよくのるが所詮3900は3900。裏二枚は滅多にのらないものだ。(雀頭の性能による))なんていう切なさを抱えたタダのカモになってしまう。 赤ありだとただのメンピンに見える捨牌でも恐怖の対象[満or跳貫打ち込み覚悟]になる。ラッキーに安くても3900はあり、満貫で普通、赤の数や裏ドラ如何によっては跳満打ち込みまでありうるのだ!
 赤なしにおいての話。平和系は混一と点数的に互角で、清一が三色平和系のきれいで高いところと同格。そして三色平和系は門前清一(と何かがある倍満クラス)には及ばないということになる。 赤ありにおいて。染め手は、掴んで使えずに爆死する赤ドラ牌が三分の二を占める。三色平和系には清一までいかないと点数的に見合わない。(混一で跳満に行くのがどれだけ難しいかはわかるだろう。混一役役トイトイにするとバレバレで出ない上にツモ和がるのも難しく、ドラを一枚ならまだしも二枚も絡まる可能性を見せると他家は相当に警戒してくる。・・・逆を言えば赤アリの時は三色平和系の捨牌のところにこれくらいのレベルの警戒を与えねばならないということだ。ちなみに「警戒する」というのは、牌を絞ったり自分の和がりのスピードを高めたりする(要するに警戒対象に和がらせないようにする)ために手役手牌を犠牲にする度合いを高める、ということである。)
 赤は、面前のタンヤオを最低5200以上(三飜以上)にしてしまう。(タンヤオ表一赤一が多い。)待ちの自在に変わる面前タンヤオを、キックする必要がないなら、2600のタンヤオドラ一くらいで出和がってしまうのはもったいない。5の入れ替えや立直やら手役を考えて一、二巡でできる手替えがあれば、2600の見逃しすら考えよう。
 (赤5各色一枚ずつ[二枚以下=赤くない5と赤5がある]の時)345及び456及び567の三色は、赤の入れ替えを行うことによって以下のケースのバイオハザードを起こすことが確認されている。
・三色のみテンパイ(幼生。5があるにつきダマで我慢、カンチャン待ちでも一枚目くらいなら見逃すことすらあるかも)
→三色赤1(標準。まだ我慢・・・ていうか出和がり5200のツモリ満貫で十分)
→三色赤2(強化版。4飜なので立直する意味なし。)
→三色赤3(末期。ツモれたり出和がれる公算があったら最終型として跳満確定立直もある。平和のとき、安目でもダマで7700ある。)
→「ツモ! 三色、赤3。6000、3000。」ならまだましで「ロン! 三色、タンヤオ、赤3(表)ドラ1! 12000!」がきつい。

【危険スジの違い】
 赤ありのときは、5にかかる2ー5、5ー8の待ちが有利だ。その理由は、赤をツモるかもしれないということと、他家が赤をノーマルと入れ替えて5をあまらせることがあるということにある。
 当然のことながら、5をまたぐ3ー6・4ー7は赤またぎになっていることがある(または入れ替えて赤またぎになってしまった場合がある)からヤバいし、特に345や456、567三色の赤2〜3というのは悲劇的破壊力を持つ。

【点数感覚の違い】
 赤があるとき、満貫手は勝負手ではない。赤ありにおいては、他家から制約を受けずに和がった手が満貫ないことの方がめずらしいくらいだ。満貫は点数を得るための和がりにおいて最低点にすぎない。満貫を和がってもツモられるだけですぐに出ていく可能性があるし、また隙があればすぐに一回で和がりとれる点数だ。不慮の満貫放銃をしてしまったとき、赤なしでは次に手役の狙える手がくるか泣きながら心の中で祈るものだが、赤ありでは赤なしでいう3900放銃くらいの気分になる。 総じて動く点数のレベルがすべて一飜あがっている、ともいえる。(が、赤のあるなしにかかわらないレートの手役もある。)また、三飜以下の和がりは他家を蹴る以外に点数的にあまり意味を持たない。
 赤があると、手役不能な牌姿でも手役のある他家と対等に張り合える。特に、純チャン系のところに平和かタンヤオで向かうと点数的に張り合える。(というか勝てる。)(赤が多ければ多いほど平和かタンヤオが有利になり純チャン系が不利になる。)

【赤ではベタオリが不利】
 赤が入っていると、前述のようにただの平和で簡単に跳満〜倍満をツモられる。相手は所詮平和なので待ちは二つくらいの本命がわかるのだが、それでもツモられたらおしまいだ。特に親にツモられると親でツモリ返すしかなくなる。(親倍ツモ後は3万点差つくので子の跳満直撃でもひっくり返せないのだ。)だから、相手にツモられないようにすることが大事になってくるのだ。赤があるときはないときに比べて、相手の和がりを阻止して自分が和がる能力が浮き彫りに大切になる。すなわち、相手の好調ツモ列を鳴くことによってずらしたり、相手のスピードを意識して面前で間に合わないときは仕掛けていったり、ということが要求される。
 相手に好き勝手打たせて高みの見物気分でベタオリしていると、倍満をツモられたり、あるとこがドラ含みの高い感じであっちは安い方、と思っていたところ、タンヤオドラ5とかのダマに振り込んだりして悲しい目を見る。
 相手の和がりを阻止する麻雀というのは、
・点数だけでなく、相手の手の進行に間に合うように巧く鳴きを取り入れてスピードを意識する麻雀
・満貫くらいの手では無理押しはしないようにして捨牌を絞って相手のスピード/和がりを阻止する麻雀
・相手の高い手役を読んで鳴きも利用することで相手のスピードに間に合わす(安っぽい食い断赤系で3900以上の脅迫をしながらでも)オリを極力回避して和がりを取りに行く麻雀
・巧く立直を使って相手を降ろす麻雀(前述・メンピンの恐怖を使う)
、などが勝つために要求されよう。もちろん赤のあるなしに関わらず以上のことは重要ではあるが、赤があって違うのは、ツモられるだけでヤバいということと、キック手でも3900は持ってる(たいてい満貫)ということだ。
 赤は、相手をかいくぐる和がりの点数を1000〜2000レベルより2000〜3900あるいは満貫のレベルまで上げてくれる。これにより、キック手野郎に強気に向かっていく大物手保持者のリスクは高まる。 赤なしでは食い断キック系の安いことがバレるから平気で勝負されてしまい、ひとたび通されると安い方の打ち手が鳴いてて振り込みやすいことも相まってそうとう不利になる。だから赤なしではオリづらいまわし打ちキック手(鳴きを取り入れるスピード強化版)は相手の手を相当の自信で読んでい(例えば一点読みできているときとか)ないとやるだけ損であって、ヤる人は少ないというわけだ。(オリの効く面前まわし打ちキック手は当然誰もがいつもやる。)
 一方赤がないときはとにかく振り込まないことが重要で、すなわちベタオリ麻雀でも相手のツモはせいぜい高くて跳満くらいのことが多いから深刻なことにはならず通用する。親かぶりだけは避けるように親のときに高くツモられない麻雀を打てばいい。(親ならたとえ打ち込んでもツモられても三・四飜のところでは同じということも理由の一つ。)ひとたび振り込んでしまうと挽回は難しい。挽回するチャンスは、放銃先から出和がりしかえすか、振り込んでいてもまだ次に手役のある牌姿を持ってきた上ツモ和がりするということにしか求められない。

【赤過剰気味の時】
 赤の枚数が多すぎたりチップ等の優遇が大きいと、純チャン系はかなり不利になり、役牌はかなり絞らねばならなくなり(後付のある/なしに関わらず)、イーペイコウなどのヤり損な手役は廃れる。また、ツモ和がりの強運があるとそれだけでダントツになれる。特にツモって赤につき祝儀オールになっているとツモ和がり=勝利になる。(だからこそツモられる前に振り込まずに自分が和がってしまったり他家の安いところに和がらせる能力が要求される。)これを「ギャンブル性が高くなる」と評する声もある。

【赤に対する読み】
 問題は、ドラの所在判断が狂うことにある。乱立する赤がどこにあるかは読みづらい。なぜなら、赤があるからといって挙動が大きく変わったりしないものだからだ。概して上に述べたことの反対を考えればわかるが、正確なところまでは掴みづらい。要するに、タンヤオ平和系に警戒を払えばよいのだ。
  しかしよく考えてみて欲しい。赤なしでは、ドラは3900と7700の架け橋であったり、役ドラ3という満貫への切符である。ドラは点棒状況を握るキーだ。しかし、赤ありでは満貫・跳満・倍満が炸裂する場なのだ。そこでドラの一個や二個がどこにあるかまで気を使うことはない。満貫と倍満は大きく違って、さすがにわかるが、跳満か倍満か三倍満か、というのはわかるわからないの以前に和がらせてはいけないという共通項がある。そう、点数のインフレする麻雀では、誰が何個のドラで何点で、ということの前に誰が和がるのか、ということとなる。もちろん手は高めるのだが、放っておくとみな同じように高まるので、はやく和がる、制して和がるのが重要なのだ。赤があるかないかで手への読みはさほど変わらない。ただ、ドラだけで十分になって一通やらその他の手役を捨てて広い待ちにとってくることが余裕であるので、どこまで待ち読みできるか、だ。手役読みは簡単だが手役のないところも手役以上の飜数があるわけだから、四人はむしろ平等だ。(飜数がなかったら、はやけりゃ和がって遅けりゃツモられるのを覚悟に絞りオリして、誰かが出和がったり流局すればラッキーといったところだ。)

【赤切りに対する読み】
 (赤が一枚ずつ入っているとき) このルールのときに、赤が捨てられたらそれは重要な情報を持っている。すなわち、「手牌中に5がない」というものだ。もしあるのならば、99%赤くない方を捨てているはずだからだ。それを根拠にして、様々な読みのケースが存在する。
 赤5切りに対してまず最も有り得るのが、その赤5が手役上使えないケースだ。考えられるのがチャンタ系、一色手である。捨牌読みを中心に、比較的簡単に判別がつくはずだ。(「手役読み」の章を参照のこと。)一色手においては、それが切られた瞬間から一色警戒を強められるため、便利だ。 チャンタ手においては、その色の「2」「3」「7」「8」がカンペンチャン待ちで待たれることが大いに有り得るので注意が必要だ。
 次にまれではあるが、平和系の手で赤5が捨てられる場合を考える。その赤5の またぎスジ待ちは99%ありえないこととなる。(=「3−6」「4−7」がない。)なぜなら「455」や「556」からならば、赤くない5を捨てるはずだからだ。次に、5の両裏スジも薄い。なぜなら、「235」とあって5が赤ければ、「2」を捨てていくことが多いはずだからだ。(「578」も同様。)ただし、テンパイまで引きずって、三色絡みや平和によって1翻分おぎなえる場合などに5を切るケースがあるため、テンパイ間際に切られた赤5の裏スジ待ちはあり得る。これは、三色やタンヤオ平和や表ドラによって赤5切りが点数に見合っているのかを予想して見れば判別がつく。
 刻子系で余って捨てられる場合がある。この場合、七対子は薄く、トイトイが濃厚である。
 総じて、赤5切りにはなんらかの手役(特に2翻以上役)が潜んでいることを意味するといえる。手役読みが重要となり、多くの場合で切られた赤5の色の牌がオール通しになる。
 (赤が一色につき二枚以上あるとき) 「455」で赤赤と持っていたところから「5」を切るまたぎが有り得るようになる。このケースではチャンタや一色はかなりはやいものを除いてやる人がいないかと思われる。

【赤切りによるひっかけ】
 (赤が一枚ずつ入っているとき)上記の基本的な読みを逆手に取るひっかけができる。しかし赤切りするのは、とても点数的に不利な切りスジであり、また、危険な行為である。それだけに、ひっかけの効果は大きい。祝儀がある場合はさらにやりづらいが、それでも正しくやれば、効果はかなり大きい。
 まず手なりにできるひっかけは、タンヤオ系(できればさらに平和系)の捨牌に七対子で赤5切り「2」(または「8」)待ちのスジひっかけである。 立直一発タンヤオチートイとドラを望める。
 ちなみに、点数的に見合わないで「135」からリーのみで赤5切りをしても、通れば和がれはするだろうが、通らなかったときに最悪だし、和がっても意味がない。「1」を切ってダマテンにする方が有利なはずだ。
 次に、平和系の捨牌で「455」(一枚赤)から赤5切り立直だ。先切りは難しい。ここが先にできてしまって待ちにならなかったとき、ダメージが大きいからだ。例の3ー6待ちでは、捨牌に9を置いておかなければひっかけ効果が半減してしまう。(他家からすれば、6−9はチャンタ関係だとしても十分ありうるよううつるからだ。) もうひとつは、赤5をかなりはやい段階で切っておいての「1ー4」または「6ー9」待ちだ。「23578」と両方持っての形からならば切れなくはないが、片方だけでは「235」から「23」にしたあとに「4」が入ってテンパイしたときに虚しい。また、チャンタ志向をほのめかして打っては効果はない。
 次に、赤5を切ってその色で染めるひっかけだ。相当手牌に恵まれていないとできないが、効果はあるはずだ。はやく切れれば切れるほど、注意はチャンタ系にいくことを知っておくべきで、真ん中牌で待ってやればいい。ただし、一鳴きテンパイになるくらいまで全く鳴かずにビクつかずにおくことが必要だし、赤5を切ったのに見合う点数確保が必要である。ちなみに、中盤まであからさまにその色で染めておいてテンパイ間際に赤5を切ってみても、みんな混乱はするだろうがひっかけにはならないので、とくに危険な行為となるし、やっても意味はない。

 以上が、赤を入れたときと入れないときの麻雀の違いとして自分の思うところである。

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◎運気について (目次へ戻る)

 麻雀をよく知らない人にすれば、「麻雀なんか、運だけじゃないの」と見えるらしい。実際にやっていけば、麻雀は運が大きく関わっているものの、技術も必要であることにある日気付く。(それは強い人の打ち方を見たり、ボロ負けしたりするときに感じるのだ。)しかし、麻雀の基本理論を身につけたところで、麻雀とは不条理なものであることにも気付く。そこで、運を左右できたらなぁ、と思ったりする。
 麻雀の運については、実は経験論が存在する。ここに記すのは、巷でいわれている通説と、自分の経験とをあわせた運気の流れについての記述である。
 車の免許に初心者期間があるように、麻雀には初心者期間が設けられているようで、いわゆる「ビギナーズラック」期間がある。すなわち、麻雀を始めて間もないと、鬼ヅモ・鬼ドラを発揮できるのだ。だから、麻雀初心者は最も早い面前テンパイとテンパイ即リーを実施すると良い。すると、リー即ヅモドラ3などいとも簡単にできるのだ。「麻雀おもしろいな、ずっとやり続けよう」と思った頃にこの期間は終わるらしい。これらはパチンコや競馬やその他もろもろの中毒性のものに共通しているそうだ。この話はここまでで終わりである。
 さて、自分は麻雀をやっている中で、運気が上昇・下降しているのを感じる。
 基本的には、運気が高いとき(ツいてるとき)は、いい手がイーシャンテンやテンパイまでで止まらずに和がりまで達して、悪い手は来るのだがそのときは他家が他家から和がったりツモ和がったり(自分は親じゃない時に)する。運気が低いとき(ツいてないとき)は、基本的に悪い手が来るし、カンチャンやペンチャンを嫌った瞬間に来たりするし、いい手がこればイーシャンテンやテンパイ止まりで他家に和がられたり放銃したりしてしまう。
 運気が下降するのは、
・振り込んだとき
・わかってるのにちゃんと打たずにミスしたとき
・本来なら危険なく余裕で高まっている手を高まる前のゴミ状態で出和がってしまったとき
などに起こる。
 運気が上昇するのは、
・ラス牌をツモったとき
・ハイテイで和がったとき
・自分の予想通りに和がったとき(=いい和がりをしたとき)
などで起こる。
 運気は麻雀をやる前の日常生活から影響を引きずってきているようで、その日の最初の東1局の時点ですでに他家と運気の差はある。それまで鍛錬するにはどうしたらいいか人によって違うだろう、ただ開局した後の運気は打ち方によって変わる。
 振り込んだあとは、大小あるが確実に運気が下がる。それは、
・故意に差し込んだとき
・勝負して振り込んだとき
・振り込まなくても済んだのにうっかり振り込んだとき
の順に大きく、運気の衰退を感じるはずだ。運気が下がったらどうしたらいいかというと、和がれば運気を取り戻せる。それは点数に関係しないが、やはり高く和がれれば和がれるに越したことはない。しかしついてないときは高い手を狙ってもいいことがあまり起きないので、まず点数に拘らずに和がりにかけて一回和がることがコツとなる。すなわち、振り込んだりした次の局に慎重に打つことが望まれる。適当な手を張ったとしても、立直せずにダマで待ったりすべきだ。弱気になれというのではなく、慎重に打つのだ。もし立直して追っかけられて振り込み、さらに調べたら自分の待ちはすべて他家に押さえられていた、王牌にあった、などということになったら、その日は崩れてしまう恐れがある。たいていどんなにいいと思える手でも、運気が下がっているときはテンパイ不可能なことになっていることが多い。おおよそ、どんなに仕方ないといっても一回でもメンツをかぶれば、他家には追いつけずに自分の和がりはないと見ていい。決してそれ以上振り込まないように守り続け、ツモられても腐らずに続けて、いつかやっとテンパイできたとしよう。それでもついてないときというのは、和がり牌がツモ山に純カラにだったりするのだ。だからこそ待つときは立直せずにダマで我慢して、本来永久にツモ和がれなかった牌をもっとツいてない他家から出和がる。この出和がりはたとえ千点でも、確実に意味の大きなものとなっているはずで、すなわち他家の発覚できそうもない大物手を未然につぶしていたりしている。このようにして運気を回復すると、滅多にラスを引かない「負けない雀士」となれる可能性が高い。ただし、他のメンツが強靱なときは、ツキを最初に失った者のツキをとことん減らして脱落させようと三人ともが考えて打ってくることがある。これは勝つため(負けないため)に大変正しい戦略で、そういう打ち手と打つときは最初に脱落しないように気を付けるしかない。
 運気が高いと感じたときは、いつもより積極的に、かつ慎重に打つことが望まれる。すなわち、普通に打てばいいのだ。積極的か保守的かどちらにいけばいいのか迷うときに、積極的な行動を選ぶようにする。七対子かトイトイか迷ったときに、強気にトイトイにいくといいことが多い。リャンメン以上の待ちのよいテンパイなら、特に和がれる理由が見あたらなくても立直してしまえばツモれるだろう。それでも、調子に乗りすぎてダマで満貫のところを欲張って意味なく(他家への牽制の必要もないのに)立直とかすると、失敗したときに運気が下がる恐れがあるのでよくない。運気が高いはずなのにいい手がこないのは、他家にいい手が入っているときだと考える。すなわち、もし手が入ってきていると振り込んでしまうのだ。悪い手の時は、国士とかを狙いながら(成功する事もあり得よう)しっかり守って打てば、次局ですんなりチャンス手が来る。
 最初の運気が高いとも低いともいえない状態が、いかに大切なときなのかがわかる。そこで和がればその日は勝ちであり、そこで振り込めばその日は負けなのだ。
 そして、親が連荘することは点の大小に関わらずどれだけ恐ろしいことかがわかろう。ただでさえ1.5倍の得点力を有する者が和がることによってさらに高い手を和がりやすくなるのだ。自分が親で四暗刻単騎を狙わずして自然にあがったときも、三本場を積んでのことだった。
 運気を考慮した戦略は、麻雀の理論技術とは別の次元の話として存在する。
 親に連荘させないために、子の三人は協力して打つべきだ。親に勝手に打たせたり、親への援助をする捨牌(親は和がることのみを目標にするのが普通だから、簡単に鳴いてくる)をしたりするのは、親の一人勝ちを誘発する恐れがある。具体的には、
・南家は親が和がりそうなときや早い手がきたとき、スピードを上げて安く和がるよう心がける(親の捨て牌は絞られないことが多いから他の子より鳴きやすい)
・北家は和がっても意味のない手が来ていたら、和がりをあきらめて親が欲しそうな牌を絞る
という打ち方が必要になる。しかし、前局で振り込んでいたりする弱い状態の親を相手にするときは、あえて逆の行為をとると親が自滅する場合もままある。 ちなみに、西家は親を気にせずに自由に、いつでも降りる準備をしながら手を高めていくのが普通の打ち方とされる。(だから、大事な相手[差しウマのある相手とか]との対局ではその相手と対面の位置に必ず座るよう取り決めておくと良い。)
 もし一度運気が下がったらボロ負けしてしまう打ち手がメンツにいるときは、一回3900程度のダマで当たってやって腐らせればいい。あとは放っておいても簡単に脱落する。そういう打ち手が三人いるときは、順々に倒していけば、あとは一人で好きに麻雀できることになる。それだけに、逆に運気を取り戻すことのできる打ち手は手強い。しかし運気はそう簡単に取り戻せるものではなく、時間のかかるものなのだ。強靱な打ち手三人とやるときは、最初に隙を見せたメンツを三人で集中攻撃する。このことは自分も含めて四人とも心得ているのが望ましい。麻雀は実際、一人をボコボコにしてその分を他の三人で取り合う方が楽に打てるのだ。
 この運気というのは、特に根拠がないよう聞こえる。が、これは実際は打ち手の気分が大きく関わっているかと思われる。
 確かに配牌ばかりは運だとしかいいようがない。が、その他の部分は大なり小なり打ち手の判断の結果となっている。牌の引きも、ただの運だけではなく、打ち手がどれだけ多くのことに気付いて山への読みを行ったかの成果が加味されている。
 疲れていたり、麻雀に対してやる気がなくなったりすると、自然と麻雀をやりながらすべき多くの仕事をさぼるようになってくる。他家の細かい挙動、手の進行、河、その他多くの要素を感知できなくなり、ただ打っているだけになってしまう。それは、ただ飛んでいるだけで撃ち落とされるカモに等しい。
 振り込んだりすれば麻雀への集中力が衰え、和がれば高まる。これは人間として普通の心理だ。
 しかし、これらのことを除いても、麻雀には流れがあることは実感している。流れがきていれば、確かに配牌がいいし、とても引くとは思えない処理しようと思ったカンチャンが処理する前に入るし、それが続く。流れが来ていなければダメが続く。
 ただ、自分としてはこれはごく自然なことなのではないかと思っている。というのも以前、確率の話として次のようなことを耳にしているからだ。
 0と1を1/2の確率で並べ続けていくとき、その配列として自然なのは、
0100110101001011010101・・・
とかではなくて、
0000000111000000111111・・・
というようなものなのだそうだ。
 無限に長い配列では、0の後に1が来ることばかりなわけがないのだ。これはすなわちラッキーがそこそこ続いて、アンラッキーがそこそこ続くことの方が自然なのであることを意味しているのではないか。
 ※これを「ダンゴ現象」というそうです。(メールでY.Y.さんよりご意見いただきました。情報提供に感謝します。)
 しかし、この確率現象は自然のものをいう。配牌・ツモはこれに従うとしても、その結果のトータルスコアは人によってかわる。すなわち、ついているときにしっかり勝ち、どうしてもついていないときは負けを少なくすることでトータルスコアはあがる。

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◎カモりの麻雀 (目次へ戻る)

 日本の麻雀の歴史は意外と浅く、麻雀セオリーの普及は完全に至っていない。麻雀技術を修得した四人が卓を囲むのは、全体で見るとむしろ稀なのかもしれない。特に仲間内で打つ麻雀ではメンツ不足が深刻なところが多く、ルールすらおぼろの初心者がそのまま中級以上の者と打ち続ける状態も生ずる。
 麻雀をトータルでの成績で評価するのなら、弱者[セオリーを知らない打ち手]相手に必ず勝利を収める打ち方が大切になってくる。麻雀は、相手のレベルによって打ち合わせなければ失敗する公算が高い。本書には随所に上級レベルを対象とした戦術を述べているが、これらをカモに適用しても全くの徒労/もしくは裏目になってしまう。
・カモ一人の場合:この場合は、カモ一人を沈めて、他の三人でしのぎ合う絵図をえがく。カモの下家はカモから鳴けることを常に意識する。具体的には、染め手・チャンタ手・食い断逃げ等が普段鳴けないはずの牌を鳴いて完成できるはずだから、その配慮を欠かしてはならない。さらに、ダブロン無しの上家取りルールなら、カモの下家はカモが切る当たり牌を最も拾いやすい位置にあるので有利である。できるだけカモ以外の二家と同じ待ちになるようにすると有効性を発揮できる。おそらく他二家もカモの余剰牌種で待つのを理想としているだろう。 カモの上家は残念だがあからさまなカモの手に牌を絞らねばならないので不利を悟る。さらに上家の他家二家に頭ハネでカモの切る牌を持っていかれるおそれもある。(ダブロン無しの上家取りルールの時。)また、立直後にカモの切ったド本命牌を通されて、一発目から他二家に有利に働く可能性もある。カモ以外の三人(特にカモの上家)がカモをカモと認識せずに打つと、カモといえども手が進んで和がってしまい、調子に乗って手がつけられなくなる恐れがある。 ただ、このケースで重要なむしろカモにいかに麻雀を続けさせるかにあるよう思える。この人数配分では、カモが麻雀をやめてしまうのがもったいない。カモは全体で負けていても大物手をあがれれば満足する傾向が強い。点数に余裕があるときは、カモの大物手を自らはキックせずに(他家がする分には黙って見る)カモがツモ和がるかを傍観してもいいかもしれない。
・カモ二人の場合:この場合はカモでない人を徹底マークしながら、カモの余剰牌種を狙う。カモでない人からの出和がりを想定するのは損で、たとえその人から苦労の上運良く和がっても、その人はカモから簡単に失点回復できてしまう。このケースではカモの使い方のうまい方が勝つ。具体的にはカモの性格に詳しい方が有利だ。
・カモ三人の場合:一見、負けはないよう思えるが、カモの性格を掴み損なうと失敗するケースがある。カモにはおおまかに手堅いカモと勝負しまくりガモがいる。これらを把握しないと、たとえば手堅いカモ三人と囲っているときに数千点放銃しただけでツモれそうな待ちがこないままツモれずに半荘が終了してしまう可能性があるし、勝負しまくりガモ三人と打っていて満貫くらいをとったあとにトップ保守にまわって徒労に帰すこともある。ただ、三人の性格が均一な場合は処理しやすい。そうと把握すれば、手堅いカモ三人には、大事なところ以外すべて読んで切っていけば(ここなら安い、と勝負)、たとえ放銃してもスピードで完全に勝っている以上挽回できるはずだ。勝負しまくりガモ三人には、完全な原点保守の方針を守れば(原点を下回る可能性のあるときはダマで安全に点棒を稼ぐ)、悪くともマイナスの少ない三着にはなれるはずで、数半荘やれば負けはなくなるはずである。問題なのはこれらの異なる性格を持ったカモが混ざって三人いるときで、このときは実にやりにくい。著者はこのケースをできるだけ避けて打っている。しかしどうしても打つときは、確率・ツモ山重視で打ち、勝負しまくりの余剰牌種で待つときだけ無条件立直とし、あとは他家の性格を最重視して打っている。すなわち、「ひっかけの有無/ひっかかりの有無」や「壁知識の有無」や、その人の有り得る和がりのパターンである。カモの和がりパターンは、テンパイ即リー(多くドラ内蔵)・鳴き染め(決して面前に我慢しないもの)・すぐ鳴くトイトイ/必ずチートイ(どちらかに局在する人がいる)・役牌のみ・食い断のみなどがあり、人によってやる/やらないが性格に分かれている。これらを把握すると、余剰牌種の特定がかなり楽になる上、振り込みはあり得なくなる。

・立直ガモ
 世の中には数多くの立直ガモがいる。
 立直ガモは立直という発声に呼応してベタオリする種のことである。
 これはこれでまま硬い打ち方で評価できるのだが、手作りの巧妙さが足りない立直ガモは、かならず速度で負けてベタオリを繰り返すこととなる。また、立直にきっちり向かって行く人がいて、その人のピントがずれていないときは彼らはかなわない。
 彼らに対する「カモりの麻雀」の真髄は、彼らが原点以下のときや流れを掴みかけているときに、ブラフでも何でもいいからとにかく立直しまくって降ろすことにある。 いつかツモれて、それ以降流れがどんどん傾いてくる。
 ところで、立直ガモは立直者の現物しか打たないので、その現物で待ってダマで和がりたくなる。が、これは基本的に「カモリの麻雀」には反する。無理なく待ちつづければ問題ないが、これも先行立直者の危険牌をあまりに勝負しすぎるのは、非カモで取り合う行為であり、資源の無駄使いとなる。非カモに打つ危険を極力減らしながら、自分がカモり番のときにしっかりとカモるのがカモりの麻雀である。
 立直ガモが原点を大きく下回っているときにダマで直るのは、自然保護法によって禁止されるべきである。なぜならば、そうすることによって彼らはそうとうやる気をなくすからである。そういったケースでは、きっちり見逃してその他のトップなりから直るなり、それがいやなら「この局は僕が狩ります。」という宣言を意味する立直を打つべきである。その後に立直ガモから立直で出和がるのは一向に構わない。立直ガモは立直に打つのはフェアだと考えるからいいのである。
 ただ、麻雀の技術を習得していく上で、同等の4人が打てば、門前聴牌=立直となる過渡期はあるものである。この時期の人をみつけては、やれ「立直ガモだ、ガハハ」とやりまくるのは、倫理的にどうかと思う。

・染め降りガモ
 染めてます、という捨牌をすると一枚もその色を切らないで勝負手すら降りるところまでいく種。あんまいない。 いたら南家んときにブラフするだけ。

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◎カモらない麻雀 (目次へ戻る)

 日本の麻雀の普及は全然至っておらず、ただでさえ少ないかと思われる麻雀人口はバラバラのルールでいろいろな麻雀を打っている。こういった状況では、麻雀メンツに不足したことがないという人は、全体で見ると稀な気がする。特に仲間内で打つ麻雀ではメンツ不足が深刻なところが多く、結局将来は四人麻雀より三人麻雀が主流になるのではないかとも思える。
 カモ[セオリーを知らない打ち手]や初心者[ルールを完全に知らない打ち手]相手に必ず勝利を収める「カモりの麻雀」は特殊な技術であるため、できるようにするのは大切だろう。が、できたからといってそればかり狙っていていいものだろうか?
 麻雀を娯楽と見てその充実度で評価するのなら、筆者の見解としてはメンツを失ったりしない、楽しい麻雀をめざすことが重要になってくるだろう。
 では、レートを低くしたりして、負けても何も感じないぬるま湯のような暴牌麻雀をすればいいのだろうか?筆者はそれには反対する。レートの高低は問題ではないが、四人が真剣にやるためにはあらゆる設定があっていいと思う。大の大人が真剣にやらないで麻雀みたいなことをしていても、暇つぶし以外はしょうもなく感じるからだ。
 ここでは、カモらない麻雀について考える。
・初心者等3人のとき: このケースでは、場合によってはものすごい疲労感を覚えることだろう。初心者4人にして後ろから見て点数計算を教えたりしてた方が気が楽だろう。(「麻雀教室」化しよう。)  :ただのカモ3人のときは、真剣にやっても適度に遊べるだろう。
・初心者等2人のとき: 2人・2人が自他ともに認めるあまりの差があるときは、初心者がマイナスのときはそのマイナスをプラスの人で平等に割ってなくす特殊ルールを設けよう。 :2人がただのカモのときは、あまり立直とかに切りこんで勝負しない、「負けない」麻雀を心がけよう。ただし、カモ以外には勝負して構わない。(が非カモに勝負するのは、負ける可能性を生む。)
・初心者等1人のとき: その1人にあまりの差を認めるときは、その人がマイナスのときにそのマイナスをみんなで割るルールで遊ぼう。  または、その人が浮いて終わったら高い方のレート、沈んで終わったら激低い方のレートを選択する、というルールもある。このルールは結構楽しい。(その人を勝たせながら自分も勝つのを目指し、自分のマイナスが大きければその人をきっちりしずめればいい。) :ただカモ1人のときは、4人で和気あいあいとやりながら3人で勝負しよう。


 

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◎カモられない麻雀[セオリー習得のモデル] (目次へ戻る)

  日本の麻雀の歴史は意外と浅く、麻雀セオリーの普及は完全に至っていない。では、麻雀セオリーとは、どういう順番で習得して行くのが順当なのだろうか。
 ここでは、麻雀的な技術進歩についていくつかのモデルを示す。

『モデル1: 勝つ麻雀を目指す麻雀』
0.仲間内にすでにやれるメンツがいて、これからはじめるとする。
1.まず、麻雀の基本的なルールを覚える。コンピュータ麻雀なり、人につきあってもらうなりしてとりあえずノーレートで適当に打ちまくる。
2.牌効率を覚えて聴牌速度を上げ、棒聴即リー力を上げる。具体的には、適当な麻雀入門本の「リャンメン待ちとカンチャン待ちと・・・」とかの部分を読んで「リャンメン>カンチャン>シャボ>ペンチャン」などのメンツの基本法則を覚える。リャンカン待ち(246など)も覚えられればついでに覚える。ここのHPよりリンクされている「まーじゃんいんてらぁ(麻雀 in 寺)HP」はお勧めだ。  多面待ちについては覚えれば覚えるほど振り聴が少なくなる上に、作り方も覚えれば強くなる。が、複雑なので、できても理解するのは「34567」くらいにとどめて、あとはタマタマできたら何待ちか考えてわかるくらいでいい。  棒聴即リーとは、すべての牌を一切鳴かずに、聴牌して立直するだけの麻雀のことをいう。「鳴き」についてはいろいろ覚えないと勝てる要素が薄くなるので、最初はなしでいい。
3.しばらくは棒聴即リーだけで余計なことを考えずに麻雀を貫く。点数計算は全部人にやってもらう。もし世の中にビギナーズラックが存在するなら、必ずドラを使って少しは勝てるはずだ。(し、カモりの麻雀を覚えている人でもこの段階の人と同卓しているからには狙い打ちはしてこないだろう。)和がったあとに他人から「それはこうすればもっと手役がつけられたよ・・・」と言われることがあるに違いないが、そのときは「私は立直とドラとツモ以外役はまだ知りません。(あと一発と裏ドラくらい。)たまたま手役がついてたりしたら教えてください」と言うようにする。    気をつけたいのは、最初の数回でちょっとうまくいかなかったりしたからといって、メンツの基本法則を疑ったりしてはいけない。麻雀とは百回くらいやってその結果を見るゲームだ。基本法則を疑う人は『負ける麻雀』の段落へ。
4.「鳴き」について気になるなら、断ヤオドラ2以上・役牌ドラ2以上・役役混一(役牌混一ドラ1・混一ドラ2)・トイトイ役1以上、の四つのやり方のみ学習する。マニアックなところまで知りたければ、清一色・純全帯三色ドラ1もやる。それ以外を狙う鳴きは、残りの牌がなかろうがなんだろうが絶対全部しないようにする。 ただし、仲間内のメンツがほんのちょこっとでも技術に長けているなら、あまり鳴ける牌を切ってもらえないので、これらを狙っても和がる可能性が薄い、か、鳴けたときの危険が大きい。これらをいっぱい鳴けてすんなり和がらしてくれるようなら、故意にサービスされているか、次の次の段階で全くの対等になる。
5.もし世の中にビギナーズラックが存在するなら、その期間はいつか終わる。棒聴即リー麻雀でいまいち勝てないようになったら、次は「負けない麻雀」を目指す時期に入る。
6.「ベタオリ」の技術を覚える。このHPには書いてない。どこかの麻雀入門書で読む。 あわせて「スジ」を覚える。
7.人に先に立直をかけられたら、現物・オタ風(その人にとって役牌でない牌)とスジのみ切りながら手をつくるようにする。それ以外の牌(危険牌)を一個まで打って自分が立直できるなら追っかけるが、どうしてもニ個以上切らねば無理なら、ベタオリするようにする。場合によってはベタオリばっかになるが、放銃しない限り大負けはしない。結果的に勝率が必ず上がる。長く続ければ続けるほど。  スジが何度も立直に当たるようなら、ただ単にその人にスジを狙われているだけなので、その人の立直にスジを切るのはやめて、かわりに9.のノーチャンス・ワンチャンスを覚えてそれを切る。ただし、必ず安全な方から切る(現物を優先する)こと。
8.勝った日のみでいいから、勝ち金で麻雀戦術本を買うなりして、手役の作り方を覚える。どんな配牌・ツモ牌でどういう役が狙えるのかを知る。ひとつひとつ役の作り方を覚えて、実戦に照らしていく。ダマ聴も少しは使えるようにしておく。が、基本は立直である。 「点数計算」は、役の使い方・パターンとあわせてこの時期にはやめに覚えてしまう。コンピュータ麻雀で、人の分まで計算して練習する(答はコンピュータが計算して出してくる)。実戦では自分の手だけでいいから計算する。きちっと逆転手をオーラスで狙えるようにする。
9.ほとんどの手役のふつうな狙い方がわかるころまでに、ノーチャンス・ワンチャンスを覚えて、「スジ」と同じような感じで安牌とみなせるようにする。
10.典型的な捨牌からの手役読みをできるようにする。と同時に、スジの安全度・基本的な各種ひっかけについて考える。(どちらも、このHP参照。)
11.ここまでの技術習得で負けないようになることは、メンツのレベルによっては大いに可能である。(ただし、点5以上のフリー雀荘では無理だろう。) この先の技術は、ここまでで負けないのならば特に不用(もしくは余計)なものである。 ここから先は、本などで体得しがたい、「勝つ麻雀」をめざすこととなる。
12.まず、「カモりの麻雀」を覚えて、その世界を確実にし、決別する。
13A.「他家立直の点数評価」をできるようにし、
13B.和がれるかの判断と期待値を基準にした、自分の手牌の勝負手度合いの判断と、
13C.切らねばならない牌の「安全度(マイナスの期待値)の判断・安全な順の設定」を追求し、
13D.点数・流れなどの、トップ取りに対する「状況判断(局の目標)」を照らしての
13.「いくか、まわすか、おりるか」の判断 をできるだけ的確にできるようにする。これらの考えの根底は、いずれかの技術・判断について絶対的な自信があれば別だが、それ以外は本HPの「麻雀投資論」のような考えを根底にするといいと思う。
14.その他の、ダマ聴対策・立直の使い方の追求・牌の絞りと人への鳴かせの使い方・迷彩およびその対策・他のルールでの打ち方の追求・基本的なセオリーの完成・新しいセオリーの開発、などの技術をあわせて研究する。 また、雀荘など対外で打つ機会を持つようにして、巷のレベルを知る。
15.それ以上は筆者は知らない。
16.全部極めたら人生でも語れるのだろうか。

『モデル2.負ける麻雀』
0.仲間内にすでにやれるメンツがいて、これからはじめるとする。
1.まず、麻雀の基本的なルールを覚え、ビギナーズラックなりなんなりで勝つ。
2.あまり勝たないという気になってくるところまで『1.』と同じ。
3A.特にセオリーを習得しないまま、つまんないけどつきあいで続けていくうちに、まわりの人はセオリーを知っている状態になる。→「カモりの麻雀」のカモとなる。  → いつか『モデル1』のような軌道に乗れることもあろうし、「麻雀くだらん」と言ったまま麻雀との付き合いは終わるかもしれない。 
3B.適当な麻雀本を読んで試してみるが、その日に限ってそのことが連続で裏目して、1.のころの打ちスジのみの方が強いという信念にいたる。 そして半永久的にセオリーを身につけることはない。 ときに勝つし、よく負ける。 →「カモりの麻雀」のカモとなる。 END. 


 

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資料: ◎数理的性質別麻雀牌二種組み合わせ表 (目次へ戻る)

(同種牌の組み合わせは除いてある)

※全十九通り

12 = 89
23 = 78
34 = 67
45 = 56

13 = 79
24 = 68
35 = 57
46

14 = 69
25 = 58
36 = 47

15 = 59
26 = 48
37

16 = 49
27 = 38
17 = 39
28

18 = 29

19

(以上)

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資料: ◎順子待ちメンツ評価シート (目次へ戻る)

 (各種雀理的考察に使うシート。)
 (丸ひとつが評価値『1』に対応している。)

「12」○
「13」○
「23」○○
「24」○
「34」○○
「35」○
「45」○○
「46」○
「56」○○
「57」○
「67」○○
「68」○
「78」○○
「79」○
「89」○

(以上)

以上(目次へ戻る)

◎追記事項 (目次へ戻る)

 ここには、メモがあります。
・「立直の効果と使い方」「ドラのあらゆる使い方」の章を次回以降のバージョンで追記しよう。
・「有効牌は三回に一回ツモる」という。これについての数理的な考察をいつか行おう。03/15/1999
・「ワンチャンス」がどれほどノーチャンスに近く、ツーチャンスから遠いのかを、数理的に考察しよう。03/15/1999
・いつか、大きな内容別に全体を分けよう。03/15/1999
・「6667889 めんつメンツ」待ちはどう扱う?こんなんマンガで読んだだけで、実際に考えて待ったことないぞ。待ちは「8」「7」っぽい。対面の「5」切り立直を「579」からの切りと一点読んで、この色の下は安い、上以外さして重要でない、この色の上はツモれる(!)、として一発で裏スジ通して追っかけて「8」ツモってたぞ。10/23/1998 11/10/1998訂正
・買い込んだあの麻雀書籍を読み返して、要点をここに盛り込んでいくといいだろう。10/23/1998  むしろ、相違点を書くべきか。03/15/1999
・項目の順番を考えるとともに、各項目に「--1--」とかの番号(制作中は十番か百番区切りで挿入を可能にしてもいいか。)を付けて検索ジャンプ効率を上げたいな。データベースに登録しても悪くあるまい。10/23/1998
・赤入り時の手作り・読みの変更点はどんなものか。10/27/1998
・混老トイトイにチャンタはつくのだろうか?つかないよね。←Mahjong Walkerによると、チャンタには一組以上の順子が入ってなければ成らず、このケースではつかないとのこと。
・「222233334444雀頭」は、何符何翻の何点?リャンペイと、あとついて平和しかないようなんだけど。それとも、一色四順であらたに役満にすべき?←「殺気ゆえ」(竹書房)という漫画で、雀頭も同色のときに清一リャンペイで計算していました。03/15/1999
・第一ツモでカン!リンシャン牌をツモってまたカン!さらにカン!またまたカン!そしてリンシャンツモ! これは四暗刻単騎ツモ&四槓子なんだけど、地和はつくの?リンシャンツモの海底がつくのは知ってるけど、地和は第一ツモのそのツモ牌であがることだから、つかないよね。←Mahjong Walkerによると、地和にはならないとのこと。
・配牌で四暗刻和がってたら、それは単騎ツモでダブルにするの?←Mahjong WalkerHPによると、「どう和がったかが明瞭な和がりは高く見て、それが不明瞭な場合は低く見積もる(よって、単騎ツモにはならない)」及び「和がった牌が手の内に入ったら和がりは成立しなくなる(よって、チョンチョンの後の牌を別にして和がり、それで単騎ツモや平和ツモだったら高くできる)」とのこと。前者が納得だ。

※「Mahjong Walker」HP  http://www.mahjong.or.jp/

※一部出典HPの記載について誤りがありました。ここにお詫び申し上げます。

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第ニ部はこれで終わりです。続きは第三部をご覧下さい。

第三部冒頭へ

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http://kco.main.jp/

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